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#1330 思考の整理中

こんにちは!
ねおなおっどです。


さて、昨日は少々怒りに任せてnoteを書いてしまった部分があったのですが、職場で同じように怒りで仕事が手につかないと言っている同期がいました。
正直言うとですね、今年度の配置決めの際にも、同じように理解に苦しむ時がありました。その時、わたしは一度裏切られているのです。「裏切られている」というと聞こえが悪いかもしれませんが、二転三転しながら、最終的に約束していた配置にはならなかったのです。
このパターンが濃厚だけれど、もし人員確保ができたらこのパターンにできる。2パターンのどちらかだからよろしく!そんな話だったはずが、蓋を開けたらどちらでもなかったというオチ。

そんなわけで、信じたいけれど信じられない部分があって、それはいまだに払拭できておらず。
勿論、トップはトップなりの考えがあるのかもしれません。それが嫌ならトップになって考えてみなさい!と言われればそれまでです。
それでも、やはり約束が守られないのであれば、その理由を知りたかったという思い。
仕事なのでそんな気持ちを割り切って新年度新しい配置で頑張ってきました。
そのさなかでの昨日の「ヘルプ」事件。

私自身が行きたくないのではなく、残ったメンバー、休む同期が人員が減って不安になる状況になってしまうということが問題なのです。
新年度始まって1か月弱、クラスに慣れきれていない子どもたち、先生がいる中でまだまだ人手が欲しい!、その中でのヘルプに「不安」が拭えないから怒りになってしまうんですよね。

クラスに日々入っている訳ではないトップは「どうにかする、大丈夫!」と言うけれど、何がどう大丈夫なのか、なぜこの時期にヘルプを受けるのか、昨年度はなぜヘルプを要請してくれなかったのか、この点をしっかり説明してくれさえすれば、きっと同期も含め納得できるかもしれません。

結局は「なんで?」という説明責任を負っていないがために、チームに亀裂が入りやすくなっているんだと、個人的には思っています。
トップは決定をして全責任を負わねばならない、それをフォローしていく役割ではあるものの、その決定の理由を知らずにフォローはできないというやつですね。

人員不足の中ヘルプも呼ばず回してきた2年間があるので、きっと回せなくはないのです。回せなくないけれど、自己犠牲を払う必要があるのか、というところもまた一つなのかなあと。


けんすうさんのnoteにコテンの深井さんのXの内容(からだが弱いのでいろいろ依頼を頂くけれど基本的には受けられない、というような投稿)が」アップされていたのですが、けんすうさんの「削る」ことを覚えた方がいいという考え、これ取り入れていった方がいいのでは、と思わず感じてしまいました。
すぐに受ける、自分たちで頑張る、ではなくそこを削って自分を守ることも大切なこと。


とは言えヘルプに行くことは決定事項なので揺るぎませんが。


自分の思考を整理するのに、やはりnoteは相性がいいです。
今自分がどんなことを思って考えているのかは、頭の中だけでは意外と分からなかったりするんですよね。

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