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頑張りすぎの弊害、そして「がんばらない」の意味について考えた

過去に抑うつとパニック障害を通ってきたので、その度に色んな本や情報で「がんばるな」って言葉に遭遇してきた。

これって物理的にとにかく休めの意味もあるし、精神論的になんとなく「真面目すぎるんだよ、そんなに頑張らなくて良いんだよ」みたいなニュアンスもある。
まあ、それはそれでその通りだと思う。

もう少し根本的なところの話、
日本人は特にそうだと思うけど、頑張り屋が多いというか、頑張りがききすぎるところがあって、その弊害として本来自分が好きなことや得意なことがわかりづらくなってるのでは…?と、ふと思った。
「本当にやりたいことがわからない」…これを解消?解決?するためにも「がんばらない」ことが必要なんじゃないかと思ったのだ。


昨日Threadsで珍しく嬉しい言葉に出会ってうっかり泣きそうになった。

就職氷河期世代で思考して動いている人たちは激強だからね

氷河期世代で、そこを乗り切り生き残った人達は、半端じゃない強さを誇っている。
今のアラフィフ周辺。半端なもんらはこの世代の生存者には勝てない。マジで普通じゃなくて、ほぼサイヤ人。但し死者も多い。若者よ、この世代を馬鹿にすること勿れ。

Threads: Doiゾマホンさんの投稿より

同世代の自己防衛とか傷の舐め合いとか言われればそれまでなんだけど、別にそれの何も悪くない。こんな風に言ってくれた投稿に初めて出会ったからちょっと嬉しかった。

…少し話が逸れたが、
私なんぞは「本当にやりたいことがわからないのは、何一つ頑張ったことがないからだ…」とか「若いうちの苦労は買ってでもしろ…」みたいなことを親に言われてたし、そんな風潮のあった世代なんで、「うるさいなぁ…、んじゃあ、やってやるよ!」的な意地で、なんでもかんでも頑張り過ぎてきたきらいがある。

とりあえず頑張ってしまえば、苦手と思ってたこともなんとなくはできるようになるじゃないですか。
例えば受験だって、全科目好きな人とか本当は稀だと思うのに、苦手科目も点数上げないと総合的に見て合格できないから頑張ってしまう。(まあ私は受験失敗してるんで、そういう意味では頑張りが足りなかったかもですが…💧)
で、受験を終えてもそんなノリで頑張りをどんどん積み重ねていけば、ある程度平均的に何でもできるようになってしまう。
さらに自分を向上させるには…とか言って苦手にフォーカスして、そこを頑張って克服しようとしてしまう。
根性で頑張って、苦手も何とかある程度できるようになって、人からは多少便利に使われるようになったかもしれないけど、結果的に自分は何が嫌いだったか苦手だったかがすっかり曖昧になってしまう。

そして「私ってほんとは何がやりたいんだろう…?」という深刻な悩みの沼にハマっていき、さらに親や上司から「あなたは将来どうなりたいの?何がしたいの?」とひどい追い討ちをかけられて、「もう、わっかんねーよ!」と自分の人生なのに何もわからなくなって、ブチ切れて、全てを投げ出したくなる…(←私の場合はそうだった)。

10代の頃とかは経験値が浅いから、苦手なのか知らないだけなのかがわからないこともあると思うんで、経験として苦手と思うこともやってみるのはアリだと思う。もしかしたらその先の人生の選択肢が増えるかもしれないし。。
ただ具合悪くなるほど嫌なことはムリしなくて良い。

そういう意味でいうと、学生を終えて大人になったら、具合悪くなるほど嫌なことをムリして頑張る必要は全然ないと思う。
我々世代はそれでも自分の体調なんて二の次で、とにかく頑張ってしまう傾向があったと思うのだが、
今考えると、それって頑張ることが良しとされてたことにかこつけて、自分について考えることを放棄してしまってた(させられてたのかも…?)だけなんじゃないかと思う。本来一番大切なことだけど、そこに向き合うのは面倒だし時間もないから、考えずに頑張ってしまう方がある意味ラクなのだ。

「自分のやりたいことをして生きようなんて、そんな甘いこと言ってんじゃないよ…」って、実際は誰からもそんなこと言われてなくてもそう思いこんでたし、だからもうムダな抵抗はやめて、嫌だなと思っても頑張ってれば全て免れる…みたいに思ってた。そして、こんなに頑張ってるんだから、いつかは報われる…とか何の根拠もなく信じてたんですよね。。

今思うとバカみたいですけど、頑張り方が間違えてると報われないんですよ。すり減るばかりで。
それなのに「私はまだ頑張りが足りない…」とか思ってさらに間違った方に頑張ろうとする。
そっちじゃないってまだ気づかないの!?…って第三者的には思うかもしれないけど、そのくらい染み付いてた思考を変えるって簡単じゃないんですよね。。苦笑


まずは一旦立ち止まる。

物理的にしっかり休んで心身共にしっかり元気を取り戻す。(ここで焦らない!)

そして小さな「あ、今日はこれやってみよう♪」を見逃さずに最優先でやる!
(あー、これやらなきゃ…ってなると腰が重くなって動けなくなるから、そういうのは持ち越せるものなら持ち越す。生活上どうしても必要なことなら、アイスとかコンビニスイーツとか自分に小さなご褒美作戦を設ける。)

「こんなに簡単にできちゃって良いんだ!😃」っていう軽い気持ちでやってみることの嬉しさや心地良さをちゃんと味わって、小さな1つ1つを繰り返して増やしていき、忘れないようにその感覚を自分にしっかりインストールしていく。

そうすると、だんだんとなんとなく自分がムリなく熱中できることが見えてくる。
「熱中する」と「頑張る」は全然違う。
他人から見ると熱中してる姿は「すごい努力家、頑張り屋」みたいに見えるかもしれないけど、本人の感覚は時間を忘れるほど熱中してた…!😳みたいなことだと思う。
自分にとって熱中できることが、他人から見れば"くだらない"と思われてしまう事かも知れなくても、関係ない。自分が熱中できることを全力で信じて肯定する。自分がそれを続けることで正解にしていく!(←ってどこかで聞いた。笑 その通りだと思う。)

ただ、人間の体は限界があるので、ちゃんと睡眠と栄養はとるべきで、そこは気をつけないといけない。
身体は車みたいなものだから(と、これも誰かが言ってた。笑)、きちんとメンテナンスしないと良く走らない…それは本当にその通りだから、どんなに熱中しても怠ってはいけない。

…とはいえさ、最初の「まず立ち止まる」がすごい難しいと思うんですよね。。
できれば病気や大きな怪我にあって強制終了させられるという状況にならなくても、立ち止まることができたら良いのに…と思うけど、、今のところ色んな方の話聞いてると(私含め)、そういう状況にならないと立ち止まれないのかな…と肌感覚では感じてて。。
そこは本当にどうにかならないものか?と思ってしまう。。


「がんばらない」を考えて、やや飛躍してしまった。。。😅
ただ自分の頭の中にはあったけど、言語化したことがなかったから書き出してみた次第。

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