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【祝!BORN IN THE U.S.A. 40周年】担当ディレクター”情熱”制作記

 2024年はポピュラー音楽史に残る名盤、ブルース・スプリングスティーンの『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』がリリースされて40周年のアニバーサリー。そして来年(2025年)は日本の洋楽史に残る伝説、ブルース・スプリングスティーン初来日公演から40周年を迎えます。この節目の年に、ソニーミュージック洋楽の名物ディレクター・白木哲也が、日本独自の商品として『ボーン・イン・ザ・U.S.A. (40周年記念ジャパン・エディション)』を企画し、すべてを日本側で制作して発売にこぎつけました。ブルースほどの大物アーティストになると、レコード会社の企画盤、ましてや遠く離れた日本のいちディレクターが提案した企画などスルーされても不思議ではありません。その壁を突破した白木ディレクターへのインタビューを通して、ブルースへの愛情・洋楽への情熱を感じ取ってもらえたら嬉しいです。

〈白木 哲也〉
1964年生まれ。1988年にCBSソニー(当時)入社。1993年より洋楽セクションでボブ・ディラン、ブルース・スプリングスティーン、ピンク・フロイド、ビリー・ジョエル、エアロスミス、マライア・キャリー他を担当。その後、カタログ・セクションで紙ジャケや再発などを手掛け、これまでに洋楽担当としてトータル1000タイトル以上をリリース。日本独自企画盤としてピンク・フロイド『原子心母(箱根アフロディーテ50周年記念盤)』、ボブ・ディラン『コンプリート武道館』などを企画・制作。

白木哲也(Sony Music Japan International)


2024年9月25日発売 【完全生産限定盤】『ボーン・イン・ザ・U.S.A. (40周年記念ジャパン・エディション)』 特設WEBサイト https://www.110107.com/s/oto/page/bruce_USA40

1. ブルースとの出会い

——まず白木さんとブルースの出会いを教えてください。 最初に聴いた曲やアルバムは覚えていますか?

白木/最初にブルースの曲に出会ったのは高校2年生の1980年の12月。ラジオ番組の「全米トップ40」で聞いた「Hungry Heart」です。この曲が初の全米トップ10入りした時にジョン・レノンが凶弾に倒れ、亡くなった12月8日の翌日、ブルースがフィラデルフィア公演で「Twist & Shout」をカバーして追悼したと聞いたことを鮮明に覚えています。アルバムは初めに『ザ・リバー』を買って、そこから遡っていきました。

——1985年の来日公演はご覧になりましたか?その時の思い出や印象を教えてください。

白木/完全にノックアウトされ、このライヴで人生が変わりましたね。とにかくロックンロールのライヴってこんなに凄いんだ、そしてこんなに楽しいものなんだって初めて教えてもらったというか。「Born To Run」のイントロのドラムロールと共に会場のありとあらゆる客電が点いた瞬間の全身鳥肌が立ったあの感覚は、一生忘れられません。

——その後CBSソニーに入社して、洋楽ディレクターとしてブルースを担当することになった時のお気持ちは?

白木/1994年から洋楽部門のディレクターになり、その年の2月にリリースされたシングル「Streets Of Philadelphia」からブルースの担当になりました。以降長年に渡って担当してきて、山あり谷あり・・・ある意味節目節目でブルースと共に歩んできた人生だったと思います。

——今回の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』40周年記念盤の企画は、どのように始まったものなのでしょうか?

白木/『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』が日本でリリースされたのが1984年6月21日。2024年はそこからちょうど40周年、そして2025年には初来日公演から40周年を迎えるということで、何か記念になることができないかと思ったのが、このプロジェクトの出発点でした。1988年のアムネスティ・コンサートでブルースを観た直後にCBSソニーに中途入社した私自身も、定年を迎えることになり、会社員人生の最後に自分が体験した感動をなにか形にして共有することができないか?という思いもありました。そこで、なんとか日本独自の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』40周年記念盤を出せないかというリクエストを本国に出してみることにしました。

2. ボートラの許可が下りた!

——当初はどのような企画を提案したのでしょうか?

白木/BORN IN THE U.S.A. TOURのライヴ映像はないのか?12インチ・シングルで出ていた音源を集大成したものはどうか?はたまた日本公演のライヴ音源は残っていないのか?など、いろいろと考えてリクエストしてみたのですが、どれもハードルが高くてなかなか進みませんでした。そんな中からダメ元でリクエストした企画のひとつ、1985年のニュージャージーでのライヴ音源に関して、今年に入ってから急転直下、OKとなったのです。このライヴを選んだのは、日本公演から4か月後にブルースの地元ニュージャージーで行われた公演で、かつ日本公演のセットリストによく似ていて、ライヴの内容も素晴らしかったからです。元々はLive Bruce Springsteenというマネージメント側で持っていたアーカイヴ音源で、海外の専門サイトでダウンロードとストリーミングしかできなかったものなので、日本ではあまり知られていませんでした。

——ビッグ・アーティストにもかかわらず、よく許可が下りましたね。

白木/1985年の初来日公演に近いセットリストであること、そして、その1985年のブルースの初来日公演がいかに日本にインパクトを残したかということを、自分の体験談も含めてマネージメントに説明したのがプラスに働いたのかもしれません。

——改めて、この40周年盤の収録内容について教えてください。

白木/全部でCD4枚組で、ディスクは高品質なBluSpecCD2盤。ディスク1にはアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』がオリジナル通り12曲収録されています。ディスク2~4の3枚に、1985年の地元ニュージャージー州ジャイアンツ・スタジアムでのライヴ丸ごとの音源が29曲。さらにボーナス・トラックとしてメドウランズ・アリーナでのライヴ音源が2曲、合計31曲収録されています。この1985年8月22日のジャイアンツ・スタジアムでのライヴを丸ごとCD化できたのは、今のところ日本だけです。3時間を超えるパフォーマンスも圧巻で、アンコールで当時バンドを離れていたスティーヴ・ヴァン・ザントがゲストで出演するという感涙な瞬間もあり、BORN IN THE U.S.A. TOURの真髄を体感してもらえると思います。 

——2曲のボーナス・トラックにも特別な思い入れがあるとか。

白木/ギリギリのタイミングで、「Racing In The Street」と「Rosalita (Come Out Tonight)」のライヴ音源を収録できることになりました。この2曲については面白い逸話があって・・・初来日公演の時、言語の壁を感じていたブルースは日本のファンとコネクトするために、MCで日本語を取り入れたり、セットリストを変更したり、本当にいろいろなトライをしてくれていたそうです。中でも、ちょっとびっくりするような出来事ですが、ライヴ本編最後の曲を公演の3日目から変更したことでした。それまでのUSツアーでやっていたメインの曲を外すなんて、普通はちょっと考えられないことなんです。最初の2日間の本編ラストは「Racing In The Street」。本編は静かに終わって、アンコールの「Born To Run」で大爆発!という作戦だったと思うんですが、日本のファンには今ひとつブルースの意図が伝わらなかったようなんです。そこで3日目からいきなりラストの曲を「Rosalita (Come Out Tonight)」に変更したところ、大変な盛り上がりを見せるわけです。なので、この2曲は初来日公演の中でも日本のファンの気持ちを汲んで敢えて変えてくれた、とても大切な楽曲ではないかと思い、初来日公演のドキュメントという意味でもどうしても収録したかったんです。最終的に許諾が下りたのは7月17日で、マスター素材を工場に入れる締め切りぎりぎりでしたが、各部署の皆さんのサポートもあり、「Racing In The Street」と「Rosalita (Come Out Tonight)」のライヴ音源を収録することができました。この2曲は、1984年8月6日にニュージャージー州のブレンダン・バーン・アリーナ、いわゆるメドゥランズ・アリーナで、まさにブルースのホームグラウンドともいえる会場での録音です。

——1985年の来日公演の翌年には、5枚組LPの大作『LIVE 1975-1985』がリリースされています。

白木/『LIVE 1975-1985』はその名の通り、1975年から1985年までのブルースのライヴからピックアップされた音源でした。なので、時代によってメンバーも演奏も違うわけですが、それぞれの時代の名演と呼ばれる音源を入れたかったんでしょう。逆に今回は『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』40周年記念ということで、初来日公演が実現したBORN IN THE USAツアーにこだわりたかった。今回の3枚のボーナス・ディスクに収められているのは、1985年のジャイアンツ・スタジアムでのフルライヴ29曲と、ボーナス・トラックのメドゥランズ・アリーナでのライヴ音源2曲の合計31曲。そのうち26曲が1985年の初来日公演で演奏された曲ということになります。当時の初来日公演を体験した皆さんはあの時の感動が蘇ってくるような、残念ながら体験することができなかった皆さんにもその臨場感を味わっていただけるライヴ・パフォーマンスだと思います。

3. 1985年、初来日公演の証

——この記念盤に封入されている80ページもあるフォト・ブックは豪華なだけでなく、資料的な価値もとても高い内容だと思います。苦労した点などについて教えてください。

白木/この記念盤のもう一つのポイントは、1985年の初来日公演のドキュメント的なフォト・ブックを作りたかったという点です。初来日公演は東京、京都、大阪で全8公演行われたのですが、ニール・プレストンというフォトグラファーがツアーに同行していました。数多くのアーティストを撮影してきた伝説的な写真家です。今回の企画を進める上で彼の写真を使えることになったのは非常に大きかったです。代々木オリンピック・プールの外観、会場周辺、ライヴ、観客の笑顔、「ダンシン・イン・ザ・ダーク」での日本の女性ファンと踊る姿、原宿駅でのファンとのやりとり、当時のホコテンを歩くブルースなどなど、とても貴重な写真ばかりです。それと同時に、日本側に残っていたアーカイヴ写真もいろいろと探し続けました。例えば、産経新聞からお借りした成田空港に到着時のモノクロ写真では、偶然空港の時計が写っていて18:37となっています。他にも初日の東京公演のライヴ写真はもちろん、デイリー・スポーツのアーカイヴからは大阪公演のライヴ写真を発見することができました。残念ながら、ニール・プレストン撮影のライヴ写真には日付や場所のクレジットがなかったので、どの公演かを特定できませんでしたが、その辺はご容赦ください。

フォット・ブックからの抜粋(Photo by Neal Preston) <無断転載禁止>

——熱心なファンの皆さんからも協力を募ったそうですね。

白木/ファンの皆さんに協力してもらって、送っていただいた写真もたくさんあります。ツアー関連のメモラビリアでいうと、初来日公演の告知ポスターは非売品のためなかなか見つからず苦労しました。せっかくなので今作に特典として封入しています。あと、当時のファンクラブの会報に載っていた公演発表時の新聞広告や、チケットを購入するための整理券から、全公演のチケット現物、ツアーTシャツ、バックステージパス、レコード会社の宣伝用手書き資料などなど、ファンの皆さんから数多く提供していただきました。興味深いのは日本公演の後のUSツアーで販売されたツアーパンフに日本での模様が掲載されていたことや、CBSソニーによる歓迎パーティーでブルースとメンバーにプレゼントしたパーカーの現物が今回発見されました。ファンの皆さんのご協力がなければ、このフォト・ブックは成立しなかったでしょう。本当にありがとうございました。

——日本版ブックレットも充実していますね。

白木/こちらは1985年4月のブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドの初来日公演を日本側の視点で綴った、全96ページにも渡る秘話満載の読み物になってます。当時の担当ディレクターによる「1985年初来日公演滞在記」を始め、当時の日本のファンクラブ会長によるファンの目線で追った貴重なレポート、チャート、当時のライヴ・レポートを復刻したり、全公演のセットリストや、日本公演時にステージでスプリングスティーン語ったトーク部分の全訳など・・・とにかく歴史的な初来日公演の記録と記憶を残したかったんですよね。読み応え充分、こちらも資料的価値があると思いますよ。

4. 素顔のブルース

——ブルースは1985年、1988年、1997年の3度しか来日公演を行っていません。白木さんご自身はブルースの再来日の可能性をどのように感じていますか?

白木/担当ディレクターになってから、事あるごとにブルース本人やマネージャーに来日を切望してきました。1985年の初来日公演を体験した人はもちろんですが、新たにファンになった数多くの人々の想いをしっかりと受け止めて、再来日に向けて出来うる事をしてきたつもりです。残念ながら、まだその夢は叶っていません。ただ「信じ続ければ夢は叶う」です。今回の日本独自企画をブルースが手にし、40年経っても冷めない熱や想いを感じ取ってくれることを願いつつ、再び日本で圧巻のライヴを魅せつけてくれる日が来るのを信じ続けたいと思います。 

——最後になりますが、ブルースに直接会った印象は?どんな方ですか?

白木/「誠実」という言葉が一番似合う人だと思います。多くのアーティストを担当していると、昔自分が憧れていたミュージシャンがオフのときは近寄りがたい雰囲気を醸し出していたり、想像していたのと違ってがっかりすることもあるんですが、ブルースは全く想像していた通りの人で感動するほど。そしてユーモアや茶目っ気もたっぷりで、普通の人の視点をずっと忘れない。1995年の『グレイテスト・ヒッツ』の時のNY取材は忘れられないですね。ニュース番組の衛星中継で、番組開始は日本時間の夜10時ですから、アメリカだとリハーサル時間を含めると始まるのは朝から。でもね、ブルースが予定時間になっても連絡もないし、スタジオにも現われないんですよ。 みんな焦ってね。ピリピリと張りつめた緊張感のなかで、僕はいてもたってもいられなくなり、ビルの外に出て、きっと乗ってくるであろうリムジンを探していたんです。この車じゃないか、あの車じゃないかなんて右往左往して。そしたら向こうのほうから野球帽をかぶったオジさんがトコトコ歩いてこっちに向かって来るんですよ。それがブルース本人でした。後で知ったんですけど、どうやらニュージャージーの自宅から自分で車を運転してきたようで。開口一番「来ないと思った?」ってニッコリ。「ごめん、ごめん、近くに駐車場が見つからなくて遅れちゃった」って(笑)。その後しばらくして、NYのソニー・スタジオのトイレでもバッタリ遭遇しちゃって。さすがに真横に並ぶのはおこがましいと思ったので、2つぐらい横にそぉーっとずれて。目が合って「あ、どうも」なんて(笑)。

(構成:SMJI 有田尚哉)

5. あとがき

ブルース・スプリングスティーンの担当ディレクター・白木哲也のお話しはいかがでしたか?日本のレコード会社の中で洋楽ディレクターがどんな仕事をしているのか、少しでも興味を持っていただけると嬉しいです。今回の『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』40周年記念盤はちょっと値段が張る商品ではありますが、ファンの方なら納得していただける内容になっていると思いますので、ぜひCDショップで手に取ってみてください。


収録曲など商品の詳細は特設WEBサイトをご覧ください。
https://www.110107.com/s/oto/page/bruce_USA40

2024年9月25日発売 【完全生産限定盤】
ブルース・スプリングスティーン
『ボーン・イン・ザ・U.S.A. (40周年記念ジャパン・エディション)』
BORN IN THE U.S.A. (40TH ANNIVERSARY JAPAN EDITION)
(SICP 31728~31 / Blu-spec CD2 4枚組) 定価¥8,800 (税込)
※日本独自の7インチ紙ジャケット仕様(見開きジャケ)

【3大特典】
①ボーナス・ディスク3CD付き:
1985年8月地元NJジャイアンツ・スタジアムでの圧巻のフル・ライヴ・パフォーマンス29曲収録+ボーナス・トラック2曲追加=合計31曲収録!
②1985 Japan Tourメモリアル・フォト・ブック:
初来日時の空港、ライヴ、オフショット、メモラビリアなど未発表写真満載!
③初来日公演ツアー告知ポスター封入:
貴重な初来日公演の告知ポスターを復刻!

収録曲など商品の詳細は下記の特設WEBサイトをご覧ください。