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誰がぼくらのまちをつくるのか

私は「まちづくり」と呼ばれる分野でコンサルのお仕事をしていた。もう少し具体的にいうと、都市計画とかランドスケープとかの分野になる。

いわゆる都市計画的な「まちづくり」の分野では、行政の立ち位置から公園を作ったりするお仕事が多かった。時に「ワークショップ」というものをしながら、「参加者の皆さんにこれからのまちを考えていただく」のである。仕事とは言え、他所からやってきておいて、この立ち位置、とっても図々しいので毎回初回のワークショップは胃が痛い。

ワークショップをするときは、適当にやっているようで(たまに本当に適当にやってる場合もあるけど)綿密にその回その回で議論することを行政側のご担当と話し合い、落とし所が見つかるように議論し、ワークショップの企画書を練り上げていく。
これが疎かになったり、どこか別の自治体さんの使い回しになると、うまくいかない。すぐに参加者の住民さんに見抜かれてしまって、結構突っ込まれたり、最終的に何となくそれっぽいもので終わる。
「何となくそれっぽい」を言葉で言い表すのは難しいけれど、やってる側からすると、まあ、そういう感じです。

「それっぽい」は、誰かキーパーソンとなる人(時に私自身)が、向き合うべき場所や物事に向き合っていない時に「これくらいでいいでしょ」と思った時に生まれやすい。
ちゃんと見てない、聞いてない。のである。結構単純だ。
時間とお金(と体力)は有限なので、仕事に追われれば追われる状況であるほど、「これくらいでいいでしょ」を量産せざるを得なくなる。
仕事であれば、その「これくらい」の精度をいかに上げていくかということになるんですが、それについては今回話したい主題ではないので、また別の機会に。

ちょっと、話は戻って、そうやって行政が税金を使って「考え」たり「市民の方に考えてもらったりすること」が「まちづくり」だと私は思っていた。
そんな折に、下妻で「デザインミーティング」という市主催の勉強会があって、仕事のご縁で私も参加させてもらうことにした。参加してみて一番衝撃だったのは、4万人の人口の街にざっと100人近くの「街について考えたい参加者」がいるってことだった・・・。

この人たちが、実際に街をつくってるし動かしているんだ。と圧倒された。

その後、このミーティングをきっかけに、「下妻の良さを見える化し、街の大人と若者を結ぶフリーペーパーを自分なりの視点で作りたい!」と勝手に決意をしちゃったのだけど、ちょうどそんな時にTwitterで「ぼくらが街に出る理由」さんのツイートに出会った。


大きな世の中の仕組みに依存するのではなく、
スマホ上で刹那的な消費を繰り返すわけでもなくて、
自分たちの意思で、落ち着いてモノを考えたり、
前向きに行動したりするための、ゆるやかな場をつくりたい

このツイートを読んでから、ずっと心の中に、この「ゆるやかな場」が「憧れの場所」になっていた。

そして今、下妻に住むようになってから立て続けにそんな場所を目撃している気がする。言葉ではわかる気がしていても、漠然とした概念でしかなかったものを認識するというのは重要だ。
ゆるやかな「僕らの場所」が現実にここに存在している。

多分、それぞれの場所にいる人たちはそれぞれで趣味嗜好はまるで違う。
自分には合わない場所かもしれない。
ならば、別の場所に行ってもいいし、作ってもいい。

それぞれの場所で何かが生まれ、育っていく。
そんな現実的な場所の集合体が街であり、カルチャーになっていくから、そういう場所はたくさんあった方がいい。

人が自分らしく生きることそのものが「まちづくり」あってほしい。
だから、私はこれからも、一民間人としてフリーペーパーを作っていくし、発信していきたい。自分らしく生きる人たちと一緒に「まちづくり」をしていきたい。

自分らしく生きようとすることは有限ではないはずだから。



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