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ある新聞記者の歩み

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元毎日新聞記者佐々木宏人さんの記者人生の聞き書きです。入社直後の水戸支局時代を皮切りに、記者としての歩みを連載で辿ってゆきます。 佐々木さんは、経済部や政治部に所属、エネルギー分…
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#毎日新聞

ある新聞記者の歩み 35 中日新聞の牙城で毎日新聞をとる読者とは?(中部本社の巻)

元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー35回目です。記者稼業から一転、広告局で”…

ある新聞記者の歩み 32 おみやげをもらう立場から持って行く立場への大転換(広告局…

◆経済部と広告局の違いは上座か下座か、おみやげをもらうか持って行くか Q.佐々木さん…

ある新聞記者の歩み 第31回 深夜飛び込んできた美空ひばり死去の報 朝までひばりの…

元毎日新聞記者の佐々木宏人さんのオーラルヒストリー。今回は1991 (平成3)年4月から2年間の経…

ある新聞記者の歩み 29 未完の「新聞革命」悔い無し ブルーの題字誕生秘話

元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第29回です。今回は、前回の経営企画室での…

ある新聞記者の歩み 28 記者から不動産業へ?! 大阪本社ビル建設計画に取り組みな…

元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第28回です。今回は、佐々木さんが47歳のと…

ある新聞記者の歩み 27 リクルート事件で週刊誌に追い回された“親分”・・瞬間湯沸…

元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第27回です。今回は、佐々木さんが親しく仕…

ある新聞記者の歩み 26 支局のもうひとりの若手、のちのオウム事件での激烈な取材の原点?!

元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第26回は、甲府支局時代の若手3人のお話の3人目です。クマちゃんの愛称で呼ばれる隈元浩彦さんは難しい取材にも積極果敢に当たっていく人でした。それでいて、特ダネをモノにしても自慢したりしない隈元さんは、今も生涯一記者としての道を歩んでいます。 三者三様の若手にのびのびと仕事をさせた佐々木さんにとって、甲府支局長時代は、新聞記者人生の中でも格別の思い出として残りました。(聞き手=メディア研究者 校條諭) ◇難しいことでも「やりまし

ある新聞記者の歩み 23  甲府支局長に赴任。家族6人そろって転居、地域とつながる。

元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、44歳の春、山梨県の甲府市局長として赴任しました。中央から…

ある新聞記者の歩み 22 記者から労組委員長へ 2年間の得がたい経験

元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、勤続18年、42歳のときに、いったん記者生活を離れて労働組合…

ある新聞記者の歩み 21 牙を抜かれる前の誇り高き時代の大蔵省こぼれ話 地下に霊安…

元毎日新聞記者佐々木宏人さんの経済部大蔵省担当完結編(3回目)は、官庁の中の官庁と言われ…

ある新聞記者の歩み 20 禁断の木の実を食べたらどうなるかと案ずる人たち

うーん、100周年の時は1972(昭和47)年でしょう。僕は水戸支局から経済部に上がって2年目。13…

ある新聞記者の歩み 18 誰も首相になると思ってなかった中曽根康弘の実像(下) そ…

◇遊説先で記者をたたき起こして・・・ 選挙になると遊説で各地を回る政治家に同行取材を…

ある新聞記者の歩み 17 誰も首相になると思ってなかった中曽根康弘の実像(上) 1…

◇中曽根担当になるのを喜べなかった背景にトラウマ いやあ、実はあまり気乗りがしなかった…

ある新聞記者の歩み 16  外交のおもしろさ実感 カップ麺で空腹しのいで原稿打電もよき思い出

元毎日新聞記者の佐々木さんのオーラルヒストリー第16回です。前回は、大蔵省より実は人気だったという自治省の担当時代について聞きました。今回は政治部生活の終盤、外務省担当になった短い期間の体験談であり、外交のなまなましい現場を見た貴重な証言を話していただきました。秘書官として首相を補佐する官僚の人間性にも強く印象に残ったようです。(聞き手--校條諭・メディア研究者) ◇第2次石油ショックの記憶無しQ.まずは、政治部で自治省担当の頃の続きから伺います。 政治部にいた時期、第2