【書評】クリアな視線でビジネスを見つめる――『逆・タイムマシン経営論』
欧米企業の成功事例という「未来」を日本に持ち込み、ビジネスに実装する「タイムマシン経営」。ソフトバンクグループの孫正義会長が実践者として名高いが、本書が提示するのはこの真逆をいく理論である。その名もずばり、「逆・タイムマシン経営」。10~40年という近過去にさかのぼり、当時のビジネスシーンで称揚されていた手法や技術を紐解くことで、経営の本質を見極める「目利き力」を鍛える。ここに、逆・タイムマシン経営の効用がある。
「最先端の〇〇」「これからは××」といったように、経済紙・誌では旬の経営手法、技術、事例が日々誌面をにぎわせている。デジタルトランスフォーメーション(DX)、生成AI、リスキリング、ジョブ型雇用など、挙げ始めるとキリがない。もちろん、これらは今後のビジネスを語る上で無視できないトピックである。
しかし、これらを「良いもの」「必須のもの」として無批判に受け入れることは危険だ。なぜなら、こうしたステレオタイプなものの見方は、かえって意思決定を狂わせてしまうからだ。
例えば、「生産性を高めるべく最新のデジタルツールを導入したが、うまく稼働せず生産性が悪くなった」「社員の育成に重きを置くべく研修の時間を設けたら、社員の残業時間が拡大してしまった」など、時流に乗ったことでかえって痛い目を見ることもある。
最新の技術や経営手法は、自社の課題をあまねく解決に導く万能薬ではない。重要なのは経営戦略との整合性。経営者が成すべきは、その手法や技術が長期利益の獲得につながるか否かを、しっかりと見極めることにほかならない。
クリアな視線でビジネスのトレンドの本質を見極める力。そのトレンドが自社の戦略にフィットするかを冷静に判断する力。これらの力は、過去の経済紙・誌の記事を参照し、トレンドの変遷を追うことによって培われる。「逆・タイムマシン経営」とは、言わば真の意味で「歴史に学ぶ」経営なのである。
「同時代性の罠」に気をつけろ!
経営者の意思決定を歪めてしまう原因に、「同時代性の罠」というものがある。具体的には、「飛び道具トラップ」「激動期トラップ」「遠近歪曲トラップ」という三つの罠だ。ビジネスのトレンドには、これら三つの罠が巧妙に仕掛けられていると著者は言う。
「飛び道具トラップ」とはDXやサブスクリプション、ブロックチェーンといった最新の技術や経営手法を、あまねく課題を迅速に解決できる万能薬として捉えてしまうこと。「激動期トラップ」とは、革新的な技術や製品の登場で世の中が大きく変わると誤解すること。「遠近歪曲トラップ」とは、「シリコンバレーには経営の好事例が凝縮されている」といったように、時間的・空間的に遠い事象を過剰に美化してしまうことである。
実際に過去のビジネス誌の誌面を見てみると、「ERPは業革(業務改革)の秘密兵器」(日経ビジネス1996年1月22日号)、「ヘッドマウントディスプレイ 眼鏡端末でねっとも映画も」(同2013年3月11日号)、「シリコンバレーが熱い」(同1996年1月15日号)など、特定の技術や製品、企業事例を持ち上げる記事が散見される。
では、これらはその後どうなったか。ERPは業務効率化のツールとして一部の大企業で導入は進んでいるものの、当時のようにビジネスシーンを席巻する勢いはすでに失われている。それは「システムにあわせて組織構造や業務プロセスを変革する」というERPの本質を理解しないまま導入を進め、結果頓挫してしまった企業が後を絶たなかったことが原因だろう。
ヘッドマウントディスプレイへの期待感を一気に引き上げた「グーグルグラス」も、2015年に開発中止が発表。普及に至らなかった原因として、プライバシー侵害へのリスクをうまく解消できなかったこと、そもそもスマートフォンが広く普及しているなかで、眼鏡型端末にスマホのような機能を搭載する意義がないことが挙げられる。
シリコンバレーもグーグルやアップル、フェイスブックなど世界規模で事業を手がける巨大企業を多く輩出した一方、経営に失敗し早々に事業を畳んだ会社も多く存在する。シリコンバレーにあるからといって、すべての企業がイノベーションやブレイクスルーを生み出しているわけではないのだ。
「文脈思考」で三つのトラップを回避
前述した三つの事象は、それぞれ「飛び道具トラップ」「激動期トラップ」「遠近歪曲トラップ」の具体例である。では、こうしたトラップを回避するべく、ビジネスのトレンドの本質を見極めるにはどうすればいいのか。重要なのは「成功事例に埋め込まれている文脈に着目すること」「対象となっている企業の実態と経営の中身をよく見ること」であると著者は言う。
前述の事例で言えば、ERPで業務改革を実現したのは、システムにあわせて組織構造や業務プロセスを変革した企業だった。裏を返せば、実際の組織体を維持したままERPを導入した企業は、度重なるカスタマイズや既存システムとの併用を余儀なくされ、結果、コストの増加や業務効率の悪化を招いてしまった。
「組織をERPにあわせる→ERPを実装する→業務改革を実現」という論理の流れ、すなわち文脈に着目すればERPが効果を発揮するための条件は一目瞭然のはず。ERPで失敗する企業が続出したのは、ERPが経営戦略に埋め込まれた文脈を無視し、「ERPを導入しさえすれば業務が効率化される」と飛び道具として認識してしまったからにほかならない。
スマートグラスも同様だ。スマートグラスが早々に姿を消したのは、技術面だけフィーチャーされ、ユーザビリティーという文脈を軽視した結果である。シリコンバレーの例は言うまでもない。ケーススタディーはあくまでも個別企業に着目すべきで、集積での分析は意味をなさない。付言すれば、個別企業の戦略に埋め込まれている文脈を分析することではじめて、自社への応用が可能となる。つまるところ、経営戦略は「点」ではなく「線」で見よ、ということだ。
このほか、本書ではビジネスのトレンドを見極めるためのメソッドが網羅的に紹介されている。稀代の経営学者と社史研究家が上梓しただけあって、ロジックの頑健性と主張の説得力は抜群。経済紙・誌を読む上での副読本として、手元に置いておきたい一冊だ。
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