MENJO,Satoshi(校條諭)
メディアには「取材する」メディアとしないメディアがあります。取材は社会のインフラです。新聞社の衰退によって、このインフラが細りつつあります。健全な社会を維持していくために、取材するメディアがどうすれば成り立っていくかを構想したいです。その他、ニュースメディアに限らず、さまざまなメディアについてあれこれ語っていきます。
元毎日新聞記者佐々木宏人さんの記者人生の聞き書きです。入社直後の水戸支局時代を皮切りに、記者としての歩みを連載で辿ってゆきます。 佐々木さんは、経済部や政治部に所属、エネルギー分野を主対象に、通産省担当として第一次石油ショックなど、高度成長期の日本経済の最前線を取材しました。さらにその後、バブルの進行とその崩壊時代、失われた20年の時代にも立ち会いました。組合委員長や広告局長なども務めて、2001年(平成13年)に同社を退職するまで36年間毎日新聞社に在籍しました。 佐々木さんは退職後、記者の経験を生かして、終戦直後の神父殺害事件の解明に取り組み、76歳のときに『封印された殉教(上・下)』を出版しました。 この聞き書きは、Zoomを使ってオンラインで行っています。(校條諭、MENJO,Satoshi)
目次: ◇夕刊の“エモい”記事がやり玉に2024年5月9日の毎日新聞夕刊1面の大きな記事が印象に残りました。 「瞬間ボランティア、安全つくる 夕刻に女児一人歩き 悩み、ためらい、記者は声かけた」という記事で、1面の半分以上を使っています。記事の筆者は南相馬通信部の尾崎修二さん。2013年入社の若い記者ですが、妻と死別して7歳の子供がいるシングルファーザーです。毎日新聞のPodcast「今夜、BluePostで」にいちどゲストで出ていて、お話を聞いたことがあるので、あああの
本論における筆者の主な主張は以下の3点です。 1.YouTubeはSNSというよりも「マイテレビ」である。 2.XとYouTubeの連携でフィルターバブルが形成されている。 3.編集無きメディアの公共性を育てていくことが必要である。 ◇マスメディア対SNSという構図でよいか 11月の兵庫県知事選では、マスメディアの予想を裏切って斎藤元彦氏が再選を果たしました。斎藤氏勝利の背景として目を引いたのは、当選する気がまったくないのに立候補した応援者が登場したというできごとです
<本稿は2003年1月開催の日経ネット会議における発言をもとに再構成したものです。まだスマホも無いガラケーの頃の論です。今、個人的にはコンビニやスマホの恩恵におおいに浴していますが、ここでの視点は持ち続けたいです。> 消費資本主義を論じる松原隆一郎氏は、「コンビニエンス・ストアや携帯電話は、戦後日本経済の到達点なのだ。だが、それは本当に誇るにたるのだろうか。・・・消費は、かつて百貨店に出掛けることがもっていた非日常性ないし「輝き」を喪ったのではないか。」と書いています。
はじめに:25年前の文章ですが、読み直したところ今日でもおおいに意味があると判断して掲載します。これは、1999年(平成11年)10月8日に大阪市で開催された(財)情報通信学会 関西支部 第6回支部大会 パネルディスカッション 「メディア産業の変容」における私の発言部分を抜き出したものです。(意味が変わらない範囲で手を入れています。また、見出しは今回付けたものです。) 私が今やっている(やっていた)未来編集という会社は、オンラインのマガジンを出したり、ネット上でサークルとか
◇明治維新をまたいだマルチタレント仮名垣魯文が開いた“カフェ” 仮名垣魯文(かながきろぶん、1829年=文政12年生)という人はもっと注目されてよいのではなかろうか。戯作者(げさくしゃ)といういわば大衆小説家出身の新聞記者で、ゴシップ記事をたくさん書いた人となれば、メディア史やジャーナリズム史の主流には登場しにくいのかもしれない。しかし、明治維新をはさんで、幕末と明治をまたいで活躍した魯文の波瀾万丈の生涯は、変動期の日本社会を舞台に、メディアの変化も反映していてなかなか
元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー37回目です。放送事業で苦労をしたあと、地球環境・エネルギー問題にかかわることになりました。記者時代にもっとも多く取り組んできた分野であるだけに、やりがいのある仕事でした。有馬朗人元東大総長と密に付き合う幸運にも恵まれ、気づいたら17年たっていたそうです。(聞き手:メディア研究者校條諭) ◆ハローワークに行ってみた 前回お話したように、メガポート放送はBS11によって吸収合併されました。とにかくなんとか会社清算の後始末のため
新しいメディアが登場したときは必ず否定的な意見が強く前面に出て、本当に先を見通す人はごくわずかしかいないものです。映画や電話が登場したときの話が有名ですが、発明者自身も必ずしも見通してはいませんでした。 私自身は、1980年代、電電公社が回線開放をすることになった頃から新しいメディアの動向を見てきていますが、新しいメディアが登場した初期の頃は、毎度、本当に判で押したように否定論が周辺やマスコミ上でまかり通るというのが常でした。 湯川 鶴章さん(ジャーナリスト)は、「メール普
<本稿は論座(朝日新聞デジタル)に2022年09月02日に掲載されました。許諾のもと転載します。なお、タイトルを変更しました。> Yahoo!ニュースなどプラットフォーマーによる“盛り合わせ弁当型”の無料メディアがすっかり定着している一方、年々部数減が続く新聞にとっては正念場となっている。Yahoo!ニュース等に配信していくだけでは新聞は食っていけない。あとで紹介するように、Yahoo!ニュースの新聞への依存度を見るとそれほど大きくないのだ。自前のデジタルメディアで有料定
◇ハイブリッド報道の進行 ハイブリッド戦争と呼ばれるのはウクライナ戦争(ロシアのウクライナ侵略で始まった戦争)がはじめてではない。しかし、戦争におけるハイブリッド報道というのはこれまであまり言われてない。最も顕著な特徴は、現地の市民がスマートフォン(スマホ)で撮影した映像がSNSを通じて多数発信されていることである。それを米欧のマスメディアが取り上げて、世界に向けて発信している。その場合、元の映像がフェイクでないかどうかを判断するのがメディアとしてはもっとも神経を使う点
<2016年3月に「情報屋台」に書いた文章です。> ◇本を迷いつつ選ぶ、買う、並べる・・・読むよりも好き もう本屋に行くのはやめよう、と時々心に決めることがあります。 本屋に行くと、当然ながら本との出会いがあります。出会うと欲しくなります。「うーん、でも買ってもツンドクに加わるだけかもなあ」などと考えて躊躇します。でも、やっぱり買ってしまうのです。だから、ツンドクを増やさない最良の方法は本屋に行かないことです。amazonものぞいてはいけません。 しかし、最近(実はだ
以下は、「日経情報ストラテジー」1997年3月号所載に書いた文章です。27年前ですが、古びてない印象です。 ◇新聞連載「サイバースペース革命」の新発想 1996年の11月は日経産業新聞に何度か夜更かしをさせられた。なかなか貴重な体験をさせてもらったのだ。 ある日、帰宅して、パソコンで電子メールを見ると、同紙の「サイバースペース革命」取材班から「至急意見求む」のメッセージ。その締め切りがなんと、翌日の夕方なのだ。それは私にとって、事実上、その晩のうちに書けということであ
◇デジタル化で新聞は平面から立体になった デジタル新聞(デジタル版、電子版)は従来からの紙の新聞と対比すると、「平面」に対して「立体」だと言える。紙の新聞が一日で古新聞と化す平面だとすると、デジタル新聞は立体であり、量的、時間的、機能的な制約がきわめて小さくなった。 量的、時間的、機能的な制約の少ない立体であるから、立体の中身は自由自在につくれる。最新の記事だけでなく、どんどんたまっていく過去記事も読める対象となり、アクセスできるはずの記事量は膨大になっていく。ま
◇明治維新期、日刊新聞が登場 ニューヨークタイムズは日本に特派員派遣 渋沢栄一を主人公とするNHKの大河ドラマは、明治新政府が廃藩置県を断行したことを取り上げていた。明治4年7月14日(1871年8月29日)、政府は東京にいる旧藩主を呼んで通告した。ドラマでは当時のニューヨーク・タイムズの10月17日付けの記事を写しだしていた。記事の冒頭にはoriginal corespondentとある。自社の特派員を日本に派遣していたようだ。 世界で最初の日刊新聞は165
◆情報洪水下の“客引き”経済 現在は情報洪水の時代です。情報を発信するメディアもまた洪水のようにあふれています。なにしろ、一般の個人でさえも膨大な数の人びとがメディアとなって思いのままに発信しています。そこにおいてもっとも注目すべき経済現象はアテンションエコノミーではないでしょうか。人びとの関心を引くことが経済的価値を生むということです。 新聞をはじめとするニュースメディアの観点からアテンションエコノミーを考えたときに、すぐに思い浮かぶのはYahoo!ニュースに代表
◇化け込み女性記者は、開いていない門をこじあけたパイオニア 『化け込み婦人記者奮闘記』(平山亜佐子著、2023年6月、左右社刊)という本が最近出て、いくつもの新聞書評で取り上げられた。明治以降の女性記者の歴史を書いた本は、以前からいくつかあったが、この本は、化け込み記者に焦点を当てて、その実像が具体的に描かれていて引き込まれる。化け込みとはなりすましのことで、読者ののぞき趣味を満たす企画である。 その化け込み記者第1号の下山京子は、明治40(1907)年、大阪時事新
日本におけるインターネットの普及を先導してきたひとりの井芹昌信さんが6月に60代半ばの若さで亡くなりました。井芹さんは1994年「インターネットマガジン」(インプレス発行)の創刊編集長に就任、2006年に休刊するまでインターネットを活用するサービス提供者やその他の関心層に向けて渾身の力を込めて情報を届けてきました。その後は電子出版の発展・普及に尽くし、NextPublishingというプラットフォームを開発提供してこられました。まだ、その道の途上だったと思われます。2019年