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謎解きアート恋愛映画【鑑定士と顔のない依頼人】


私の感想としてはこの上ないハッピーエンドのように思えた。

冒頭から何度も繰り返されるヴァージルの1人での食事シーン。
孤児だったというバックボーンから読み取るに、彼は誰かと一緒に生きたこと、誰かと一緒に食事したことがなかったのだろう。

店員は当然のように彼だけにお皿を置き、連れを尋ねることもない。
そんな彼にとって、「連れを待っている」ということの出来る当てがある事がどれだけ幸福な事なのか。

ラストシーンのナイト&デイには時計だらけだ。ここには永遠の時がある。
彼の時はクレアと愛し合った時間のまま止まり、彼女を待ち続けるのだろう。
しかし、私は彼女は来ると思う。

広場恐怖症でない彼女が、どうして広場恐怖症であるという設定を作るに至ったのか。
これは、彼女の最後の足掻きだったのでは無いだろうか。
彼女には何らかの事情があって、ビリーに協力しなければならなかった。
しかし、姿を見せなければヴァージルは自分を愛すことなく、作戦は失敗するかもしれない。
だが、彼女は彼を愛してしまった。絵画が沢山ある部屋を見せられた時の彼女の涙は、自分にこの場所を見せてくれてしまったことへの涙なのかもしれない。

「この先どんなことがあってもあなたを愛するわ」という言葉は、この先起こることを知っていたみたいだった。
最後の競売の日の電話口の彼女も涙声だった。
警察への届けが出ておらず、全てのことを終えた彼女は、彼に話した思い出の場所を現れるかもしれない。
そう思われてならない。

友人であり先生でもあるロバートが残したオートマタのセリフや、オートマタの修復代の小切手を返したところから、彼はオートマタへの興味のために協力したが、良心の呵責があったのではないかと思う。

ずっと1人だったヴァージルが、誰かと一緒に食事をし、手袋なしで人間と関わり、誰かを待つことが出来る。
当たり前の人間関係を築いてきた人には分からない、孤独な人間にわかる幸せを感じる作品だった。

【伏線と考察】
①二回目の覗き見はバレていたのではないか。

正確には、バレていたというより「覗く前提でトラップをしかけていた」というべきだろうか。
一度目、こっそりクレアを覗き見たヴァージルは彼女の美しい姿に魅了され、そしてうっかりロバートに「実はこっそり覗いたことがある」とバラしてしまう。
そこでロバート達は一計を案じたのだろう。
どうせまたヴァージルは覗き見をしてしまうに違いない、だったらそれを利用してやろうと。

二回目の覗きの時、かかってきた電話は完全にフェイクである。
ヴァージルが聞いていることを知った上で、「オールドマン氏は素敵な人よ」「信頼できるわ」などと褒めちぎり、「彼が私に恋を?そんなわけないじゃない(笑) 病気に興味があるだけよ」と自分を卑下してみせる。

今思えば、余りにあからさまだ。少女漫画的偶然を感じざるを得ない。
ヴァージルの立場に立ってみると、この発言は実に効果的である。
クレア(偽)は、ヴァージルが聞いていないと思って本音を話している(フリをしてる)わけで、ヴァージルにとって目の前で愛の言葉を囁かれるよりずっと真実味があるからだ。
しかも、シンプルに「好きだ」と言わない辺りが巧い。
ここでクレア(偽)がヴァージルのことを好きだと言ってしまうと、ヴァージルは安心して余裕が出来てしまうかもしれない。
相手を好ましく思っているけど、私にはそんな資格はないわ…と引いてみせることで、相手に自分を追いかけさせる駆け引きを感じる。

もうひとつ、フェイクであることを裏付ける証拠。
それは椅子と机の位置、それに服装である。
二回目の覗き見の時、クレアは電話をしながらお皿かなにかを割ってしまう。
そして奥の椅子に座って、あぐらを組み、ヴァージルをドキドキさせるが…
まず奥の椅子の向きが違う。
二回目の覗き見の時にクレアが座る椅子(白と水色のチェック)が、ヴァージルと向かい合うように直されており、よりエロティックなアングルになるよう修正されている。

手前の机と椅子の位置も変わっている。
最初の覗き見の時と同じ位置では、奥の椅子に座ったクレアを覗く時に邪魔になってしまうが二回目の時には若干左の方に寄せられ、椅子も動かされているため、座ったクレアをばっちり観ることが出来るのだ。
もちろん生活してる上で多少の移動はあるでしょうが、撮影時にそこまで考慮してわずかに移動させてるとは考えづらい。スタッフが意図を持って動かしたと考えた方がいいだろう。

そして服装。
まるっきり偶然かもしれないが、一回目の時はズボン履いてたのに、二回目の時はガウンの下は何も履いていない。

最初に観たときはヴァージルってばラッキー!とか思っていたが、すべては周到に用意された誘惑の罠だったのだ…

②クレアが自室に招いた理由

クレアに招かれ、ヴァージルは隠し部屋にいれてもらう。
映画をもう一度観ると気づくが、これはある意図があってのことと推測する。
この直前のシーンで、ロバートの彼女に「彼を信じてはいけない」と言われたヴァージルは、嫉妬に駆られてロバートと絶縁。オートマターも回収してしまう。

困ったのはロバートたち詐欺集団。
そもそも彼らの戦略はこうだっただろう。

  1. オートマターの部品をちらつかせヴァージルの興味を引く(復元できたら莫大な値段がつくことから、実は欲深いヴァージルが興味を持つことは間違いない)

  2. ロバートはオートマターの修復を受け持ちつつ、巧妙にクレアとの話を聞きだし、恋の相談役に収まる

  3. 相談に乗るフリをしながらヴァージルを恋の深みに誘導。クレアはヴァージルの恋人に収まる。

  4. 肖像画コレクションを見せてもらい、隙を見て全部奪う。

そのため、ヴァージルがロバートと絶縁してしまっては作戦が不可能とまではいきませんが、なにかと不都合が生じるのだ。。
そこで、詐欺集団はヴァージルがロバートとの仲を修復すべく、再度オートマターの部品をちらつかせることにした。
そう、クレアの部屋に入れたのはそのためだろう。

なんと、オートマターのパーツを大盤振る舞い。
今にして思えば、なんとかしてヴァージルを繋ぎ止めようとする詐欺集団の必死さが伝わってくるようだ。
さらにヴァージルが「でも修復できるかわからないが…」とか告げると、この追撃。

そんなわけで、ヴァージルは慌ててパーツを抱えて、めでたくロバートのところへ謝罪へ行ってしまう。

こうして考えるとロバートの彼女は寸前までこの計画を知らなかったのかもしれない。

③クレアの失踪事件の真相

これは今思えば一番わかりやすかった違和感と言って良いだろう。

クレア失踪がわかったときのシーンですが、ヴァージルはこんな風に屋敷を訪れている。
「クレア、私だ。ランチを持ってきたよ」

そう、この時は唯一「アポなし訪問」だった。
だからクレア(偽)はスタンバイしていなかったのである。
いくら入念な詐欺と言っても、クレア(偽)を24時間待機させ続けるのは負担が大きかったはず。念のために見張り(おそらくクレアの行った方向を教えてくれた青年)を配置しておく、と言ったところだろう。
その後、スタンバイの準備ができてから、ロバートが「他に隠し部屋があるんじゃない?」とヒントを教え、これで見事再会…という演出となったのだ。

④231

 先ほどのクレア失踪のシーンで、カフェの青年がクレアの行方を教えてくれた際に、小さなクレア(本物)が「231」と呟いている。

最初に観たときは理解できなかったが、これ、クレア(偽)が家の外にでた回数なのだ。
終盤の詐欺発覚のくだりで、わざわざ「231回と、あと6回」というややこし言い方をしていたのはそのせいだろう。

小さなクレア(本物)はよく謎の数字を呟いていたが、実は意味のない数字は一切呟いていない
店に置いてあるビデオゲーム機に表示される数字(得点?)だったり、誰かの質問に答えていたり、そしてクレアの外に出た回数だったり。

よく見ると、クレア失踪シーンの時には、これをヴァージルに伝えるために一生懸命あとを追いかけていた。

残念ながら、ヴァージルはそれに気づかず、走り去ってしまったのだが。

⑤ハッピーエンドだと捉える理由

感想の冒頭にある通り私は本作をハッピーエンドだと捉えている。
その理由は、冒頭にある、「待つことができる」幸せの他にもう一つ。
歯車と時計、泣き崩れる女性の絵だ。

途中クレアの屋敷に行く前にヴァージルが鑑定する「Honest」という名の絵画がある。
ヴァージルはこの絵画の壊れた歯車に拡大鏡をあててよく見ている。
はじめは、後にオートマターの部品を見て「この歯車は18世紀のものだ」という台詞とつながってるのかと思ったが、絵は1890年のものでやや不自然だ。


女性が、ベッドに顔を埋めている絵でそのベッドには誰かが横たわっているが、老いたように骨張った手が見えるだけ。
 絵画を鑑定していたヴァージルは、ふと描かれた女性の足下に目をやる。

画像の右下、壊れた時計と歯車が見え、今まで棒立ちで絵画全体を確認していたのに、ぴたりとそこで目を止め、わざわざ近づいて虫眼鏡を取り出す。

そのままシーンは切り替わるが、なぜ、わざわざこのような描写を加えたのだろうか。

この絵の中で恐らく壊れた歯車はヴァージルを指し、伏している女性がクレア(偽)を指していると思う。
ボロボロになったヴァージルのことでクレアは心を痛めているというのが偽りのない(honest)気持ちという伏線ではないだろうか。
字幕では「誠実」と訳されているが、意味合いとしては「偽りのない」の方がしっくりきている気がする。
これはクレアに多少なりとも真実の愛が存在することを暗示し、この映画が悲しい結末ではないことを裏付ける一つの根拠と信じたい。

そしてこの絵実在する。
映画の字幕のとおり、Umberto Verudaという画家の『Sii onesta!』という作品。

ところがこの絵、実物と比べると大きな差がある。

なんと女性の足下に時計と歯車がないのだ。

さらにこの絵画のタイトルは『Sii onesta!』だが、訳すと単に『誠実』でなく、絵の中の女性が自分自身に「正直、誠実でいなさい」と言い聞かせている』意味になるらしい。

なぜ監督は、“老人のベッドの側で泣き崩れる若い女性”を描いたのか?
それも『Sii onesta!』なんてタイトルの作品を選んだのか?
なぜそこに、わざわざ壊れた時計と歯車を書き足したのか?
ラストシーンで時計と歯車に囲まれたレストラン、ナイト&デイで待つヴァージルの元にクレアはくるのか?
そこには、監督の深い意図が込められている気がしてならない。

監督
ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本
ジュゼッペ・トルナトーレ
製作
イザベラ・コクッツァイタリア語版
アルトゥーロ・パーリャイタリア語版
出演者

音楽
エンニオ・モリコーネ
撮影
ファビオ・ザマリオンイタリア語版
編集
マッシモ・クアッリア


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