見出し画像

首里城が失われた日、の話。

昨年、2019年の10月31日。首里城の正殿が火事で焼失してしまいました。

このニュースを知ったきっかけはひとりずつ違うと思いますが、憶えているうちに私の場合を書き残してみたいと思います。

首里城が燃えている!?

その日、いつものように朝からTwitterを開いた私はタイムラインに大火事の写真や映像が出回っているのを見ました。そこにあるキャプションは、細かい違いこそあれどこのような言葉。

「首里城が燃えている」

慌ててテレビをつけると、生中継で首里城の正殿が燃えている様子が映し出されていました。
「首里城が燃えてる!?何で!?」
正直なところ、それしか言えませんでした。どこか非現実的な光景に、ドラマや映画のCGなら良かったと何度思ったか。

復元されたものとは言え世界遺産であり、内部には数々の文化財も保存してあるため安易な放水を行うとダメージが広がるかも知れない。那覇市の中でも高台にあり周りが石垣で囲まれているため、消防隊が突入する事も出来ない。
様々な条件が重なった結果、鎮火したのは出火から10時間以上も後であり正殿は全焼失してしまったのです。

「平成の復元」への道のり

1992年、「祖国復帰」20周年となる年に首里城の正殿は復元されました。
琉球王国時代にも何度か火事に見舞われていた首里城ですが、沖縄戦で日本軍がよりによって城の地下に拠点を置いたため米軍の攻撃で完全に破壊されてしまったのです。

米軍占領下時代は跡地に琉球大学が造られましたが、復帰後に琉大を移転し元の場所に首里城を復元しようと言うプロジェクトが始まりました。
戦前の史料は白黒写真や琉球時代の文書と言った古いものしかありませんでしたが、それを徹底的に調べ尽くし、困難な色の再現は中国の紫禁城なども参考にしたそうです。

正殿が復元された後も、場内の他の建物や門などが次々とありし日の姿を取り戻して行きました。
もうすぐ全てが甦るのではないか。そんな中での、火事でした。

失われて初めて知る想い

沖縄のニュース番組では、ぼう然と焼け跡を見つめるウチナーンチュの姿を取り上げていました。
皆さんが口々に言うのは「そこにあるのが当たり前だと思っていたのに」と言う喪失感でした。いつでも見える赤い瓦屋根は、首里の街の一部だったのです。

喪失感を持っていたのは私も同じでした。私はスインチュ(首里の人)ではありませんが、かつて琉球王国と言う国がここにあった事の象徴であった首里城は、余りにも近く感じていたため数える程しか訪れた事しかなかったのです。
琉球史に興味があり琉球王国について子供の頃から本を読んだりもしていたので、代々の王の事を想いチムグリサン(胸が痛い)していました。

そのウチナーンチュの想いが、再びの復元のため動く原動力になったのか。
焼失から半月も経たないうちに、商店街や市町村などから自然発生的に「首里城復元支援の募金」を集めたりチャリティーグッズを作るなどの活動が始まりました。

「令和の復元」を果たすために

沖縄県が作成した計画によると、首里城が復元されるのは早くても2026年になるそうです。
歴史学者や伝統の芸術を受け継ぐ人々、さらに今回の教訓を活かすため防災の専門家などが集められ、復元に向けて動いています。

チャリティーグッズの売り上げなど、企業や個人からの寄付が何億と言うレベルで県や那覇市に集まりました。人々のチムグクル(思いやりの心)と共に。

今までよりも身近な首里城にしたい。
玉城デニー沖縄県知事を始めとする復元に関わる方々はそう言います。
遠くから眺めるだけでは、いつでも行けるからと思っているだけでは意味がないのだと、私も思い知らされました。

琉球と沖縄の象徴として、いつもウチナーンチュの傍に首里城はありました。
今度はウチナーンチュが首里城を守る番なのでしょう。


※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。

ちょこっとでも気紛れにでも、サポートしてくだされば励みになります。頂いたお気持ちは今のところ、首里城復元への募金に役立てたいと思います。