第3話 朝練で指導してくれた兄貴分が実は女の子だった話:翔(カケル)
TVで見た駅伝に憧れて、陸上部に入った。
それからは、毎日走り込みの日々。
1秒でもタイムを縮めたくて、駅伝のメンバーに入りたくて。
部活の練習だけでは足りないと思い、朝の自主練も始めた。
「へぇ、いい走りしてるね」
そんな時、少年のようなハスキーボイスで俺に話しかけたのが翔さんだった。
「でも、もう少し歩幅を意識するといいかも。君は足が長いから、その体格の有利を活かしたほうがいい」
真冬のきらきらした朝、ひょっこりと現れた彼は俺に色々とアドバイスをしてくれるようになった。
最初は疑っていた俺だけど、彼の言う通りに走ったら、一気にタイムが良くなった。
それから、俺にとって翔さんは朝限定のプライベートコーチみたいな存在になっていた。
真冬の凛とした空気の中。公園のトラックを周回して走り終えると、翔さんは嬉しそうにストップウォッチを見せてくる。
「いいよ、またタイムが良くなってる。◯◯みたいに素直なヤツは、育てがいがあるなあ」
「翔さんの教え方がいいんですよ、いつもありがとうございます」
「いいのいいの、僕も楽しくてやってるだけだから」
「てか、翔さんは走らないんですか? これだけアドバイスできるってことは、経験者ですよね?」
ずっと不思議に思っていた疑問をぶつけてみる。だけど、翔さんが走っている姿は、まだ一度も見たことがない。
「実を言うと、僕は今ケガしちゃっててさ。本当は、走りたいんだけどね……」
遠く、トラックの向こう側を眺める翔さん。その視線から、羨望や悔しさが滲み出ているのがわかる。
「なんかすいません、余計なこと聞いちゃって……」
「いやいや全然! むしろ僕のこと、興味持ってくれて嬉しいなって」
すると、白い息をふーっと吐いて。
「この際だから言っちゃうけど、僕、今回のケガで走るの諦めてたんだよ」
「えっ……」
「でも、やっぱり諦めたくなかったんだね。◯◯が毎朝頑張って走ってるの見て、ついつい話しかけちゃった。で、君の練習につき合って……僕は決めました!」
「決めた?」
「うん、僕は春の復帰を目指す。もう大会には応募したから。今度その時には、◯◯に応援してほしいな」
「そういうことなら……もちろん、応援しますよ。全力で」
翔さんが、再スタートを切る。
決断したその表情は朝日に照らされ、きらきらと輝いていた。
この時の俺は、まだ知らなかった。
「彼」が「彼女」だったということに。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
そして、春を迎えた。
翔さんが復帰すると言った、約束の春だ。
レース本番を前日に控えた早朝。
俺は翔さんに呼び出され、指定された待ち合わせ場所へと向かった。
休日の朝ということもあり、人通りのない市街地。
その中から1人、こちらに向かって走ってくる——女の子。
「おはよう、〇〇」
近づいてきた彼女は、競技用のユニフォームを着た翔さんだった。
「お、おざます」
「挨拶から噛んでるじゃん」
朝から元気そうに、翔さんは笑う。仕方ないだろう、と内心思う。
翔さんの、女性的なラインが際立つスタイルを見せられたら……正直、動揺する。
ましてや、最初に会ってからしばらくは、翔さんを兄貴分のように思っていたんだから。
「〇〇も元気そうで何より」
「翔さんこそ……復帰できてよかったです」
「それは他でもない、〇〇のおかげだよ。君が頑張る姿をずっと見せてくれたから、僕もここまで来れた。ここからは、僕が頑張るところを見せる番だ」
恥ずかしげもなく、真っ直ぐな言葉をぶつけてくる翔さん。
そんな彼女がまぶしくて、俺は——
俺は?
今、翔さんにどんな感情を抱いた?
「はい、そういうわけで今日の〇〇には荷物持ちとタイム計測係よろしく!」
一瞬で駆け抜けていった気持ちの正体がわからぬまま、翔さんから持っていたスポーツバッグを押しつけられる。
「よし、身軽になったことだし、走って公園行くよ! 遅かったら置いてくからね!」
「ちょっ、俺は重くなったんですが⁉︎」
荷物を抱え、慌てて翔さんを追いかけていく。
前を走る翔さんのランニングフォーム。
それは躍動感にあふれて、楽しそうで——美しかった。
<了>