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推薦図書『君たちはどう生きるか』

今回はつい最近読み終わった、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の感想と、読みどころについて書いてみようと思う。

僕が読んだのは、株式会社マガジンハウスから発行された新装版である。

そもそもこの本は、日本が日中戦争に向かっている最中に吉野氏によって出版された。
軍国主義が蔓延る国内においても「自分の頭で考えられる人間」に子どもたちが育ってほしいという思いを込めて、筆者はこの本を綴ったようだ。

そのため、この本は「児童向けの哲学書・道徳の書」のような側面があると、付録の解説中で池上彰氏は述べている。

じゃあどうして、戦前の昭和に書かれた児童向けの哲学書が今の時代にも読み継がれているのか。

それは、作者の意図とは外れているのかもしれないが、この本が大人にとっても人生の教材になり得るからだと僕は思う。

この本の構成は、各章ごとに主人公である本田順一くん(通称コペルくん)が体験したことをナレーター視点で語る「物語パート」と、コペルくんを見守る叔父さん(コペルくんの母親の弟)がそのエピソードを通してコペルくんに学んでもらいたいことを書いた「叔父さんの手帳パート」の2つに分かれている。

一部の章には叔父さんの手帳パートが無いが、大筋は「コペルくんが経験したエピソードと、それに対する叔父さんからのアンサー」というスタイルで進んでいく。

本書は一貫して、タイトルにもある通り「あなただったらどうするか」ということを読み手に問うてくる。
「物語パート」が問題文なのであり、それに対する設問(+解答)が「叔父さんの手帳パート」として存在している。


と、僕は読んでいる途中まで思っていた。


しかし、この本の真髄はそこじゃないのでは、と読み進めている間に考えるようになった。

なぜなら、僕はコペルくんよりも遥かに歳をとっていて、どちらかというと目線的に近いのは叔父さんの方であるからだ。

確かにコペルくんが経験したことから学ばなければならないことは、僕にもまだまだある。
そのヒントを、叔父さんは僕らに教えてくれる。

でも、いつまでもコペルくん側の立場に甘んじているわけにもいかない。

僕は、いつか叔父さん側に立たなければならない。

「与えられる・教えられる側」から、「伝える・何かを残す側」に回る時が来る。

その時に、「どんなふうにして子どもや伝えるべき人に向き合うのか」をこの本から学ばなければならないと思った。

つまりこの本は、僕に「君たちはどう生きるか」と問うていると同時に、僕が「君たちはどう生きるか」と問う側の人間になった時のための教科書でもあるのだ。

だからこそ、時代が変わっても、筆者が対象にした子どもでなく大人たちの間でも、この本は長きにわたって読まれているのだと思う。

時代背景や文化的側面が違えど、人としての本質とは何かを考えるためにも、いろんな人にこの本を読んでほしい。


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