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【語り会#05】ルパン三世から見る不自由な社会での自由追求

 これは大学の授業の課題で提出したレポートだ。駄文ではあるが、せっかく昔から自分の作品作りのテーマにしてきているもので、内容はすごく良い(自画自賛)ので、ここに載せようと思う。

1.自由なき世界 

 日本を代表するアニメーションの一つである『ルパン三世』の2015年放映シリーズに浦賀航という科学者が登場する。「作られたこの世界の中に自由はない」 彼のこの台詞が自分の中で心の奥底までに残り、今も私の中にある。 彼が言っていることが正しいのならば、我々は不自由であるということだろうか。しかしこの作品に登場するメインキャラクターたちは自由に生きているように見える。少なくとも縛っているものは美学だけで、社会規範や規則に束縛されてはいない。つまり、作られたこの不自由な世界でも自由を追求することは可能ではないのだろうか。今回はルパン三世シリーズ、とりわけ浦賀航の登場するPART4を事例に考えていく。


2.不自由な世界における「不自由」とは何か

 浦賀航の発言に則り「この世界に自由はない」ということを前提に話を進めていく。また、ここで言う自由は「何者にも干渉されずに自分の行為を実行すること」と定義しておく。まずは彼が登場するルパン三世PART4について説明をする。このシリーズは2015年末から2016年頭にかけて放映されたアニメーション作品「ルパン三世」のTVシリーズ第4弾である。テーマは愛と芸術であると各話冒頭に流れるルパン三世の言葉から推測できるが、裏テーマとして「自由と不自由」があるのではないかと私は考えている。理由としては、各話ごとに登場するキャラクターたちは何かしら不自由な状況に置かれており、それらをルパン三世たちが救いだして自由にさせるという物語の構図が多かったのだ。しかし、事例としてはPART 4のメインストーリー「イタリアの夢/世界解剖」を扱う。


 舞台はイタリア半島の実在する国家サンマリノ。ルパン三世、次元大介、石川五ヱ門、峰不二子というレギュラーキャラクターに加えてレベッカという五人の泥棒たちを巡って物語が進む。研究者・浦賀航は夢の中で死んだ人に会うことができる技術、通称「イタリアの夢」を開発。イギリス諜報機関・MI6はこの技術を応用。夢の中に現れるかつての天才たちの人格を取り出し、それをクローンに埋め込む事で優れたエージェント集団を作ることがMI6の目論見で、万能の天才と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチ(以下ダ・ヴィンチ)をその一人目として現代に蘇らせる。しかしMI6の施設を脱走。彼は浦賀同様「作られたこの世界の中に自由はない」と考えており、自由が存在する新たな世界を作り直すために「世界解剖」をすると言う。ルパン三世たちはそんなダ・ヴィンチを止めるために奔走する、というのが本編の大まかなあらすじだ。


 さて、自分の手によって自由な世界を作ろうとしたダ・ヴィンチが取った手は「イタリアの夢」を応用し、イタリア中の人々の夢に自身を登場させて新世界の住人に相応しいか試験を行う。その試験の内容はダ・ヴィンチを唸らせる創造性を見せること。失格になれば人格をダ・ヴィンチが支配する。いかにも悪役らしいやり方だが、もちろんルパン一味はこれに見事合格する。しかし、レベッカだけは不合格となった。そこでルパンがレベッカの創造性を引き出し、ダ・ヴィンチを倒すことにも成功する。


 つまり創造性を持つことが自由へ繋がり、本作のメインテーマである「芸術」の意味が物語の結末でわかってくるわけだ。


 しかし一つ問題が残っている。創造性または芸術が自由を創り出すことができるとわかっても、「作られたこの世界の中に自由はない」という大前提は崩れていないのだ。不自由な世界の中で自由を創っても、世界が不自由であることに変わりはない。それはあくまで作った自由が既存の不自由という大きな枠組みの中にあるだけだ。


3.不自由な世界は捉え方次第で自由になる

 PART4オリジナルキャラクター、レベッカはロッセリーニ財閥の令嬢で財産は山のように所有している。それでも泥棒稼業を行うのは他にないスリルを求めているから。金銀財宝と美貌を求める正ヒロイン・峰不二子とは真逆の性格なのである。もちろん泥棒としての実力はルパン一味に劣る。未熟なレベッカは作中で何度もルパン三世に助けられるが、彼の助けを拒むレベッカに対しルパン三世はこう言った。


「助けられたと取るか、スリルと取るか。考え方次第で世界は変わるんだ」
 この話が最終話「世界解剖・前篇/後篇」の前に配置されていることから考えても、メインテーマに関わってくる重大なセリフである。


 私はこのセリフに「世界は不自由である」という考えの捉え方を変えろという意味が込められていると考察している。その鍵が「芸術」であり、「創造性」だ。


 芸術とは自分自身が内に秘めているものを表現し、創造し、そこに価値を生み出す活動である。何にも縛られずに価値を生み出す、他の誰でもない自分自身が創り出すという行動は明らかに不自由ではない。


 それはルパン三世とダ・ヴィンチの会話にも現れている。ダ・ヴィンチが「なぜ宝を追い求めるのか」と問うとルパン三世は「俺がルパン三世だから」と答える。逆にルパン三世が「なぜ芸術を追い求めるのか」と問うと「私がレオナルド・ダ・ヴィンチだから」と彼は答えた。ダ・ヴィンチに関しては言うまでもなく、ルパン三世はどんな宝でも創意工夫して盗むという点が彼の創造性であり、それは自分が誰のものでもない自由な自分であるからだと彼らは言っているのだ。


 かの有名なミルも独創性が社会において重要だと主張しており、著書『自由論』の中で「天才の重要性と、天才が思想においても行動においても自由に開花するのを許容すべきであることを強く主張したい」(ミル,2012,p.158)と述べている。ここでの天才は独創性を意味しており、独創性を持つ者たちは新たなものや慣習、知識を社会の中に誕生させる。彼らは天才と呼ばれる少数の人だが、彼らの存在が社会を支えている。これがミルの主張であり、つまり独創性なき社会は崩壊を意味するのだ。言い換えると社会において自由を追求するためにも独創性、創造性とクリエイティビティが必要になってくるわけだ。


 ミルは社会の束縛により個人が社会に従属する状況に対して、個人が自由を行使することについて上のように説いていた。一見すると、自由の話は個人だけで留まっているように思えるかもしれない。世界規模で自由を語るルパン三世とダ・ヴィンチとはスケールが違い、比較にならないという意見もあるだろう。


 しかしミルは「個人の自由→良い社会」、ルパン三世とダ・ヴィンチは「個人の独創性→自由な世界」という考えで、「個人→社会/世界」という根本のプロセスは同じなのだ。このことからやはり自由と独創性・創造性は表裏一体であることがわかる。決められた中に留まらない。そこに従属せずに、そこに無いものを創ろうとすることこそが自由だ。そう考えると「捉え方を変える」という思考も、目の前にあるものだけに縛られずその外側へ行こうとする考え方であり、まさしく自由への創造行動と言える。


4.創造性こそが自由の証である


 創造性はどんなことでもいい。作中で浦賀航やレベッカが言っている例だと、産地も味も自分で選び葡萄から育ててワインを作る。ミルが出していた例では、新たな真理の発見や新たな模範を作ることだ(ミル,2012,p.156)。つまりこの世界で何かをゼロから始めるのが創造性だ。ゼロを見つけられないならば考え方を変える。そうすれば自由な創造性が生まれる。


 既に作り上げられた世界の中ではゼロが少ないのは確かだが、創造性という思考こそが今この世界で一番ゼロに近い場所にある。創造性を持つ者こそがこの不自由な社会で最も自由な人間なのだ。


 これが不自由な社会で自由を追求する方法である。



参考文献
Mill, Jhon S., On Liberty and Other Essays, Oxford World’ s Classics, 1991.( 斎藤悦則 訳,2012,自由論 ,光文社).
友永和秀, 2015〜2016,『ルパン三世 PART4』(全 26 話),トムス・エンタテインメント. 

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