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エッセイとは、小説とは、

 毎度、毎度、アドリブで毎日投稿をしていると自分という鉱山の採掘作業にも思えるし、僕と言う荒原を耕しているようにも思える。
 そんな感触で最近は書いています。

 最近は、と言ったがこの採掘作業はいつも行われていることなのだ。noteと向き合っていない時間には全くと言っていいほど、何を執筆しようかな?とかは考えていない。
 この辺を掘ってみようかな。とかは考えているかもしれないが、どのくらい言葉が繋がれるのか?は全くと言っていいほどわからない。

 エッセイと言うのはそんな風なものなのかもしれない。毎日投稿を続けていると、自分が削られるような、磨かれるような、心が耕されるような(耕されているのは脳味噌かもしれないが🧠)。

 だから同じアドリブでも、Twitterの独り言よりもnoteでのエッセイの方がいささか丁寧に、そして、かしこまって独り言を書きますね。
 でも、独り言とは言ってもエッセイにしないといけないのだから読者は意識する。どんな人に読んでもらいたいのか?と言う頭のないエッセイはとっ散らかってしまいますから。
 そうなると、どんな人に読んで欲しいのか?と言う読者の人物像を描かなければならない。この節でそんな事を思い出した。

 このエッセイだと、文筆家やブロガーを想像しながら書いてる(さっきの節から)。そしてそれらの人達の事を思いながら執筆してるから、同業に甘えて今回のエッセイは好きに書いてますね🎂(いつもそうだけど、今回はより顕著かも)

 さらに、同じ執筆でも、読者のことを全く考えなくていいものもあります。それは、小説ですね。

 小説は物語の進行と運動にさえ集中してればいいと僕は思います。(短編を一本しか書いてないのに生意気な事をいいますが)小説は自分が納得するものが書ければいいんじゃないかなぁ。と思います。
 せやけど、自分の納得というのが一番得がたいものなんだけれど、そして、険しいものなんだけれど。

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