見出し画像

星の子に寄せて

映画「星の子」を鑑賞した。
勝手に自分と重ね、少し胸が苦しくなった。

私の母は外国人で、結構クセが強い。周囲の意見に耳を傾けることはあまりなく、我が道を行く、一匹狼タイプの人。
周囲の人からはあまり良いイメージを持たれていない気がする。実際、叔母や祖母からは、「おかしい」とか「何考えてるか分からない」とか、愚痴をこぼされることが多い。

客観的にはそうなんだろうけど、娘の私からすると、母はそんな人じゃない、温かい一面もあるって、葛藤してしまうことがある。

でも、この心のモヤモヤを叔母や祖母に伝えたことはない。彼女たちの言っていることもごもっともだから。私が見ている母の一面が、母の本当の姿なのか分からないから。親だから私が母を信じているだけかもしれないから。何も言えない。

母の信念とか思想に間近で触れてきて、変なのって思ったり、他の家庭が羨ましく思えたりすることもあったけど、それでも母のことを受け止めて、寄り添ってきた。私を産み育ててくれた親だから。母との生活が私の日常だったから。

映画の中で、中3の主人公ちひろは「あやしい宗教」を信仰する両親と共に生きる選択をした。
その選択が正しいのかそうではないのかは、描かれていない。
ただ、家を飛び出して親とほぼ絶縁状態になっても、出産したことを両親に報告したちひろの姉の描写から、どちらを選んでも、付き纏う「親」と「子」という関係性はそう簡単に切り離せるものではないのだということを感じた。
それほど、ちひろたちの両親は彼女たちにたくさんの愛情を注いでいたということ。乳幼児期に確かな愛着が形成されていたということなのだと思う。

母の悪口を言われても母の味方でいたいと思ってしまうのは、どんな形でも「愛してくれた」という事実があるから。誰にどう言われたってその事実を無かったことにはできないし、愛してくれたから今の私がいる。

私は信じることで自分の存在を認めたいのかもしれない。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?