見出し画像

「偽物コンプレックス」は、あっていい

「自分は偽物だ」という思いには、
長く苦しめられてきました。
特に、ライフワークのヴァイオリンを
人前で弾くたびに、
その思いはピークを迎えました。

たった一人で、楽器を奏でて、
何かを表現できるような人になりたいと、
安全な場所から一歩踏み出すごとに、
その感情はやってきました。

仕事と家事の合間を縫って、
自分の未熟さを真正面から受け止め、
コツコツ練習してきたのに、
いざ人前で弾いている時には、
「これは偽物の演奏だ」という罪悪感に包まれる。


なんでこんな思いをしなきゃいけないのだろうと、
ずっと思っていました。

誰もプロとしての演奏を求めていないのに、
大きな心で聴いてくれているのに、
自分だけが、自分の演奏に対して酷評し続けていました。


それでいて、
何を持って「本物の演奏」と言えるのか、
それすらも分かりませんでした。

プロの技術、時代に忠実な奏法、
子供の一生懸命な演奏、
大人が鎧を脱いで必死に食らいつく弾き方、
どれも本物です。

けれど、自分の演奏に対しては、
どれだけ向き合っても、
「偽物だ」という漠然とした苦しみを
持ち続けていました。


そんな虚しい思いを、
丸ごと肯定してくれた瞬間がありました。

それは、
たまたま実家でテレビを見ていた時のことです。

中学生の頃から大ファンだった、
俳優の堺雅人さんが、
半沢直樹2の番宣でトーク番組に出演していました。

誰もが認める大物俳優となり、
すっかり遠くへ行ってしまった堺さんに、
かなり寂しさを覚えていましたが、
自分の本心を紡ぎ続ける人柄は、
ずっと変わっていませんでした。


その番組の中で、
「堺さんが尊敬する俳優は?」という
お決まりの質問に対して、
堺さんはこう答えていました。


僕が尊敬するのは、僕以外のみんなです。
僕は自分をずっと偽物だと思っている。
偽物コンプレックスがある。
偽物なんだけど、本物っぽく振舞わなくてはいけない。
けど、若い世代が俳優論を語っているのを見るたびに、
「いいなぁ、本物だぁ」と羨ましく思う。


すごく救われました。

堺さんも同じことを思ってたんだ。


一気に肩の荷が降りたんです。


このコメントを受けて、
その時一緒に出演していた大物俳優さんたちも、
「僕もそうですよ」と共感していました。


それから、
「偽物コンプレックスはあっていい」と
前を向けるようになりました。

何が本物か分からないけれど、
自分のできる精一杯のことを
やり続けていることに
自信を持つことにしました。


答えがない中でも、
自分の着地点を見つけながら
もがき探し続けることが、
きっと誰かのためになるのだと思います。


ずっと本物になりたい、と
自分に突きつけていた厳しい言葉が、
少しずつ穏やかになっています。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます! いただきましたサポートは、日々の暮らしや、個人で活動しております資料作成やテキスト作成に使用させていただきます🌱