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神奈川散歩

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神奈川県内をウロウロしたときのお話です
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2021年10月の記事一覧

縮小された八幡宮の例大祭の週末 尊氏謀反の浄光明寺 21.09.19_13:10

八幡宮の参拝を終えた。 鎌倉についたときに、朝飯を食べようと思った鎌倉駅前のあさくさは、コロナ禍のためか営業をしていなかった。 あさくさ、コロナ禍以来しばらく営業をしているところを見たことがない。大丈夫だろうか? 鎌倉では老舗の定食屋なのだが、そういう店ほど蓄えがなかったりして閉店の憂き目にあったりしている。 心配にならないはずがない。 そんなわけで空腹のママ八幡宮の参拝を終え、不動茶屋にでもよってラーメンでも食べる気満々だったのに、こちらも営業自粛中。 まったくもう、これ

縮小された八幡宮の例大祭の週末 八幡宮参拝 21.09.19_12:00

例大祭が2年連続縮小開催で週末までイベントが持たずに終了されてしまった八幡宮。 流鏑馬もなしでは武家の守護神としてちょっと悲しい。 流鏑馬を無観客で行うってわけには行かなかったのだろうか? 疫病を蹴散らすほどの神通力はないということか?初戦見世物なのか? 鰯の頭も信心だからなぁ。 というわけで訪れた八幡宮。 なんだかんだ行ってもそこそこの人では流石だ。 凛とした空気は、神社の御加護か疫病の恐怖からか? 境内で茅の輪くぐりをしていた。 あぁ、なんだかそんな季節なんだ

縮小された八幡宮例大祭の週末鎌倉散歩 まずは宝戒寺参り 21.09.19_10:40

八幡宮の例大祭の週末。 今年の例大祭もコロナ禍により去年同様規模を縮小ということで平日の間に流鏑馬もせずにササッと終了されてしまった。 人々の健康のためとはいえ、武士の神社がなんとなく悲しい感じ。 というわけで、なんとなく雰囲気でも味わいたいなと思い訪れた鎌倉散歩。最初は宝戒寺から参拝です。 宝戒寺は北条得宗家の屋敷跡に建つ寺。 幕府滅亡時、新田義貞に責められたとき屋敷の裏にある櫓で得宗家一族郎党が腹を切ったところ。 その霊を弔うために後醍醐天皇が建立したのが宝戒寺。鎌

夏をあきらめきれなくて腰越散歩 21.09.12

9月になった途端すっかり涼しくなった日本の気候。 夏をあきらめきれなくて小雨の中訪れた腰越の街。 夏の女神に最後のキスをと思ったのだけれども、今年の女神の逃げ足の速さには驚かされた(笑) 夏の気配はすっかりなく、肌寒らすら感じる湘南の漁港の街だけれども、それでもなんとなく腰越に来たなぁという思いはかなったかな? 暑かったけどヨゥ、短かったよナァ、夏。と、加勢大周が江ノ島の洞窟でつぶやいてからもう何回目の夏だったのだろうか? 映画の設定は前の東京オリンピックの翌年だった

夏をあきらめきれなくて腰越散歩 湘南しらすの腰越漁港 21.09.12_15:00

浄泉寺の参拝を終え、一応腰越漁港に来てみた。 台風余波ということで腰越の漁は休みみたいで、ロープの柵がいたるところに。 東京からほど近い、サマーリゾートに漁港が有るってことが奇跡だよなぁ。 すっかりブランドとして定着した湘南しらすの水揚げ漁港。 リゾートで人を呼んでしらすを食べさせるという好循環も、コロナでなかなかうまく回っていなさそう。 漁業っていうのも農業以上に参入障壁が高い職種。 既得権を振りかざし新しい人材を受け付けない仕組みが出来上がっているように感じるの

夏をあきらめきれなくて腰越散歩 小動不動浄泉寺に参拝 21.09.12_14:54

腰越の商店街を歩いて来て、萬福寺を参拝したら江ノ電も腰越の道も小動の海にドンと着く。 いつもは海岸の国道の信号を海へと渡って、小動の神社を参拝するところなのだけれども、今日は小雨交じりの天気。あまり海に引かれないので、いつもはスルーする浄泉寺に参拝することにした。 小動の信号の次は腰越漁港の信号。 ここでR134を渡るか渡らないかが運命の分かれ道。 小動の浜でもしかしたらわかめ干してるんじゃないだろうか?がいつものモチベーションなのだけれども、今日は雨だからそれはあるまい。

夏をあきらめきれなくて腰越散歩 江ノ電とともに 21.09.12_14:30

腰越といえば江ノ電だ。 江ノ島駅から腰越駅まで腰越商店街の中を路面電車になる江ノ電。 決して広いとは言えない道路を夏には車が溢れかえり、そこのけそこのけ江ノ電が通る。 車を押しのけ、人を蹴散らし走るさまは圧巻。 (そんない暴力的ではないか・・・鉄の車体がなかなかの迫力) でも、信号は守ったりするところが当然だけれども律儀。 路面部分はR136並走部分と並ぶ江ノ電最大の見せ場だから、歌舞伎で言えば花道のようなもの。 今日も近所の人々の生活と、片寄せあって走っていまし

夏をあきらめきれなくて腰越散歩 義経詫び状萬福寺 21.09.12_14:30

萬福寺と龍口寺とは腰越の街を挟んで端と端。 義経詫び状の萬福寺と日蓮法難龍口寺という鎌倉の歴史を語る上では外せない二寺だが、時代は義経詫び状のほうがかなり早い。 義経と兄頼朝との確執っていうけれども、源氏ってのは身内で争いごとが耐えない家柄。 そのあたりの結束力が平家とは違うんだけれども、結果勝ち上がって鎌倉幕府を開くんだからどちらがどちらとも言い難いかな。 頼朝が兄弟や身内とうまくやれる性分なら、源将軍も三代で終わりってことにはならなかったろうに。 ガキの頃から島流し

夏をあきらめきれなくて腰越散歩 法難会の龍口寺 21.09.12_13:40

腰越に来たらまずは日蓮法難龍口寺から参拝。 ちょうど9月11日から13日までの法難会の期間だった。 日蓮四大法難の一つ龍ノ口の法難の日だったのか。 その時、処刑場に連れて行かれる日蓮に、ぼたもちを捧げた桟敷の尼の言い伝えが有る常栄寺の坊さんが、数年前泥棒で捕まったことは忘れられない事件の一つ。きっと今日も何らかの法要が行われているのだろうけれども。 で、その処刑場の跡に立つのが龍口寺。 日蓮宗にとっては重要なお寺です。 法難会なのだけれども、今年はコロナの影響で法事のみ