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『テクノロジーは貧困を救わない』を読んで考えたこと

先端技術をみんなに配ることさえできれば、人々は勝手に使いだして、やがては仕事もこなせるスキルを身につけ、最後にはバラ色の未来が待っている――。それは、私たちが信じたくなるストーリーです。
しかし、インドにおいて高度人材の育成現場に立ち会ってきた著者はこう言います。『テクノロジーは貧困を救わない』と。
著者がそう考えるに至った経緯や背景知識、また悪いシナリオ回避の方策を知りたければ、本を読んでいただくのが一番だと思います。

なので、このnoteでは、私がこの本を読んで「テクノロジー導入は、どうして拒否られやすいのか?」について考えたことを記しておきたいと思います。

なぜならそれは、テクノロジー導入が、自分を取り巻くエコシステムに、新たな関係性の構築を促すことになるからです。殊に現状に満足していれば、人は面倒くさいことはしないものです。
そこをなんとか受け入れてもらうためには、何らかの力が働かせる必要があります。

では、どうすればいいのか。その方法論を見つけるために、この本の註で紹介されていた「フィスクによる関係モデル」が有効ではないか、と私には思えました。
このモデルは、対人関係を読み解くためのものであり、フィスクは4つに分類しています。

  • 共同体的な共有 … 家族のような関係

  • 権威を根拠とした階級づけ … 企業にありがちな関係

  • 平等原則による資源配分 … クラスメートのような関係

  • 理性的・法的 … 法的な関係

テクノロジーは、プログラムされたことはきっちりこなしますが、融通は利きません。極めて契約的です。つまり、テクノロジーと人は、本来、理性的・法的な関係を築くものです。
しかし、テクノロジーはその進展により、実にキャッチ―になりました。ぱっと見、クラスに来た転校生のように感じてしまうのです。
でも、見た目は変わっても、テクノロジーは人間にはなりえません。所詮は、適用範囲が限定的なコードだからです。互いの歩み寄りのために、人にやさしいふるまいを求めることは、難しいでしょう。ちょっと付き合いを深めてみれば「こんな使えない奴だとは思わなかった」と人は気づき、疎遠になっていき、やがてテクノロジーのことを忘れていく――。

最初に得られる成果というのは、たいていちっぽけなものです。上からの命令で利用を強いられただけでは、そんなものはなかったことにしたくもなります。
だから、テクノロジーを受け入れるためには、家族のようなメンターシップのある関係が必要だ、と私は考えます。お互いの分かり合えなさを晒すこともできる人間関係のある場が必要です。それは、テクノロジーの導入に先立ってあるべきものです。
これこそが、著者の指摘するメンターシップを基にした人間開発に通じるものだ、と私は思います。そして、そんな場を作り上げるためには、蝸牛のような進展しか見いだせなくても自制のできる強い意志が不可欠なのでしょう。


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