MENJO,Satoshi
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マガジンをすべて見るある新聞記者の歩み
- 24本
元毎日新聞記者佐々木宏人さんの記者人生の聞き書きです。入社直後の水戸支局時代を皮切りに、記者としての歩みを連載で辿ってゆきます。 佐々木さんは、経済部や政治部に所属、エネルギー分野を主対象に、通産省担当として第一次石油ショックなど、高度成長期の日本経済の最前線を取材しました。さらにその後、バブルの進行とその崩壊時代、失われた20年の時代にも立ち会いました。組合委員長や広告局長なども務めて、2001年(平成13年)に同社を退職するまで36年間毎日新聞社に在籍しました。 佐々木さんは退職後、記者の経験を生かして、終戦直後の神父殺害事件の解明に取り組み、76歳のときに『封印された殉教(上・下)』を出版しました。 この聞き書きは、Zoomを使ってオンラインで行っています。(校條諭、MENJO,Satoshi)
ある新聞記者の歩み
- 24本
元毎日新聞記者佐々木宏人さんの記者人生の聞き書きです。入社直後の水戸支局時代を皮切りに、記者としての歩みを連載で辿ってゆきます。 佐々木さんは、経済部や政治部に所属、エネルギー分野を主対象に、通産省担当として第一次石油ショックなど、高度成長期の日本経済の最前線を取材しました。さらにその後、バブルの進行とその崩壊時代、失われた20年の時代にも立ち会いました。組合委員長や広告局長なども務めて、2001年(平成13年)に同社を退職するまで36年間毎日新聞社に在籍しました。 佐々木さんは退職後、記者の経験を生かして、終戦直後の神父殺害事件の解明に取り組み、76歳のときに『封印された殉教(上・下)』を出版しました。 この聞き書きは、Zoomを使ってオンラインで行っています。(校條諭、MENJO,Satoshi)
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記事をすべて見るある新聞記者の歩み 19 数字相手の仕事ながら、ハチャメチャな先輩やら少年自衛官出身の型破りな後輩やらに囲まれて
◇政治部にいても先は明るくないよと言われ・・・ 違和感はなかったなあ。古巣に戻ってホッとしたというのが、正直な感想かな。どうしても政治部では“外様”という感じがあったのは否めません。 まあ、それに経済部長がその時、東京の新聞業界の経済部関係では有名だった歌川令三さん、とくに兜町関係では野村證券の社長、会長をやった田淵節也さんなんかにはすごく食い込んでいました。社内外のウワサではいずれ、社長になるとも言われていました。その後、編集局長にもなり取締役だった時、色々あって当時
スキ14ある新聞記者の歩み 17 誰も首相になると思ってなかった中曽根康弘の実像(上) 1面トップの特ダネが政治資金を動かした?!
◇中曽根担当になるのを喜べなかった背景にトラウマ いやあ、実はあまり気乗りがしなかったですね。通産省担当時代の“中曽根通産大臣”へのトラウマがありましたから・・・。 この連載の第一次石油ショックの時にはしゃべっていないんですが(第6回「降ってきた石油危機 しんどいながらも記者として得た幸運」参照)、中曽根さんへの不信感があったんですね。 その内容は20年経って経済部長時代のことですが、当時のことを頼まれて電気新聞に連載した「証言第一次石油危機」の中で「石油危機よ
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