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イスラム教に ついて



現在、イスラム教原理主義の人々は、人間の歴史上最大の発明のひとつである、人権思想によって、世界の多くの人々に、批判されている。


このことを考える時、忘れてはならないのは、大昔、あの地で、イスラム教の種のようなものが生まれた時、その種が発芽し、なぜ、そのような考え方になり、教義に記録されたのか、ということだと、僕は思う。


僕は、あらゆる宗教は、その土地に住む人間が、その土地で生き抜くために、そういう考え方になったのだと、考えている。



その考えを、普及させるために、記録したものが、教義、というものだと、僕は思う。


地球は、狭いようで、広い。


いろいろな土地に、人間は生きて、生命を、営んでいる。


生き物は、生き延びねば、ならない。


人間も、生き物だ。



土地が違えば、その土地によって、気候や風土が違うから、人間が生き延びる方法も、違う。




しかし、人間の人権思想の発明、生き延びる技術の進化、主に食べ物を生産する技術の進化だと思うが、それが、現在の人間に、その考えの原理が、必要でなくなったり、合わないものになったりするのは、時間の流れで、当然のことだと思う。


だから、イスラム教原理主義は、現在、世界的に、批判される。


現在は、イスラム教徒の女性などが、嫌な思いをせず、自由に振舞っても、イスラム教徒は、生き延びることが、できる。


時間が流れたのだ。
時代は、変わった。


もはや、女性のイスラム教徒などの不自由に、人間が生き延びるための、合理性は無い。


そのことで、ある人間が嫌な思いをしたり、さらに、ある人間の血が流れたりしたら、本末転倒だ。


そんなことにならないためには、みんなで、相手のことを思いながら、話し合うことしか、僕たち人間が、より良く、未来に進む道は、無い。



生き物は、生き延びねば、ならない。


それが、生き物が、生きる、第一の目的、だからだ。


人間も、生き物だ。

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