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ゴブガリータで乾杯しましょう

 友人が結婚した。嬉しくてたまらない。

 久しぶりに、友人達と食事をする機会を持つ事になった。新婚の彼の参加を聞いて、惚気話をお酒のつまみにするつもりになってしまったのは、許してもらいたいところだ。

 だって、四十代も半ばを過ぎると、結婚のお知らせを聞く機会は本当に貴重なのだ。

 この頃は、友人同士で集まると、恋愛話よりも健康話で盛り上がる事が多い。勿論、体のメンテナンスは重要だから、健康法についての情報交換は大事だ。

 でも本当は、幾つになったって、血圧や骨密度や体脂肪の話で盛り上がるより、幸せな人の幸せな話で、盛り上がりたいじゃないですか。

 彼自身も、つまみにされる覚悟はあるらしい。うんうん、それなら遠慮はいらないよね。大いに惚気を聞かせてもらわなくちゃ。

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 お店に到着したのは、私が最初だった。

「四名様ですね。お待ちしておりました」

 四名で予約している筈のテーブルには、何故か五つの椅子があった。

 予約を入れたのは私だ。席に着いて、そっと周囲を見回す。

 ああ、そうか。隣のテーブルも椅子は五つなのか。その隣も。

 それぞれのテーブルは長方形で、向かい合わせに椅子が四つ。お誕生日席に椅子がひとつ。もうひとつのお誕生日席に当たる場所は窓際で、椅子は置けない。窓の向こうは夜景が広がっている。

 つまり、椅子が五つあるのは、特に意味のある事では無いのだ。

 このお店は、四名の予約であれば、常に、五名掛けのテーブルに席を取っておく、というだけの事なのだ。

 そう、それだけの事なのだろうけれど。

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 集まったメンバーとは、知り合って二十年くらいが経つ。

 きっかけになったのは、その内のひとりが運営していたウェブサイトだった。創作系のそのサイトは、デザインも、掲載されている作品も、全てが私好みだった。そこに集まる人たちも、波長の合う人たちばかりだった。

 おずおずとした「掲示板」のやり取りは、メールでの会話に発展し、ふとしたきっかけから、何人かとリアルでも顔を合わせるようになった。そこに、私の夫や、私の同級生夫妻も合流する形で、折々に集まるようになり、気が付くと、二十年くらいが経過している。

 新婚の彼、Rさんは、その集まりの中でも、中心的な存在のひとりだ。

 二十代の頃から「愛されて五十年」というキャッチフレーズを持っている。学生時代に、何かの場面で挨拶を求められて、困った挙げ句、咄嗟に「愛されて五十年」と名乗った事が由来らしい。

 長身で細身で、眼鏡を掛けていて、一見クールで、いかにも切れ者という雰囲気を漂わせている。なのに、実はかなり天然で、周囲から何かと突っ込まれては、よく、困った顔をしている。

 周囲から突っ込まれるのは仕方が無い。クールな外見に似合わない、愛らしい発言をするRさんを、みんな構いたくなるのだ。突っ込まれた時に、クールな顔を崩して、八の字眉で困る様子が可愛らしいから。

 年齢は、私よりも五歳くらい下だ。四十歳を過ぎての五歳差は、ほとんど無いに等しい。でも、知り合った二十代の頃、五歳くらいの差というのは、かなりの年齢差に感じられた。だから、四十代になった今でも、母のような姉のような気持ちで見てしまう。

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「さて、お酒はどうしましょうか。四人なら、ボトルでワインを頼んでもいいかな」

「そうだね。四人ならね」

「Rさんは、白ワインがいいんですよね?」

 知り合って二十年だ。それぞれの好きなお酒は、みんな把握している。

「え? はい、そうですね、どちらかというと、白の方が。後は、スパークリングとか」

 Rさんからは、真面目で素直な返事が返って来た。

「じゃあ、白にしましょう!」

「いいですねえ。Rには、なめらかに語ってもらわないとな」

「賛成。白ワインをボトルで頼むという事で」

「え、ああ、そういう事ですか」

 何故わざわざ好きなお酒を聞かれたのか、Rさんはようやく理解したらしい。

「R、今日の集まりの趣旨は何だか分かるな?」

「Rさん、私、幸せなお話を聞かせて頂くのを楽しみにして来たんですよ」

「悪いね、R。うちの奥さんからも、話を詳しく聞いてくるように、厳命されてるんだよね」

「いや、まあ、覚悟はしてきましたよ」

 八の字眉になりながらも、Rさんは少しだけ胸を張った。

「いい心がけだ」

「よし、それじゃあ、語ってもらうよ」

「で、新生活はどんな感じですか?」

 Rさんは、奥さんとのエピソードを語り始めた。聞かれるままに、真面目に素直に語る様子を見ていても、奥さんとのエピソードそのものを聞いていても、勝手に顔が笑ってしまう。

「いいねえ」

「キュンキュンするねえ」

 気が付くと、突っ込み役のふたりが、釣られて奥さんの惚気を語り始めていた。人の惚気話が大好物の私としては、願ったり叶ったりの展開だ。そんな私も、釣られて夫の事を惚気る羽目になったけれど。

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 今日、この席に居るはずだった人にも、Rさんの惚気を聞かせたかったな。

 今日、この席に居るはずだった人の惚気も、聞きたかったな。

 四人で予約したはずのテーブルには、五つの椅子がある。本当は、五つ目の椅子も、座っている人が居るはずなのに。

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 今回の集まりに来られなかった人は、何人か居る。私の夫もそうだし、私の同級生夫妻も、都合が合わなかった。

 そして、もうひとり。

 新婚のRさんと同じく、私の五歳くらい年下の、どこか弟のようなあの人。

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 この集まりは、突っ込み役に徹するタイプの人が多いけれど、一番突っ込みの切れ味が鋭いのは誰かと聞かれたら、全員の答えが一致する。

 この場に居ないaさんだ。

 あまりの突っ込みの鋭さに、「アイスピック」と呼ばれている。

 いつも穏やかな優しい顔で、人の話をじっと聞いている。その様子だけを見ていると、あだ名が「アイスピック」だとは、想像がつかないだろう。

 だけど、ふとした瞬間に、急に相手にまっすぐ体を向けて、短い言葉で、すぱん、と、断ち切るようにものを言う。人差し指を立てて、相手の目をまっすぐに見て。

「それは、自業自得、というものだ」

 言われた相手は、目を泳がせて絶句する。周囲は「さすがアイスピック!」と、大笑いする。

 本人は穏やかな真顔を崩さない。時々、いたずらっぽく、きらっと、瞳を輝かせたりはするけれど。

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「aちゃんが居たら、どれだけ喜んだだろうね」

「aちゃんに聞かせたかったね」

「でも、aさん、絶対に聞いていて、喜んでるような気がするんですよね」

 そう、aさんがこの場に居たら、人差し指を立てながら、新婚のRさんに、誰よりも切れ味鋭く突っ込みを入れて、更なる惚気を引き出したに違いない。Rさんも八の字眉の困った顔をしながら、真面目に素直に、aさんの突っ込みに答えたに違いない。

 Rさんの惚気を聞きながら、きっと、穏やかな優しい真顔で、幸せそうにしていた事だろう。aさんのその顔が、目に浮かぶのだ。

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 aさんは多才だった。絵も、文章も、漫画も、詩も書く人だった。

 どれもこれも、レベルが高かった。単純に、いちファンとして、作品を楽しんで、感想をメールで送ると、とても喜んでくれた。

 作品を読んだり観たりすると、いつも穏やかで冷静な印象のaさんが、実はとても熱い人だという事が、よく分かる。

 特に印象深いのは、aさんの個人サイトに一時期掲載されていた、背中に羽をもつ少女の絵だ。少女はこちらに顔を向けて、瞳を閉じている。簡略化された線と、淡くて深い色づかいから感じられたのは、ひとことで言うと、抑制された情熱、というものだった。

 私はとても感情の起伏が激しく、自分でその激しさを持て余している。思った事が全部顔に出て、涙もろく、お調子者の自分が時々嫌になる。だから、熱さを自分の内側に抱えながらも、いつも理性的で冷静なaさんが羨ましく、そうなれたらいいのにな、と、常々思っていた。

 いつだったか、その事を書いて送ったら「清水さんには頭が上がりません」という返信が返って来た。

「自分は、清水さんが羨ましいです。どうしても理性に引きずられてしまう自分がもどかしいのです。感情に素直に生きられたらいいなと、常々思っています」

 その返信には、とても驚かされたけれど、でも、何故か励まされた。

 今でも、励まされ続けている。

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 aさん本人と、最後に言葉を交わしたのは、四年前、……いや、もうすぐ年が明けると、五年前になってしまう。

 結婚したという事は、SNSで薄々知っていた。正式なお知らせを心待ちにしていたら、年賀状が届いた。

 結婚のお知らせを兼ねた年賀状は、新郎新婦が、タキシードとウエディングドレスで、南の島の砂浜でジャンプしている写真だった。

 あの理性的で冷静なaさんが、何て可愛らしい!

 夫も私も、写真を見て、とても幸せな気持ちになった。幸せな気持ちのままに、おめでとうのメッセージを送り、返事が返ってきた。

 結婚するまでは、晩酌の習慣が無かったというaさんは、結婚してからは奥さんと毎日晩酌をしていて、それがとても楽しいのだという。

 詳しくは書かれていなかったけれど、奥さんと巡り会った事で、感情に素直に生きられるようになったのだろうな、と、想像できる文面だった。

 次に会う時には、その辺のところを、もう少し詳しく聞かせてもらわなくちゃ! 楽しみだなあ。

 そう思っていたのだ。

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 当時は独身だったRさんが、悲しい内容のメールを送って来たのは、その年の夏が始まろうとしている頃だった。

 aさんが亡くなったのは、桜が咲くか咲かないかの頃だったらしい。

 あんなに幸せそうなメールの返信をもらってから、そんなに時間が経っていなかった頃。何も知らずに、次に会える機会を、心待ちにしていたのに。

 あまりに突然の出来事で、ご家族も悲しみが深く、家族葬が終わってから、かなり時間が経つまで、周囲に知らせる事が出来なかったと聞く。

 聞いた瞬間は信じられなかった。

 本当の事だと認識して、衝撃を受けて、涙が止まらなくなったあの日。あれから五年近くが経過して、だけど、それでも。

 今でもどこかで腑に落ちていない。

 惚気話を聞かせてもらうはずだったのに。

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「それではRに、もうひとつ、何か新婚のエピソードを語ってもらおうか」

「もうひとつ?」

「幾らでもあるだろ」

「まあ、無い事も無いですけどね」

 話題が悲しい方向に傾いたところで、aさんの次に突っ込みの切れ味の鋭い人が、話の矛先を、Rさんに向けた。

 Rさんは、本当に真面目で素直で微笑ましい。困った顔をしながら、奥さんをどんなに大切に思っているのか、丁寧に答える。その様子に、その場に居た全員が、幸せな気持ちになった。

 あの人も、どこかで話を聞いているだろう。そして、幸せな気持ちになっているのだろう。何の根拠もなく、そう信じられるくらいに。

 ねえ、そうでしょう、aさん?

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 aさん。

 いつだったか、いつものメンバーで、お酒の種類が豊富なお店で飲んだ時の事、覚えていますか?

 何かのきっかけで、みんなそれぞれ、好きなお酒の話をしましたね。確か、aさんが、シングルモルトウィスキーをお好きだというところから、そんな話になったような気がします。

 私、その頃、マルガリータってカクテルに、はまっていたんですね。少し強いけど、さっぱりしていて、グラスのふちについてる塩が、ちょっとアクセントになっていて、美味しいお酒。

 でもね、グラスのふち、全部に塩が付いていると、最初のひとくち目がしょっぱ過ぎるんですよ。だから、私は、塩をつけてもらうのは、グラスの半周だけにしてもらってるんです。

 そんな話をしたら、aさんが人差し指を立てて、真面目な顔で、私に向き直ったんですよね。

「つまり、五分刈りーた、って事ですね」

 ああ、ごめんなさい。私、aさんのあの発言の面白さを、再現する事が出来ません。あの真面目な顔、そして、あの間!

 私が爆笑してしまったら、真面目な顔は崩さずに、でも、少しだけ眼をきらっとさせて、ほんの少し得意そうにしていた事も、忘れられません。

 あれから随分時間が経ってしまった今も、多分、この先も、ずっと。

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 そちらの時間の流れは、きっとこちらとは違っているのでしょうね。

 こちらの時間で言うと、あと百年くらいしたら、もう一度、あの時のメンバー全員で集まる事が出来るんじゃないかと思います。

 笑ってますか? 随分先の話ですものね。でも、もしかしたら、そちらの時間で言うと、あっという間なのかもしれませんね。

 遠い未来だとしても、あっという間だったとしても、いつか、もう一度みんな揃って、集まる事が出来たなら。

 その時には、是非、ゴブガリータで乾杯しましょう。

 こちらで聞く事の叶わなかった、幸せな話を、どうか聞かせて下さいね。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。