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夏をあきらめきれなくて腰越散歩 義経詫び状萬福寺 21.09.12_14:30


萬福寺と龍口寺とは腰越の街を挟んで端と端。
義経詫び状の萬福寺と日蓮法難龍口寺という鎌倉の歴史を語る上では外せない二寺だが、時代は義経詫び状のほうがかなり早い。


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義経と兄頼朝との確執っていうけれども、源氏ってのは身内で争いごとが耐えない家柄。
そのあたりの結束力が平家とは違うんだけれども、結果勝ち上がって鎌倉幕府を開くんだからどちらがどちらとも言い難いかな。


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頼朝が兄弟や身内とうまくやれる性分なら、源将軍も三代で終わりってことにはならなかったろうに。


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ガキの頃から島流しにあい辛い思いをして育つと、妬みや嫉みが身につくんだろうな。
変に身のこなしが高貴だからたちが悪い。(見たわけじゃないけれど)


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でも、突然身内だっていう人が現れてお兄さんって言われたら、普通かなりビビるだろう。
旗揚げのときはとりあえず仲間がほしいからよしよしってことになるのだろうか?


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時代が時代だから、字が読めてそこそこの立ち居振る舞いができればそれなりの出の人ってことになれるのだろうか?
どのみち、ガサツで勉強嫌いな自分には関係ない話だけれども。


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でも、そんな薄い関係だから、兄弟でいがみ合いが起こるんだろうな。

義経は結局、頼朝に許されないまま鎌倉をさり、平泉で悲しい最後を遂げることになる。

生き延びてジンギスカンになったとかいう話もないわけじゃないが、ちょっと流石に荒唐無稽だ。


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ここ萬福寺で詫び状を書いて沙汰を待っている間も、義経は悪びれていた風ではないみたいなので、腰越にいるときには江ノ島に行ったりしていたのだろうか?
しらすは食ったかな?

流石に江ノ電には乗ってないだろうけど。

風光明媚な場所だからなぁ・・・。
ここで、弁慶とともにどんな暮らしを送っていたのだろう?金はあったのかな?
想像するのも面白い。




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