義務という名の運命に出会える日まで
わたしが地域おこし協力隊として活動している熱塩加納(あつしおかのう)という地域は農業が盛んなので、普段から農家に出会う機会はとても多い。
今、移住者向けに熱塩加納町のPRパンフレットを作成するための町の人への取材を行なっているのだが、そのほとんどが農家になる。
町の人の話を聞くのはとても面白く、農業の話から自らの生い立ちや人生哲学に触れると、仕事の範疇を超えて自分の人生観を揺さぶるような出来事に触れることもある。
こないだとある人に取材をした。その人は東京から12年前にこちらに来たいわゆる移住者で、現在は専業農家をしている。50歳ほどだがとても若く見える。田舎に移住して専業農家をしているというからには、元々農業に興味があって越して来たのかなと思っていたが違った。やりたいことをしようと思ったときに、田舎に家を買って住もうと決意をして引っ越し、出会った先で農家さんに「人が少ないからソバ畑をやってくれないか」と頼まれてはじめたそうだ。
だから、最初は農業をやるつもりはなかったそうだ。それが規模が拡大され、今ではソバの他にお米や根菜類やオクラなどさまざまな種類の野菜を手がける農家になった。農業を続けたいですか?と聞いたら「続けたい」と返ってきた。きっと農業を始めたら楽しさにハマってしまったのかなと思ったら、次に意外な発言が出て来たので驚いた。
「野菜作りは天候に振り回されて幅があるから面白いと思うことはあっても、楽しくはない」
楽しくはないと思っているのに、続けたい。その意味について深く聞いてみたところ
「農家の義務は、人を食べさせることだから。誰かはやらないと。だから続けたい」
…義務?
わたしは、自分のこれからの人生は好きなこと、やりたいことをやっていこうと思っている。自分のやりたいことで、もし偶然に誰かの役に立ったり社会に貢献できたらいいかな〜という気持ちでやっていこうと思っていた。それは裏を返せば自分がやりたくない、好きじゃないというものは、選びたくないということでもある。
だから、彼の「義務」という表現にとても引っかかった。楽しくないのなら、「義務」だというのなら、人に頼まれて始めた農業を今でも続けられる秘訣はなんなのだろうか。わたしは義務感だけで仕事をできる自信はない。農業は決して儲かる仕事ではない。作るものにもよって生活が変わるし、育てても病気や天候でうまく育たない可能性もある。でもそこに楽しさを見出してやっている人もいるのだが、彼はそこがドライだった。「農業を続けられるコツはなんですか?」と聞いた。すると答えは
「コツとかではなく続けるしかない。今、誰かはやらないといけない。農家は基本だから。特に周りはやりたがっている人がいない。戻れない。農家の義務は人を食べさせること」
混乱した。自分にはない感覚だった。だから正直に伝えた。
「わたしは自分がやりたいこととか好きなこと、楽しいと思えることをやろうと思っているので、その『誰かがやらないと』という気持ちがすごいです。わたしにはその発想はなかったです」
すると彼は
「俺がやらなきゃ誰がやるんだというカッコイイものでもないんだよね。もっとシンプル。若いうちは社会を変えてやりたいとか、世界を変えたいという気持ち、あるでしょう?でもエゴのためでも、自分のためでもない。社会を変えるためでもないし、世界を変えるためでもない。義務だからなんです」
めちゃめちゃ苦悶の表情を浮かべているわたしに続けた。
「ピンポンという漫画を知っていますか?卓球の。あの登場人物は試合前トイレで必ず吐くんです。プレッシャーに押されて。でも、辞めない。なぜか。義務だからです。自分は卓球で日本一にならなければならないから。そういう義務です」
すると隣で一緒に取材をしていた、10歳上の相方が口を開いた。
「わたしは仕事で町のイベントのチラシや商品のパッケージのデザインとかするんですけど、楽しさもあるけど大変なんです。でも、作るのならちゃんと作ろうと思って手を抜けないんです。ちゃんと作れば商品としてウケるものができるんだよって思ってほしいから。これも義務っていうのに近いと思います。」
確かに相方の、デザインに対する熱量はものすごい。どんなに大変でも自分が納得いくものができない限りは絶対まっこれで良いか〜と完成させない。何度も再考して練り直して、完成させるのだ。それがどんなに町の小さなイベントのチラシだったとしてもだ。単純に好きだからとか技術があるからだとかの話ではない。そこがすごいと思っていた。そしてわたしにはない感覚だなと思って引け目を感じるところでもあった。
「そういうのわたしにはなかったな。自分が好きなもの、やりたいことじゃないと続けられないと思う。だから、義務でやるんだというのが本当に…すごい…月並みだけど本当にすごいとしか言えない…」
すると相方がこう言った。
「それはおりんりん(わたしのこと)にまだできることが少ないからだと思う。できることが増えていけば、もしかしたら自然と義務ってものに運命的に出会えるかもしれないよ」
農家さんもニッコリ笑って言った。
「今は若いからまだわからなくても大丈夫。今のあなたがやることは、いろんなことを経験していくこと。いっぱい笑っていっぱい泣いていろんなことを経験していけば、いつか見つかる瞬間が訪れるよ」
危うく泣くところだった。すっかり忘れているがこれは農家さんへの取材である。わたしの人生相談ではない。でも心に残る時間だった。
まるで中身はチラ見できるのに、鍵がないからまだ開けられないボックスを見つけたような気持ちだった。鍵は、経験値を積むことでしか手に入らないし、開けられない。義務という感覚は楽しいものではないかもしれないし、やりがいとか、新鮮さを感じられるものではないかもしれない。でもきっと悪いことではない。目の前にいる人たちの様子から確信できる。
10代20代のみなさん。この世にはまだ自分たちが見たことのない景色が広がっているようだよ。楽しみだよね。だから、まだこんなもんかと自分の価値観でこの世界を測って決めてしまうのはもう少し先にしておこう。
わたしもそれまで、自分のやりたいこと好きなこと、感覚を信じていっぱい笑っていっぱい泣いて、義務という名の運命に出会えるまで、生きてみることにする。
【追記】公開直前で一回記事を消してしまい、失意の中からもう一度書き直しました。それくらいこの時のことは書き留めておきたかったです。
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