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最近知ったワークアズライフという言葉が腑に落ちた話。

52歳のパートの私が語るようなことではないのだがココはnoteなので書いてもいいかなと思い書いてみる。

最近知ってなんだかストンと腑に落ちた話。

私は割と仕事とプライベートの線引きをしたがるタイプだ。

ライフワークバランス重視。そう思っていたし、記事にも書いたことがある。

だが、これを撤回しても良いくらい腑に落ちた言葉がある。

ワークアズライフ。


よく使われてる画像を拝借

とてもわかりやすい図だ。
なんと睡眠以外はすべて仕事であり生活だと定義している。

…確かに。

私は唸ってしまった。うーん、確かにそうだわ。仕事は私の生活の一部だ。

生活のためには仕事をするしかないから働いているが掃除・洗濯・家事・育児・介護…すべてが生活だ。そこに仕事を追加するだけだ。
掃除・洗濯・家事・育児と仕事を同列に並べるだけで気持ちがラクになるのだ。思考の問題である。

どういうことかというと、例えばだ。

「料理」をするとしよう。
フライパンで卵焼きを作る。
卵焼きを皿に盛るまでを「料理」とするのか、卵焼きを皿に盛ったあとに使ったフライパンを洗うところまでを「料理」とするのか、という区切りの問題。

今までは仕事は生活の一部であるのになぜか仕事は「特別枠」の悪党扱いだった。

仕事も私の生活の一部なのだから料理することと同列に並べれば良いのだ。他の項目に比べて多少ストレスが高い部分もあるが、もしかしたら私の嫌いな料理と同じくらいのストレスかもしれない。料理は生きるためにしなければならん。それと同じだ。

分かる人には分かると思うが考え方を少し柔軟にするだけで仕事を特別枠の悪党から解放してやる。


ワークアズライフの提唱者、落合陽一さん

若いのにすごいね。

仕事の何が嫌かってなんかしらのストレスがかかることだ。 
でもそれは私にとって毎日の料理を作るストレスと変わらない。
なんなら仕事で倉庫のレイアウトを考えたりそれに伴う肉体労働をしてるほうがだいぶマシかもしれん。と、いきなり料理が仕事以上の悪党に思えてきた。料理は義務で作っており、なんも楽しくない。メニューは今日と明日までしか思いつかない。
つまりこの図でいうところのストレスフルの項目だ。
実家のあれこれもストレスフル。
子どものあれこれもストレスフル。
こう考えると時間になれば家に逃げれる仕事なんて可愛いもんに思えてきた。

仕事を仲間外れにしない。
あくまでも私の場合だが人生に仕事は必要だから好きでも嫌いでも仕事は生活の仲間に入れてやるのだ。

ちくちょー、料理のほうが明らかにストレス高い。なんせ材料を買いに行かないとできないのだ。冷蔵庫がカラだと料理は出来ない。冷蔵庫がカラでも仕事はできる。
私の中の常識がガラガラと音を立てて崩れていく…

まぁ、そういうことだ。考え方で救われる場合もあるね。って話。





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