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人が人に惹かれ、ファンになる部分 ~1人1チャンネル時代を考える~

最近テレビや雑誌で見かけていた芸能人やモデルさんのYoutube進出の勢いに拍車がかかっていますね。
以前は一般人でもなく芸能人でもない、言ってみればその中間的な立ち位置の存在=Youtuberというイメージが強かった世界で、そうしたスキマ産業的な位置づけも今後はどんどん変わっていくんだろうな、と感じます。

そんな現状を観察していて思ったのが、これからの時代はますます「一人の人間として」のパーソナリティの部分に惹かれる人が増えていくんじゃないかな、ということ。
もっと突っ込んだことを言えば、表面をなぞるような発言しかしない人よりも、ある程度その人の信念だったり人となりが見え隠れするような発言をする人に、どんどん人気が集まっていくのかな、なんてことをぼんやり考えていました。

あくまでも個人的な見解でしかないのですが、例えばYoutubeチャンネルやポッドキャスト、Blogを開設する「芸能人」と呼ばれる方々の中には、もしかしたら日頃からメディアや上が作り出したその人の「在り方」に違和感を感じていた方もいるのかも知れません。
「芸能人として」「○○(芸名)として」の自分ではなく、一人の人間としての自分をもっと知ってもらいたい思いとか、そういう世界とは離れたところから発信したいテーマが何かあったりしたのかな、と感じることもあります(もちろん全員が全員そういう事情ではないと思いますが)。
実際にそういった方々に対して、「テレビの印象とはだいぶ違うよね」とか、「この人意外とこんな発言するんだね」なんて声を耳にすることがあります。
私個人としては、そういう事象に対してプラスの感情を抱くことはあっても、マイナスの感情を抱くことはほとんどありません。おそらく視聴者が抱くそうした意外性のほとんどが、「一人の人間として認めてほしい」というある種人間を人間たらしめるような欲求から生じた変化か、もっとドライに「この媒体ではこういう自分」というマーケティング戦略をもってしての変化のどちらかでしかないと思うからです。
それでも個人的には前者が多かったら面白くていいのに、なんて思ったりもします。
もちろんYoutubeやポッドキャスト(note然り)だって、所属事務所によっては100%自由にとはいかない世界だとは思いますが、例えばテレビなんかで発言するよりは多少肩の力を抜いた状態で発言できる側面もあると感じるからです。

一方で、自由なことには必ずと言っていいほどそれなりの責任が伴います。
個人として自由に発言する権利がある分、必然的にその発言が「誰の意図も汲んでいない=その人個人のもの」として視聴者に消化される可能性も高まります。
そのためほとんどの配信者は常にそういうことに気を配りつつ、かつ自分のパーソナリティを何らかの形でうま~く織り交ぜていくことを意識しながら、自由といえどもある程度の緊張感の中で発信しているのではないでしょうか。

一視聴者側からすると、その人の人となりを垣間見れることほど魅力を感じる瞬間はないというのが本音でもあります。その人自身が何をどう考え、行動しているのか、と言った部分が何層ものレイヤーの下でぼやけてしか見えない時代だからこそ、どこかで「リアルさ」を求めてしまうのかも知れません。リアルさといってもあけすけに何でも話すことや、毒舌と失礼をはき違えたような意見を求めているわけではなく、何かその人の「信念」を感じる部分を垣間見たとき、人は心を打たれるのだと感じます。
そしてきっとそういう瞬間に人は人に惹かれ、ファンになるんだろうな、なんて思ったりもします。

現に私が惹かれるポッドキャッスターやYoutuberを振り返ってみると、コンテンツにその人の人となりが何らかの形でにじみ出ていたり、個性的だったり、生き様が好きだったり、発信内容に対する熱量がすごかったりと、何らかの形で彼らの持つコアな部分に惹かれてフォローしていることに改めて気付かされます。
例えばインタビューをする際の聴き方や態度、何かを紹介する際のリサーチ量、周りから反対されても自分の信じる道を行く芯の強さ…など、どこかで必ず彼らの努力や人となりが見え隠れするポイントがあるのです。中には同じような境遇で苦しんでいる誰かのためになると信じて、葬ってしまいたいような過去の苦しいトラウマを打ち明けた勇気ある人もいました。
「一人一チャンネル時代」でほとんどの人が発言する場を得られる今、そういったコアな部分に惹かれる視聴者は今後もより一層増加していくような気がします。


一方で、「一人一チャンネル時代」を生きるにあたって気を付けなければならないこともあります。それは、距離感のバランス感覚を磨くこと。
今まで以上に他人との距離感を近くに錯覚しやすい環境の中、その距離感を見誤り、考えなしに言葉を選んでしまう危険性には十分注意していきたいものです。

Peace.

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