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番外編【高校で数学テスト10点だった”超”文系が数学科学生になるまで】

どうも、一休誰絵です。共通テスト、2日目も終わりましたね。受験生のみなさんも明日くらいはゆっくり休んで、また気持ちを切り替えて私立・国公立二次と頑張ってほしいものです。

さて、前々回、前回と私の受験話をシリーズ化してお伝えしたのですが、今回は早くも番外編を書いていこうかと思います。何せ、現在の人間関係もこの受験を通して形作られたといっても過言ではないのですから。

卒業式前日、私と正反対な友人と将来について話す

浮かれ・悔しみの「旅立ちの日に」

卒業式の前日、当日私たちが歌う「旅立ちの日に」の練習が体育館で行われました。3月中旬ということで、人によってはすでに大学の進学先が決まっていたり、国公立後期試験の結果待ちだったり、浪人が確定したりと個々の状況が異なっていました。

この状況の中で、歌の練習です。進学先が決まっていた人はちょっと浮かれながらも歌っていました。結果待ちの人は目の下のクマができていました。そして、浪人が確定した人たちは目の周りが赤く、充血していました。だいたい2割くらいだったかな〜

中には、明らかに様子がおかしい人も。普段はのほほ〜んとしている私の友人が、その日は泣きじゃくっていて他の友人に慰められていました。どうやら目指していた大学が不合格で、浪人することにしていたようでした。

もちろん、私は浪人することに決めていたので、ちょっと様子がおかしい人の1人。浮かれているクラスメイトを見て、自分のことが恥ずかしくなりました。これまで勉強をおろそかにしていたので当然の報いでしたが、悔しいのなんのって。胸の奥がつっかえるような気持ち悪さでした。

体育館の雰囲気がこれまでにない地獄絵図だったのは、後にも先にも経験することはないかと思います。

そして、この練習が終わった後、教室にて帰りのホームルーム。その後、卒業式の前日だからと写真大会が始まり、それも30分もすれば終わりました。

その後、私はとある友人のところへ向かい、体育館での出来事を話しました。

友人も、浪人が決まっていた

そのとある友人ですが、中高一貫校ということで、中学受験を経て入った人です(ちなみに私は高校受験で入りました)。
高校2年になって初めて同じクラスになり、行き当たりばったりでおバカな私と違い、質実剛健という言葉が似合う、まあ〜よくできた人なんです。おまけに、修学旅行のボーイズトークでも毎回話題になるくらい・けれどあまり派手にモテるわけではない(要は手が届かない)、いわゆる高嶺の花という言葉が似合う人。どうして、私なんかが友人なのか全くもって謎なのです。まあそれなりに紆余曲折を経て、大体のことは腹を割って話せる友人の1人でした。

そんな友人も、目指していた大学に不合格で浪人が決まっていました。私も浪人するよ〜と伝えると、「あはは一緒やね」とかなんとか言い合った気もします。多分。

そして、クラスの写真大会が終わったあとの、静かな教室で2人、体育館での話をしました。
私「あれさ、正直みんな浮かれすぎじゃなかった?」
友人「やっぱり。私も同じこと思っていたんだよ…」
私「もう少しさ、受験でうまくいかなかった人の気持ちも考えろって…ねえ」
友人「本当……」
という身も蓋もない愚痴を言い合いました。

そして、話広がり将来のことについても話すようになりました。
①でも少しお話ししたのですが、私は当時やりたいことが決まって、学科もそこだけ(気象学が学べる学科のみ)受けていました。

でも、私は本当に気象学の勉強はしたいのだろうか。そもそも、少ない受験勉強時間ながらも、文系の方が向いていると感じていたこともあり、文転(理系から文系に進路を変更することを文転と呼びます)した方が良いのか……とすごく悩んでいた時期でもありました。

その一方、友人は将来やりたいことが分からず、学科もとりあえずの場所を受けていたようなのです。よく私も「やりたいことがあって羨ましい」と言われることが多々ありました。(結局、私は全然関係ない数学科に行ってしまったけれども)

これからの進路について、方向性は違うながらもお互い悶々としながら、結末の見えない話をしました。

先生も、多分進路指導するには難しかったのかも

ちょうど、教室の前を通った担任の先生が、「お、2人して深刻そうな顔をして…」と、私と友人の会話に入ることに。

「先生は、どうやって大学の学科とか決めていったんですか?」と聞いたところ、次のことをおっしゃいました。
「うーん、俺の時代は学科云々より、とにかく偏差値の高い大学に行けば安泰、と言われていたからなぁ。だから、例えば理科大受ける時も、数学科・物理学科・はたまた機械科、みたいな感じだった記憶はある」

正直、あまり参考にはなりませんでした。
ただ、これに加えて先生は
「今の時代はやりたいことを先に決めて、学科を選ぶ、みたいな流れになってきているし、いくら良い大学に行ったとしても良い就職ができるとは限らないからね。選択肢が多い時代だからこそ、生徒を見ても悩みは多そうだなと思う」
とおっしゃっていました。

おそらく、先生自身も自分の経験から進路指導することができなくなっていて、もしかしたら先生という立場にとっても難しい時代になっていったのかな、と今は思います。

まあ、当時の自分はそんなことを考える余裕もありませんでしたから、先生が去っていったあと、友人に「まじかよ…全然参考にならなかったじゃん」と愚痴った記憶があります。申し訳ありません、先生。

とまあ、将来について、友人とここまで話すなんて思いもしませんでした。

そんなこんなでこの友人とは浪人生活を共にすることになりました。

今日はここまで。さて、次は③浪人生活の話を書いていくために、ゆっくり湯船でも浸かって寝ようかと思います。





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