思春期を抱き続ける大人
コメンテーターなんか嫌いだ
友達なんかいらない。誰かが側に居ても嬉しくなんかない。父と母が最初の他人だった。不安の子供時代を重ねて生きるなか僕は早く大人になりたかった。僕は年齢で大人になるものだと思ったが幾つ歳を重ねても大人になった実感など湧かなかった。
その内、大人とは自己申告なのだと気付いた。その内年齢もただの数字だという事に気付いて明かさなくなった。
僕にも子供が出来て、子供は僕の事を父。父。と慕ってくれる。
小学生になる子供は宿題がストレスで泣きながら大人は宿題が無くてズルい!と訴える。
どんな人でも悩みやストレスがあるのだ。
大人の僕は子供をただ見守るのだ。
父親の僕は子供をただ見守るのだ。
義務教育は大人が子供に受けさせる義務があるので手伝う。
子供が中学生を卒業すれば、もう大人だと思う。
なぜなら中学生の自我から今の僕はそんなに変わっていないから。
色んな出来事が小学生から連続して今がある。最近歪んだ認知を正した様に思う。戻りたいと思う時代が僕にはない。
知っている事。できる事。自信はあるが。志しは子供に向いている。どんな世の中を後輩に贈れるのか。そんな事を憂いている。
僕はただ憂いているだけのゴミだ。行動しなければ。
たくさん迷惑をかけられて、迷惑をかけて生きて来た。縁に疲れたのだ。迷惑をかけた事が人生の汚点として染みの様に残っている。生きていれば汚点だらけだ。くたびれているボロの様な人生だ。
そんな自分を許せたら歩きだせるのだろうか?
友はいらない。この人生は独りで歩くのだ。止まるのだ。たくさんの人が居るのに俺は孤独だ。誰も愛さず。ただ愛されて生きるのだ。そんな惨めな人生なのだ。
沖縄の無人島に世捨て人の人がいてる。ただ独りで小屋を建てて犬と生きる。寿命を待つ人生だ。
あのジイさんは生きる道を選んだ尊い人なのだ。
俺は狡く家族を持ち生きている。自分を罰して生きているのか?
喜びも無く、張り合いもなく、生きている。
ただ積み上げている。子供の偶像として生きている。父親という偶像。頼られて生きている。頼って生きている。
この世に何を残せるのか?僕は積み重ねた知識を吐き出さずに生きるのか?僕は研鑽した技術を伝えずに生きるのか?
生きている意味を探すな。と昔あんちゃんっていう友から忠告を受けた。その問いは自殺するぞ。と忠告を受けた。
俺はその忠告を守ってただ眺めるだけにしている。思考を眺めるだけに。
友は流れていく。物質として存在するものは全て流れてしまうのだ。形を変えてしまう。
だから人は古き遺跡。古代の遺物。古き音楽。古き芸術に価値を見出す。
当時と変わらぬ姿に称賛と感嘆の意味を込めるのだ。
西暦は2020年。たくさんの文明が生まれては流れた。変わりゆく時代に不変の価値が欲しい。
友は変わってしまった。変わらないのは俺だ。
友は変わらない。変わってしまったのは俺だ。
新しい俺に友は出来るのだろうか?
出来るだろう。だが、感動はしないのではないか?
きっと感動しないだろう。人に憧れがない。
(何も知らない癖に知った様な口を聞くな)
(偉そうにしてる人が偉いんだよ)
BGM:ザ イエローモンキー JAM
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