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確定診断と初回治療

時系列がややばらついていますが、今回は診断を受けた日のことや初回治療のことを書いていきます。
ちょっと長くなると思います。


確定診断を受けた日のこと

年末年始休業を挟むからなる早で!と病院側が配慮してくださり、年末は怒涛の検査ラッシュ。
それを経て2023年1月4日、診察。この日は母にも同席してもらいました。

緊張はしていたものの、ほぼ確定というのは前から聞いていたのである程度の覚悟は決まっていました。

『原発は直腸です』

肺への転移が派手なわりに直腸の腫瘍は小さくて、胃カメラ、PET CTで他にも腫瘍がないか診ていただきましたが、その時点で見つかったのはその2ヵ所。
noteを書いている今もそれは変わりません。

なんだよ腫瘍め、私と一緒でエネルギッシュなのかよ。
ちっちゃいくせに生意気だな。

ぶっちゃけそこからの記憶がおぼろげ。
診察の後は母と遅めのお昼ごはんを食べたんですが、母に気を遣わせるのが辛くて早くひとりになりたくて、自宅まで送ってもらうんじゃなくて途中の駅で下ろしてもらいました。
多分態度酷かっただろうな。余裕なくてごめん。

ひとりで烏森神社へ

その後、がん封じで有名な烏森神社へ行きました。
初詣をしている方も結構いる中、お参りしてお守りを購入。
願い札にお願い事を書いているとき、一気に涙がこみあげてきて大泣きしてしまいました。そこにはあんまり人いなくて良かった。

健康を取り戻す、と書いて結んできました。
私は治療をしっかり頑張るから、神様も応援してください。力を貸してください。

翌週、初回治療…かと思いきや……

私のがんは手術不可。
ただ、『肺の影が少なくなってきたら手術も検討かな』と聞いていました。

抗がん剤治療について、最初は入院して様子を見ながらやっていくものだと聞いたから仕事の予定を調整して、1週間後に入院することになりました。

ところがどっこい。
前日に『必要な検査結果がまだ来ていないから入院をもう1週間先にしてほしい』と病院からお電話がありました。なんてこったい。
確定診断を受けた日に血液検査があったんですね。その中で結果が出るまで時間がかかる、且つ年始や連休の影響でいつもより時間がかかっていたとのこと。

事情はわかるししょうがないけどさ~~
私の仕事も相手がいるものなので度々調整するの申し訳ないし大変なんだよう。

そんなこんなで確定診断を受けた2週間後から入院することになりました。

待ってました、初回治療

入院初日は血液検査のみ。
2日目に抗がん剤治療初回でした。

初回の投薬はアバスチン+イリノテカン+エスワンタイホウでした。
アバスチンは何も感じなかったけど、イリノテカン投与中に足に違和感あり。攣るような感じ。それから舌が回らなくなりました。
エスワンは独特の味。

定時薬はエスワンと、眠前のマイスリー(音がない環境で眠れるか不安だった)。
加えて、副作用でおなかが緩くなるので整腸剤を頓服で出してもらっていました。

思っていたより頑張れるかも

初回の印象はそんな感じ。
当時は副作用がそれほど強くなかったからそう思えたんでしょう。
イリノテカン投与中の足の違和感や舌が回らない感じは30分くらいすれば治まったし、おなかの調子もそれほど困ることはなかったです。

そう思っていたとき、お隣のベッドから話し声が。
お隣の方もがん治療中のようで、看護師さんとお薬の話をしていました。
『最近2回吐いちゃいました』
『気持ち悪くて昨日はあまり食べられなかったのよ』
そんな会話を聞いて、今後が少し怖くなった記憶があります。

入院中、とにかくやることがない

体調も悪くなかったのでいつも通り動きたかったんですが、外出となると手続きが面倒なので病院内で過ごすことに。
入院期間中にオンライン研修を受けていたので、その勉強は捗ったかな。

主治医から事前に『入院は4日くらい』と聞いていたので、そろそろ退院かな~と思っていた矢先『最低でも1週間は入院してもらわないといけない』と…
待て待て、話が違うやんけ。また仕事調整しないといけないやんけ。

そんなこんなで、より一層手持ち無沙汰になったんですね。

病院内でがん情報を発見

妊孕性の件もあり、怖いけど多少一般的な知識を持っておいた方が安心だろうと思い、病院内にあるがん情報の資料が置いてある場所へ。
一般的ながんに関する冊子と、大腸がんの冊子をいただいて自分のベッドに戻りました。

途中までは淡々と見ていたと思うんですが、ステージに関するページを見た瞬間に頭は真っ白。
あ、私ってStageⅣなんだ。
腫瘍は小さいって言ってたけど、手術できないレベルって、もう先は長くないってことか。

そこから食事があまりとれなくなって、ベッドからほとんど動かなくなって、丸まって泣いてばかりの日が4日ほど続きました。
看護師さんが心配してちょいちょい話を聞いてくれてから、病院内のカフェでほっと一息つけるようになったかな。

その翌日くらいに退院が決まって、日常生活に戻れることに喜びを感じつつ、今後に対する不安は大きいままでした。

当時を振り返って、今思うこと

当時の主治医先生に所々ツッコミを入れつつ笑
患者側から動かないと正しい知識を取りに行けないことって多いんですよね。

自分から聞かずにすべてを教えてもらえるわけじゃない。
1つの病気でも情報は膨大でしょうから仕方ない、というか当たり前のことだと思います。
あえて情報を入れたくないっていう患者さんもいますし。

すぐにすべてを飲み込めるわけではないから、見通しを持った情報の整理や入手には時間がかかることもあると思います。私はめちゃくちゃ時間がかかったので、職場の上司の力を沢山お借りしました(これ書いてる最近も相変わらずお世話になっております…なかなか学ばずすみません!)

自分にとって時間をかけるべきだと思えることについてはじっくり考えて、同時に今後の生活に必要だと思う情報・知識は自分から動いて取りに行かないといけないっていう…かなりタフな作業を強いられていますよ、私たち。

だからって自分で全部調べるのは時間もかかるし根性も必要なので、使える資源を全部使うつもりでいるのが1番現実的なんだろうなぁ。
病院のがん相談窓口とか比較的使いやすいですよね。

選択的でない“無知”、私はすごく怖かったです。
自分の病気・病状について知ることも怖かったけど(今も怖いけど)知っていたらこうしていたのに…という事態に陥るのを避けたい。私自身のためにも、まわりの人たちの思いを考えたときにも。

治療を始めたばかりのことを振り返って、大変だったよねぇ…と自分を労いつつ、まぁそれ以降もずっと大変なんだけどね!今もね!ワハハ!みたいな気持ちです笑

以上、確定診断から初回治療までのお話でした。

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