「大家さんと僕」を読んで〜自分と相手との中に共通項を見つけること。
矢部太郎さんの「大家さんと僕」を読んだ。心がぬくいので感想を書きたい。
39歳の「僕」と87歳の大家さんとの出会いと暮らしが描かれている。自分が帰ると大家さんからのおかえりコールが入ったり、雨が降ると洗濯物が勝手に取り込まれたりと、はじめは大家さんの距離感に戸惑う「僕」だったが誘われるがままお茶していくうちに大家さんのチャーミングでユーモラスな人柄に引かれて仲良くなっていく実話が描かれている。色んなことに不器用な「僕」と全く自分のスタンスを崩さない大家さんが面白くて一気に読んでしまった。
人と仲良くなるということは、自分と相手との間に共通項を見つけてそれらにマルをつけることだと思っている。単に趣味が合うとか、家庭環境が一緒だとか目に見えるものではなくもっと感覚的なもので、話す間合いとかセンスとか雰囲気とか。
そんなのが「あっ…一緒だ…!」と感じたとき、自分と相手は一緒だセンサーが反応して自分をさらに深く見せ合うことができるのではないか、そう思っている。Amazonのコレを買っている人はこういうのも買ってます的な感じで、コレが合うということはコレも合うということでは?と互いに感じ取れると自然に結びつきが生まれて、共通項が増えていく。
漫画の中で、この二人の間にマルがつくたびにいいなあと心がぬくい気持ちになった。
大家さんと「僕」は元々からマルをつけられる共通項が多かったのだろうけど、大家さんと住人という関係になった以上は、互いにある程度仲良くしないといけないよねという意識がおそらく互いにあったのだと思う。仲良くなりたい!!!と強い意思で思って仲良くなるよりは、関係悪くしちゃダメだよなというある意味消極的な理由もあった。大家さんは最初から「僕」と仲良くなりたいと思っていたようにも思えるけれど、少なくとも「僕」にとってははじめ大家さんは特別な絆を結ぶ対象ではなく、家賃を納めるだけの相手だった。でも「僕」が大家さんとの共通項を見つけることで、仲良くしなきゃいけないよな…から仲良くなりたい!という気持ちに変わっていった。
SNSが存在するこの世界では、自分とか変わる人間を予め自分の意思である程度選択できるようになっている。
ツイートの内容やインスタのセンスを見て、自分と合いそうな人とは繋がりやすいし、反対に合わなそうな人とはブロックしたりして関わらないようにおくこともできる。簡単にふるいにかけられるから、自分の意思で自分と付き合う世界を決められるSNSはわたしは好きだ。
反対に会社や学校、家庭は自分と合う人間だけで構成することは非常に難しい。運ゲーであり博打だ。そして関わる人間の分母が大きければ、必ず合わない人も出てきたりなんかして、でも必ず顔を合わせなければいけないから厄介だ。わたしは人間関係が閉鎖的になる学校が少し苦手だった。こちらはハブられているのに、係が一緒になっているから話しかけないといけない。卒業できて、大人になって人付き合いの幅を自分で決められることが嬉しかった。
でも、自分が選べない現実世界の人間関係の中で、たまたま出会った人と時間をかけて共通項を見つけていく作業も必要だよなぁと思った。わたしが住んでいるアパートの大家さんや下の階に住んでいる人もおばあちゃんだし、挨拶や町内会費を納めるだけじゃなくてなんか話でもしてみようかな。
現実世界の矢部さんの中で、この漫画の出来事たちはどんどん過去のものになり、大家さんとのエピソードは更新され続けるのだと思う。
本の良いところは1冊の世界で物語が完結し、更新されないところだ。何度でも自分の手で自分のスピードでページをめくり直せる。
本を読み返すたび、大家さんと「僕」は初めましてを迎え、ページをめくるごとに親睦が深まり、最後にはかけがえのない絆で結ばれた瞬間が何度も生まれる。
何度でも読み返そう。何度でも、読み返して大家さんと「僕」を絆で結ぼう。
あとそれから、ゆくゆくはわたしも上品で可愛いおばあちゃんになって、半世紀近く年の離れた人にこういう感じで愛されたいな。
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