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UFO見たんだよね。

 小学生のころ私は、オカルトとかUFOとか大好きだった。おまじないが好きすぎて、あの頃流行っていた占いやおまじないの本を買いあさり、そこに載っていたおまじないで、いまだになんとなく破れないものもある。もう30年以上前にみたはずなのに、いまだに左手の中指に絆創膏は貼れない。なにやら、指に絆創膏を貼るのは位置によって色々な効果があるんだそうで。中指に貼るのは、良くないことが起きるんだそうですよ。いやね、んなわけあるかーー!!って感じなんだけど。あの頃に覚えてしまった「やば!」っていう感覚は、簡単に払拭できるものではなかったらしい。どれだけ中指のささくれから盛大に血が出ようが、爪が割れて辛かろうが、絆創膏は貼らなかった。ガーゼは貼ったけど。
 え?ガーゼはいいの?ガーゼと絆創膏は、そもそも何が違うの?って、思うじゃん?でもね、考えて。そもそも、そのおまじないなんなの?!何根拠?てゆーか、そんなネタを思いついた人、今になって「あんたすげーよ!」と伝えたい。ご存命だろうか。

 そんな、都市伝説乙女、Ral。40越えた今どうなったかっていうと、まあ、YouTubeでもテレビでも、ひたすら都市伝説見てるけどね?オカルト系見てるけどね?映画では誰かせめて一人が死なないと楽しめないしね?だいぶヤバイけど。そんな私、不思議な運や縁を引き寄せる力が強いと信じております。かつ、イヤなことがあっても、そのイヤなことが、結果的には良いことにつながるという強さも持っている。これは、感じ方の違いかもしれないけど、確実に運は良いと思います。

 やはりこれは、絆創膏を中指に貼らなかったからなのか、と思うと、もはや私は一生中指に絆創膏は貼らないと思う(いや)。

 Ralが小学生のとき、仲の良かったお友達がいました。名前はMちゃん。Mちゃんは近所に住んでいて、一年生のころに引っ越してきたけど、特別かわいくって、みんなから愛されて、性格も良くって、大分ひねくれていたRalからしたら、どうして私と仲良くしてくれるんだろ?と思っちゃうくらいの子だった。結果的に、高校を卒業してからさらに仲良くなり、毎年年越し一緒にしちゃうくらいになった。
 こんなオカルト女のどこが良かったのかはいまだにわからないけど、Mちゃんが卒業以降につながっている小学校のときからの友達は私だけなんだそうで、それは、人気者Mちゃんがそう言ってくれたっていうだけで、私の自己肯定感は爆上がりだったもんだった。
 そんな素敵レディMちゃん。もう成人して、お互い専門学校に通っていたころ、突然変なことを言い出した。

 「ねえ、Ral。なんか、定かじゃなんだけどさ、あたしたち、一緒にUFO見たよね?」

 私は大爆笑して、なにそれーーーとひーひーしていたけど、Mちゃんの超整った顔はいつになく真剣で、あれ?あたし、反応間違えてるかな?と一旦止まる。私はいつも先ばっかり考えて生きているので、昔のことはすぐに忘れちゃう。自分が言った発言も、数時間後には本気で別の意見になってたりする。だけど、あれ?そういえば、小学校三年生くらいのころ、なんかそんなこと言ってたな。あたし。
 だけど、自分が見たものを興奮気味に一生懸命家族に伝えたけど、誰も信じてくれないし、みんな口をそろえて「そんなのRalの勘違いか、見間違いだよ」と言うから、あ~なんかそうかもしれないと自分の中で記憶を訂正してたような。いや、本当に定かじゃない。

 「ねえ、Mちゃん、それってさ、夕方一緒に学校からの階段を降りているときのことかな?」

 なぜか恐る恐る聞いた。自分の中にある記憶は、家族からの猛烈な拒絶によって、まるで自分が勝手に見た夢だったかのように置き換わっていた。言われて記憶を呼び起こしてみたら、本当に鮮明に思い出せた。でもそれが、実際に起こったこととは到底思えない。それくらいヤバイ記憶だった。

 小学校でクラブ活動を終えた私たちは、お互いそれぞれの理由で家に帰りたくなかった。私には暴力的な父親と、我関せずな母親と、そして優秀な姉がいた。Mちゃんの両親はいつも家にいなくて、七時ころまでかえって来なかったので、鍵っ子だった。いつもできる限り学校に残り、あたりが暗くなるころに帰宅するのが流れだった。私たちの小学校は、山の上にあった。登校路の途中には108段の階段と呼ばれる石の階段があって、登るのには苦労するが、降りるときは、先生が周りにいなかったら、鉄の手すりをお尻で滑って降りていた。階段の周りはたくさんの木が伸びて、階段の途中で空を見上げると、恐ろしいほど伸びた左右の木々に隠されて、まっすぐの一本の直線になり、切り取られたその直線は、はるか遠くの駅と線路までつながっている。私は家も嫌い、近所の人たちも嫌い、先生も嫌い、友達もあまりいないというめんどくさい子どもだったけど、Mちゃんのことは大好きだし自慢だし、その空の一直線がオレンジに光る夕方は、結構好きだった。
 でもその日、いつものように2人で2人だけの下校をしていると、空が急に暗くなった。あれ?いくら夕方でも、学校を出たときにはきれいなオレンジだったのに、なんだっけ?小学3年生の考えられる範囲では、あまり明確な答えは出なかったように思う。急に陰った足元を見て、2人で顔を見合わせた。そこで、一緒に上を向いたのだ。

 「Ral、そうだよ。私たち、階段で、空を飛んでいる謎の物体の裏側の機械の部分を見たじゃない。」

 待ってMちゃん。私の憧れのMちゃんは、そんな、都市伝説なんて低俗なものには手を出さない。私が自慢に思うMちゃんは、私が好きなものになんて興味を示さない。ダメだよ。そんなわけがない。しかし、Mちゃんは真剣だ。美しい瞳がキラキラしている。
 私の記憶の中の画像は、確かに機械的な何か銀色のものが、いつも空を映し出しているはずの階段から見る直線をふわふわと駅の方へまっすぐ飛んでいくさまだった。何か光っているオレンジ色の点があったり、ドアのようなものが見えたり、それはそれはハッキリと、くっきりと見えたのを覚えている。しばらく動けないでいると、その物体は駅の方で止まり、そしてどこかへ消えていった。私たちは慌てて家に帰り、お互いの家で大騒ぎしたという流れだ。
 私の記憶は「常識的な大人」たちによって書き換えられ、そしてそのまま大人になったが、Mちゃんの場合は家についてもしばらく独りだったこともあって、より鮮明に覚えていたのだという。恐怖という記憶だ。
 Mちゃんは続ける。
 「次の日、新聞にも載ったんだよ、あれ」
 マジか!?でもそういえば、当時の神奈川新聞だか読売新聞だかに載っていたような?載っていなかったような。
 これは、Mちゃんが本当に呼び起こしてくれた真実に基づいた記憶なのか、それとも私がMちゃんにさらに好かれたくて、寄せていった結果の作られた記憶なのか。曖昧過ぎて答えがない。なので調べてみたけど、当時はネットもなかったし、今、そんなこと調べても、30年前のことが簡単にわかるわけもなく、断念した。
 あれは本当だったのかな。ヒトの脳みそって、面白い。
 


 


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