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友情にとても近い気持ち

「はこべちゃん? はこべちゃんなの?」

 最後にお会いした時、私は小学生の終わり頃だったろうか。中学生になっていただろうか。いずれにしても、何十年も前の事だ。

「はい。はこべです。ご無沙汰しております」

「うわあ! 面影がある! 変わっていないわね!」

 十二歳やそこらの頃と、あと数年で五十歳を迎えようとしている今とで、私が変わっていない筈がない。でも、もしかしたら、本当に変わっていないのかもしれない。

 だって、最後にお会いした時、今の私よりもずっと若かったその方は、今は七十歳を超えているはずだ。なのに、あの頃とお変わりない。

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 その方と私の関係性を、どう説明したら良いのだろう。

 一言でいうなら、私にとってその方は、「親の仕事関係の人」だ。

 もう少し詳しい説明を求められても、「子供の頃、親の仕事の関係で開催された、家族ぐるみの集まりでお会いして、遊んでくれた大人の人」という説明しか出来ない。

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 どういう流れで、その集まりが開催されて、我々家族がそこに参加する事になったのかは、よく覚えていない。何故か、父の仕事関係の人も、母の仕事関係の人も居た。

 両親に聞いても、そう言えば、そんな事があったね、あれはどうしてあんな事になったんだっけ? と、首を傾げる。何十年も前の事だ。詳しい事はふたりとも覚えていないようだ。

 何にせよ、大人になってから思い返してみれば、両親にとっては、仕事関係の人との集まりだった訳だ。ふたりとも笑顔だったし、楽しそうにしていたけれど、どこまでその場を楽しんで過ごしていたのだろう。

 その問いは、何だか聞きにくくて、聞けずにいる。子供だった私にとっては、野外でご飯を食べるというその集まりが、単純に楽しい時間だったから、余計に。

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 その集まりに、我々姉妹以外の子供達が参加していたかどうか、覚えていない。参加していたとしても、多分、私は、大人とばかり話をしていたのだろう。

 生まれ育った町から引っ越して、そんなに時間が経っていなかった。学校でうまく友達を作れずにいた。

 その場所に居た大人達は、みんなが私達に優しかった。誰に話し掛けても、誰もがたくさん話を聞いてくれて、嬉しかった。有頂天になったと言ってもいいかもしれない。

 その方は、その集まりの中でも、特にお洒落で、綺麗で、華やかだった。当時は三十代で、独身だったと思う。

 私や妹達の取りとめの無い話に、笑顔で耳を傾けてくれた。口数は少なかったけれど、時折いたずらっぽく光る、きらっとした目が印象的だった。

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 我々姉妹の態度が、馴れ馴れしすぎたのかもしれない。帰宅してから、母に釘を刺された。

「ああいう場所ではね、周りの大人達は、みんな、あなた達に気を使ってくれているのよ。あなた達に話しかけられたら、本当はそれがどんなに興味の無い話でも、にこにこして聞いてくれると思う。でもね、興味の無い話を、にこにこ聞くのって、辛い事なのよ」

 正論だ。大人になり、仕事上の人間関係、というものが、どういうものだか理解した私には、とてもよく分かる話だ。

 ただ、子供だった私が、そう言われて、悲しくなったのも、仕方がないと思う。あんなに楽しくお話ししたのに、楽しかったのは私達だけだったの?

「あなた達にとっては遊びの場所でも、大人達にとって、あの場所は、お仕事の場所でもあるの。あなた達が自分の話を一方的に聞いてもらおうとするのが、ご迷惑になる時だってあるのよ。その事を、ちゃんと分かっていなくちゃ駄目よ」

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「あの時は、楽しかったわね」

 数十年ぶりにお逢いしたその方は、遠くを見る眼差しをした。沢山の陽射しが入る、明るいこの町のカフェで。

「そうですね」

 私は短く答えた。

 はい、私はあの時、楽しかったです。私と同じくらい、あの時、あの時間を楽しんで下さったのでしょうか?

 その方は沢山の話をした。私はじっと聞いていた。あの時と逆だ。

 今、その方は、遠くの町で暮らしているそうだ。七十代の今も、お仕事をしていらっしゃるらしい。この町にとても久しぶりに立ち寄ったのも、お仕事の関係で、という事のようだ。

 あまり立ち入った話はしなかったけれど、あの後、ご結婚をされたという事も、お子さんには恵まれなかったらしいという事も、風の便りには知っていた。

「あの頃のあなた達が、私にとってはリアルなのね。今、こうしてお会いできたのは、夢みたいよ。目の前にいるのに、夢の中の人に見えるわ」

 その方は、遠い目のまま、そう言った。

「そうなんですか」

 私は笑顔で、でも、それしか言えなかった。

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 ああ、きっと、あの時間を、私達と同じくらい楽しんで下さったんだ。それは本当の事なんだろう。

 私も結婚はしたものの、子育ての機会には恵まれていない。姪や甥や友達の子供に対しての思い入れは、多分、子供が家に居る人よりも深い。

 私が姪や甥や友達の子供に持つような気持ちを、その方も私達に持って下さっていたのかもしれない。

 そんな気持ちが胸の中でぐるぐると渦巻く。でも言葉に出来ない。

 その方は、私を見ていない。私の後ろにいる、子供の頃の私を見ている。

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 お会いしたのは、短い時間だった。一時間程度だっただろうか。

 多分、もう、お会いする事は無いかもしれない。今のお仕事は、もう少しでひと段落するところで、それが終わったら、この町を訪れる事は無くなるというお話だった。

 それでも、お店を出て、別れ間際に、私は言った。

「では、また! そう言わせて下さいね。またお会いしましょう」

 その方は目をきらっとさせて、まっすぐ私を見た。そして手を上げた。

 ハイタッチを交わして、そして、背中を向けた。何度か振り返って、手を振った。手を振り返してくれるその方が、見えなくなるまで。

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 もっと違う出会い方をしたなら、友達になれたかもしれない。そんな事を思うのは、おこがましい事だろうか。

 その方は「親の仕事関係の人」で、私は「仕事関係の人の子供」だ。ほんのひと時、一緒に楽しい時間を過ごした事がある。それだけだ。

 だけど、ほんのひと時、お会いできて良かった。

 私が夢の中の住人なら、一緒に過ごした時間が、その方にとっていい夢でありますように。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。