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平等に価値がない!(男女平等について)

これを見て思ったこと。

https://x.com/23olsurume_jtc/status/1833459279032160284より引用)

 育休手当が出ると言っても出産のときには女性に負担がかかるじゃないか!こんなものは平等といえるか!と言うのはまあ分かります。
 御尤も。
 
 ただね、少し考えて頂きたい。
 主たる稼得者たる男性が身を削って家族のために働いているときに、女性はその稼得の敬意を払っているでしょうか?

 多分払ってないでしょう。


 勿論、個々の家族の個別的事例はあると思います。
 でも総体的にみればそう言う風潮ですよね。

 

 そもそも稼得は当然のことだ。稼得は家事ではない。
 家族なんだから家事育児もやるのが当然。
 家事育児が女性に偏るのは男女平等に反する。


 こんな感じでしょ。

 こんな扱いを受ければ、養う意識なんて無くなりますよ。

 というか「男性」が「養う意識を持つべき」だなんて、後進的思想でしょう。
 折半とまではいわなくとも、応分に経済的な負担を負うという思想が男女平等なのでは?

 今やほとんどの女性が共働きをしてるから男性も家事をやるのは当然だ、という主張もあるでしょう。
 しかし、何度も描いた気がしますが、「共働きで稼ぐこと」と、「稼得者として家族の扶養に責任を持つこと」は、

 F1レースとゴーカートのレースくらいの差


 があります。

 家族に責任を持つというのは、

「配偶者が何らかの事情で働けなくなった場合でも家族の維持に責任を負うために働く」


ということです。

「配偶者が働けなくなったり配偶者に不満がある場合に備えて、家族と言うユニットから離脱する選択肢を持つために働く」


 のは責任を持つとは全く言いません。
 なんかそう言うのが当世では自立した女性と持て囃されてる気がしますけど。

 妻が病気で働けなくなったときに、男性が妻を捨てて離婚したら恐らく世間的には非難殺到でしょう。
 暴君のように振舞うモラハラ妻であっても、家族を捨てれば恐らく男は白い目で見られる。

 では逆はどうか?
 働けなくなった夫を捨てて離婚したら、其処まで非難はされないでしょう。むしろ病気の夫を支えて働いたらバカとか言われそう。
 共働きしていてモラハラ夫を捨てたら、賢い自立した女と言われるでしょう。

 男には厳然と今も、家族と言うユニットを維持する主たる責任が求められているし、それから自己都合で離脱することは白い目で見られる。
 しかし女はそうではない

 頭の中でシチュエーションをイメージしてみてください。
 働けなくなった妻を捨てて離婚して子供の親権を取った男性に対してどう思いますか?
 働けなくなった夫を捨てて離婚した妻については?

 男性の立場からすれば、これは伴走者じゃないんですよね。
 自分が倒れた時に見捨てる可能性が十分にある相手は、ともに走るパートナーとは言えない。

 ではそれでもなお男女がパートナーとなり得るのは何故かと言うと、子供を産んでくれる、育児をしてくれる、と言うのも含めて、自分には出来ない役割を担ってくれるからでしょう。
 子は鎹とはよく言ったもの。

 ……描いてて思ったんですけど、選択子無しの夫婦の関係性ってどうなんですかね。
 この場合の妻は、夫が倒れたら主たる稼得者として家庭を支えるんだろうか。

 閑話休題。
 ちなみにこの主たる稼得者という役割には

 稼ぎの多寡には関係がありません。

 
 意識の問題だからです。
 夫の年収がいくらであろうとも、主たる稼得者としての責任は男性に自動的に賦与される。

 例えば、今はパートタイム+家事をしているけど、夫が倒れた時は、

「ならアンタが家事して〇〇ちゃんの育児して!私が働くから!速く病気治しなさいよ!」

 
 と言う人は主たる稼得者です。
 逆に、夫の倍稼ぐエリート総合職女性であっても、主たる稼得者になるかは分からない。

 男女平等の御旗のもとに、男性に課せられたこの「家族を維持する主たる稼得者の役割と責任」は不可視化されてきました。
 稼得役割を殊更にアピールしたりすることは旧世代の悪習、モラハラとして吊し上げられてきました。
 
 冒頭のtweetが仮に本当だったとして……青バッジつきのアカウントはインプレ稼ぎの嘘を吐いている可能性も十分にある、特にビジネスアカウントは。本邦twitterランドでインプレ稼ぎするなら、男女の対立煽りが一番効率いいので……まあ仮に本当だったとしますが。
 これも男女平等の一形態です。

 男性に課された役割を軽んじてきた結果、女性が担う役割も軽んじられているわけです
 男女平等です。

 平等に価値がない


 と言う奴ですね。

 この状況の解決策としては

①女性の意識をアップデートして、家族と言うユニットの維持に対する主たる稼得者としての責任感を持たせる

②男性の果たしている社会的責任に対して、子育てする母・女性と同じようにリスペクトを与えるか

 個人的には後者の方が早い気もしますけど……多分どっちも果たされず分断は加速する一方だろうな、と思います。
 
 後者については、そのリスペクトをせっせと後進的思想として解体してきたんですから。
 今さら時計の針を巻き戻すことは出来ない。

 それに、私達だけが負担を課されているというナラティブの方が相手からの譲歩を引き出しやすいですからね。
 相手の役割に敬意を払ったり、負っている責任や負担を認めるとそれはやりにくくなる。

 とはいえ、繰り返しになりますが、上のtweetがマジだとしたらもはや引き出せる譲歩にも限界が来ているんだろうな、とは思います。

 それに、そう言う「思想」が男性の中にすでにあるなら、それを変えることは難しい。
 如何にtwitterランドで有識者様がこんなものは男女平等でではない!と御高説を垂れようが、個人個人がその御高説に従う義理は全く無いですから。

 最後に。
 フェミニストセンセイ方がよく使っている妊孕性を盾に取ったマウント取りは、それを使わない女性に対しては男性並みの扱いになるというのとほぼセットになってると思うので、マジで程々にした方が良いと思っています
 使われない能力は無いのも同じです。

 あと、同じ分野で男性と女性が競争したら、多分勝つのは男性です。例え事務職であっても。
 能力的に余程の差がない限りはね。

 これは単純に、男性の方がタフだからです。
 個別の例外は除いて傾向として。

 能力とは安定的、継続的に発揮されるからこそ価値がある。  
 そして、安定的、継続的な能力発揮に必要なのは、肉体的、精神的な耐久力なんですよ。

 良くも悪くも仕事と言うのは社会の歯車になることです。
 その局面において、頑丈さと言うステータスは、時に絶対的な能力以上に重要だと思います。


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