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きっと、未来は

 平成、という元号を初めて聞いた時には、奇妙な感じがした。

 そもそも、昭和が終わる、という事が、イメージできなかった。

 だって、私が生まれて生きてきた、これまでの間、ずっと昭和だったんだよ。それどころか、私の両親が生まれて生きてきた、これまでの間だって、ずっと昭和だったんだよ。私の両親が生まれるずっと前から、ずっと昭和だったんだよ。

 それに、平成って、元号って感じがしないよね? 明治、大正、昭和にくらべると、厳かな感じがまるで無いし、へいせいって言葉の響きも、何だか変だよね?

 元号が変わる時、高校生活が終わろうとしていた。なのに、そんな幼い感想を持つくらい、本当にぴんとこなかった。

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 もちろん今では、平成という元号に、すっかり馴染んでいる。四十七年の人生の中で、昭和だった時間は、たったの十八年だ。平成になってからの方が、ずっと長い。

 ざっくりと言えば、昭和は私が子供だった時間、平成は大人になってからの時間、と、言えるかもしれない。

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 夫に出会ったのは、平成になってから、一年か二年が過ぎた頃だった。ただの知り合いだった彼が、片思いの相手になったのは、元号が変わってから四年目の夏だった(まあ、実際には片思いでは無かったようなのだけど、その時は分からなかったので)。

 九年交際して、結婚して十六年が経ち、四半世紀一緒にいる。平成の時間のほとんどを夫と過ごしてきた。

 その間には色々な事があった。

 学生では無くなり、仕事に就き、社会の理不尽を知り、お酒を少しずつ飲めるようになり、挫折をし、挫折をした事で何かを得て、少しずつ仕事の責任が重くなって。

 結婚し、何度か引っ越しをし、友人を喪い、友人を得て、旅をする機会が増え、天変地異が起き、人生観が変わって。

 コウノトリがやってきたかと思えば、引き返して去って行き。

 自暴自棄になり、祈り、諦め、自分と折り合いをつける事を覚えて。

 多くの人が、大人になってから経験するような事を、私も経験してきている。そして、多くの人が、大人になってから経験するような事を、私は経験していない。どちらも、多くの人と同じように。

 特別ではない、ありふれた、平凡なひとりとして、そして同時に、世界にひとりだけの、オリジナルな自分自身として、大切で、かけがえの無い時間を過ごして来た。

 そして、気が付いたら、人生の折り返し地点を過ぎている。

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 残りの半生を一緒に過ごす元号は、どのようなものになるのだろう。

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 子育ての機会を持てずに人生を折り返した私は、年齢的な事を考えると、この先も、子育ての機会を持つ可能性は少ないだろう。

 無いだろう、と、書くべきなのかもしれない。でも今は、まだそうは書きたくない。宝くじよりももっと低い可能性について、まだ今は、思いを巡らせてしまうから。

 子供を大好きな夫が、自分の子供と遊ぶ姿を見たいな、と思う。見たかったな、には、まだ出来ない。

 普段は何事もなく過ごしているけれど、ふとした拍子に傷口が開く日もある。同じ傷を抱える夫の前で泣く日もある。

 だけど、ふたりで過ごす時間はかけがえが無い。くだらない冗談を言い合って、笑う時間が大好きだ。初めて出会った時から、今までずっと続いてきた元号が変わっても、この先も、きっと。

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 近頃、平成生まれの若い人と話す機会が、少しずつ増えてきた。

 若い人と話をする時、不思議な気持ちになる。

 ああ、この人は、私の子供でもおかしくない年齢なんだな。そう思うと、なんだか楽しくなってくる。

 今の若い人が、みんな、そうかどうかは分からない。でも、私が会って話をした若い人達は、総じてしっかりしていて、色んな事を深く考えていて、そして、フラットな人達が多い。

 自分の親よりも年上かもしれない私にも、物怖じしないで、親しみを込めて、でも、真摯に話をしようとする。

 少し前の私だったら、年齢や立場に縛られて、自分の半分以下の年齢の人とフラットに話す事は、なかなか出来なかったかもしれない。でも、何人かの素敵な若い人達との出会いが、私を変えてくれた。

 こんな若い人達がたくさん居るなら、きっと、日本の未来は明るい。

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 次の元号の発表を聞いたら、きっとまた、奇妙な感じを受けるだろう。平成生まれの若い人なら、尚更だろう。親御さんも平成生まれの子供たちにしてみたら、平成が終わる、という事自体が、今はイメージできないかもしれない。

 奇妙な感じを受ける元号に、だけど慣れて、馴染んで、そして三十年が経つ頃には、どんな世界に、どんな日本に、どんな私たちに出会えるだろう。

 でも、きっと、未来は明るい。

 この三十年で、変わった事もあれば、変わらなかった事もある。

 ニュースは三十年も経つのに変わらない辛い事や、三十年が経って変わってしまった悲しい事を取り上げがちだ。憤る日もあれば、泣く日もある。

 だけど、三十年を経て生まれた素晴らしいものや、三十年前から変わらない素敵なものもたくさんある。新しい朝の光は、いつだって美しい。平成という時間を、大人として過ごしてきた私は、その事をよく知っている。

 だから、きっと、未来は明るい。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。