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ナチュラルワイン ー ワインの「自然」な姿への探求(その1)。 

ここのところ、やたらち"ナチュラル・ワイン"の表記を目にすることが増えた。巷では、ナチュラルワインを提供する飲食店が増殖を続ける。
大阪の天満や福島あたりでは「ナチュラルワインしか置いてない」と言われることも多くなり、クラッシックなスタイルに馴染みのある世代には、ちと世知辛い世の中になってきた。
・・・果たして、ナチュラル・ワインとはなんぞや?
そんな疑問が頭をよぎる中、自分なりの考察の果てに辿り着くその先まで続く道のりをここに記します。


多様性の時代にみるナチュラルワインと飲食店との関係

ナチュラルワインと向き合い続ける北摂のこだわりのお店も極狭スペース

バブル期最後の輝きの中で社会人になった私。当時「ワイン」といえば、高級・高尚・高価の三髙イメージがあり、高級ホテルやグランメゾンでソムリエが給仕してくれるもので、ウンチクや食との相性を知る大人の嗜み的印象が強い。2003年にワインエキスパートの資格を取得した際も、フランスのボルドーやブルゴーニュの畑名やAOC…から抜け出すのに苦労した記憶しかなく、ワインの産地と名物料理を掛け合わせる公式のようなうんちくのベースを学んでいった記憶がある。

伝統的なワインの学びがワイン全体の解像度を上げてくた

ナチュール・ネイティブな人たちの受け皿となる今どきのお店たち

あれから20年ほどで、大きく変容した日本の社会。昭和、平成から令和と時代が移りかわり、新い価値感がどんどん生まれ、古いそれと入れ替わっても違和感がなくなってきた。
生まれながらに携帯に触れ、さまざまな情報がネット上に溢れる「デジタル・ネイティブ」世代が社会人となり、「タイパ」「コスパ」など、とにかく効率化していく流れでさまざまなものがカジュアルに。そんな潮流はワインを取りまく環境にも大きく影響しているように感じる。
「生まれて初めて飲んだワインがナチュラル・ワインだった。」そんな20~30代の若者が増えている。「ナチュール・ネイティブ」と呼ばれる彼らは既成概念にとらわれずに多様性の中でワインを受け止めているようだ。

エチケットのデザインも古典ワインとははっきりした違いを感じる。

彼ら世代を受け止める飲食店も、格式ばったものから個人経営でシェフの顔が見える規模感のお店が増え、立ち飲みビストロ的な飲み屋もあちこちに。そこで揃えるワインも、今までのようにワインリストを眺めるのではなく、グッとカジュアルなスタイルで提供できる。
わかりやすい果樹味や新鮮で柔らかいフレッシュさが売りのナチュラルワインでは、専門のスタッフも・・いるに越したことはないが、ワインの知識がなくても感覚的な対応で十分事足りる。
古典派ワインのように長期保管して"熟成"させる必要はなく専用のワインセラーを設置する場所もいらない。
SNSのおかげで「知る人ぞ知る」場所でも簡単に辿り着けるようになっ今、飲食店の立地は、路面の一等地ではなく賃料の安い裏通や穴場エリアにこじんまりとした物件のバル的酒場が次々にオープンしている。
初期投資を抑え広さ的に制限のあるカジュアルなスタイルの飲食店側から見ても、ナチュラルワインを取り扱う事情が見えてくる。

高級な「洋酒」から日常のアルコール飲料へ ー双方向のコミュニケーションがポイント?

大阪の福島では古典派とナチュラルワイン両方選べる店があるのは嬉しい

『ハレ』の日のワインから『日常消費』に近づいたナチュラルワインたち。
ナチュラルワインの作り手側も、従来は重宝されてこなかったマイナーな葡萄品種を取り上げてみたり、原産地呼称制度にのっとったルール外で"自分たちらしさ"を表現しようとさまざまなチャレンジを続けている。

ワイングラスも、ワインラベルも・・既成概念にとらわれないスタイル

それを一番具現化しているのが、ナチュラルワインのボトルのラベルの華やかさではないだろうか。おしゃれで、可愛く、ちょっとしたアート作品を発表する新い”場”のようにも感じる彼らのラベルは今まので伝統的表現とは一線を画していて、これも間違いなく若者たちにナチュラルワインが支持されるポイントだと思われる。

立ち飲みバルでもワインも立派なコミュニケーションツールに

酒場で知識とウンチクを一方的に披歴する、自称ワイン通の私のようなおじさん(おばさん)たちと違い、自由に多様なワインを楽しんでいる若者たちの会話に聞き耳を立てると、店のスタッフからだけでなく双方向のコミュニケーションを楽しんでいる姿がある。

ナチュラルワインと「食」と「場所」の新たな可能性

食合わせの自由度が高いナチュラルワインなら、イベントにも使えます。

ナチュラルワインに新たな可能性を、しっとりした風味とソフトで柔らかい果実味など、その味わいに感じる。
法的根拠の下で原産地を名乗れ、ブランドとしても守られてきた古典派ワインは、定められた葡萄品種を使って『産地の個性』を表現する縛りがある。その分、前菜やメイン、チーズやデザートとコース仕立ての欧州スタイルに「このワインならこの料理と合わせて・・」などの公式のような合わせ方が基本となる。(その先の応用編は、それぞれの飲み手の楽しみであり醍醐味でもあるが・・)
その点、ナチュラルワインは、その『産地の個性』の縛りがない地品種を使ったり、作り手の考えや個性が反映される分、ワインの味の輪郭が柔らかい。だからこそ、たとえば多くの料理を一度に食卓に並べ各自の好みで食べ進める日本のスタイルや、比較的古典派ワインが苦手をするスパイスや香辛料の効いたアジア料理にも合わせやすい。
ナチュラルワインの、カドの取れた酸味や渋みなどは京都や関西の淡い出汁の旨みとの相性はとてもいい。
そうなると、一気にナチュラルワインの可能性・・というか妄想が広がる。
たとえば、私が不定期に開催している「偏狂イタリア美軸を楽しむ会(イタリア万年筆を自由に使って勝手に書いて描いていただく集まり)」など"大人な人脈づくり"や"学びの場"でも、簡単なつまみとナチュラルワインを合わせて提供すれば、双方向のコミニケーションがさらに進み会話にも広がりを持たせられる?

次回のnoteでは・・・

とにかく、昭和生まれのワイン好きおじさんが、巷で増殖するナチュラルワインと「ナチュール・ネイティブ」を横目に見ながら、気付いた点を推測ししてみた今回のnote。
次回は、そんな私が「もう少しナチュラルワインについて学んでみよう」と思い立ち参加したナチュラルワインのインポーター主催の勉強会での新たな気付きと学びを報告したいと思います。







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