MENJO,Satoshi(校條諭)

メディア研究者  『ニュースメディア進化論』(インプレスR&D、2019) 『メディアの先導者たち』(NECクリエイティブ、1995) NPO法人みんなの元気学校代表理事  https://webronza.asahi.com/authors/2021082200001.html

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メディア研究者  『ニュースメディア進化論』(インプレスR&D、2019) 『メディアの先導者たち』(NECクリエイティブ、1995) NPO法人みんなの元気学校代表理事  https://webronza.asahi.com/authors/2021082200001.html

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    • ある新聞記者の歩み

      元毎日新聞記者佐々木宏人さんの記者人生の聞き書きです。入社直後の水戸支局時代を皮切りに、記者としての歩みを連載で辿ってゆきます。 佐々木さんは、経済部や政治部に所属、エネルギー分野を主対象に、通産省担当として第一次石油ショックなど、高度成長期の日本経済の最前線を取材しました。さらにその後、バブルの進行とその崩壊時代、失われた20年の時代にも立ち会いました。組合委員長や広告局長なども務めて、2001年(平成13年)に同社を退職するまで36年間毎日新聞社に在籍しました。 佐々木さんは退職後、記者の経験を生かして、終戦直後の神父殺害事件の解明に取り組み、76歳のときに『封印された殉教(上・下)』を出版しました。 この聞き書きは、Zoomを使ってオンラインで行っています。(校條諭、MENJO,Satoshi)

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    ある新聞記者の歩み 26 支局のもうひとりの若手、のちのオウム事件での激烈な取材の原点?!

    元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第26回は、甲府支局時代の若手3人のお話の3人目です。クマちゃんの愛称で呼ばれる隈元浩彦さんは難しい取材にも積極果敢に当たっていく人でした。それでいて、特ダネをモノにしても自慢したりしない隈元さんは、今も生涯一記者としての道を歩んでいます。 三者三様の若手にのびのびと仕事をさせた佐々木さんにとって、甲府支局長時代は、新聞記者人生の中でも格別の思い出として残りました。(聞き手=メディア研究者 校條諭) ◇難しいことでも「やりまし

      • ある新聞記者の歩み 25 支局の若手の一人は未来の社長!

        元毎日新聞記者佐々木宏人さんからの聞き書き第25回です。前回は、佐々木さんが甲府支局長時代に面倒を見た若手3人組のうち、現在、社会部専門編集委員として終活などをテーマに活躍している滝野隆浩さんに焦点を当てました。今回は、松木健さんをメインに取り上げます。松木さんは、今年(2022年)、毎日新聞社の社長に就任されました。新聞記者たるもの、まさか、新人時代から社長をめざしていたなんてことはないと思いますが、どんな新人だったのでしょう。なお、佐々木さんが支局長時代を振り返るときに忘

        • ある新聞記者の歩み 24 「日本一の支局!?」を支えた若手3人

          元毎日新聞記者佐々木宏人さんからの聞き書き第24回です。今回は、甲府支局長時代の2回目として、当時の若手記者の中の3人についてのお話です。 いちばん先輩は1983(昭和58)年入社の滝野隆浩さんで、防衛大学校出身の異色の記者。最近は社会部専門編集委員として防衛問題に加えて、人生最終盤のケア、葬儀、墓問題など「周死期」の終活問題を柱に健筆を振るっています。毎週日曜日の朝刊に連載しているコラム「掃苔記(そうたいき)」は私も愛読しています。85年入社の松木健さんは、経済部長や編集編

          • ある新聞記者の歩み 23  甲府支局長に赴任。家族6人そろって転居、地域とつながる。

            元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、44歳の春、山梨県の甲府市局長として赴任しました。中央から行く支局長はたいてい単身赴任でしたが、佐々木さんが異色だったのは、家族(妻と子供4人)もいっしょに引っ越して家まで買ってしまったことです。支局では、地元に明るく指導力あるデスクや、成長途上ながら優秀な若手といった人材に恵まれました。おもに経済部で官庁や大企業取材してきた佐々木さんにとって、新人で配属された水戸支局時代以後は、中央での取材に明け暮れていたので、地方での仕事は実におもしろく有

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            ある新聞記者の歩み 22 記者から労組委員長へ 2年間の得がたい経験

            元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、勤続18年、42歳のときに、いったん記者生活を離れて労働組合の委員長になります。目をかけてくれていた2人の先輩から背中を押されてのことです。夜討ち朝駆けにも行かなくなり、生活は一変しました。それまで接触のなかった現業の人たちと付き合いができたり、地方を回ったり、スピーチの草稿を練ったりといった貴重な2年間だったと言います。(聞き手=メディア研究者校條諭)   ◇記者がなりたがらない労組委員長に就任 Q.前回は、佐々木さんが経済部所属で大蔵省記

            ある新聞記者の歩み 21 牙を抜かれる前の誇り高き時代の大蔵省こぼれ話 地下に霊安室?!

            元毎日新聞記者佐々木宏人さんの経済部大蔵省担当完結編(3回目)は、官庁の中の官庁と言われたエリート官庁大蔵省(現財務省)での見聞記です。どんな人がいて、他の官庁とはどんな関係で、銀行・証券・生損保などの関連業界とはどうだったのかなど具体的エピソードを伺っています。そのあと、大蔵省にとって大きな分岐点だったこの当時のことを振り返って、佐々木さんが今あらためて思うことを語っています。(聞き手=メディア研究者 校條諭) ◇官官接待の日々、たくみに誘う民間金融業界  Q.佐々木さ

            ある新聞記者の歩み 20 禁断の木の実を食べたらどうなるかと案ずる人たち

            うーん、100周年の時は1972(昭和47)年でしょう。僕は水戸支局から経済部に上がって2年目。130周年の際に出された『毎日の三世紀 新聞が見つめた激流130年』を見ると「2月21日に各本社で『百年記念式典』を挙行」とあります。でも、全然覚えてないなあ。その頃、経団連クラブで電機メーカー担当で飛び回っていたころですね。式典にも行っていないと思います。 むしろその2ヶ月後に表面化して大騒ぎになった、外務省沖縄密約機密漏洩事件で祝賀ムードは吹っ飛んじゃったことを思い出します。

            ある新聞記者の歩み 19 数字相手の仕事ながら、ハチャメチャな先輩やら少年自衛官出身の型破りな後輩やらに囲まれて

            ◇政治部にいても先は明るくないよと言われ・・・  違和感はなかったなあ。古巣に戻ってホッとしたというのが、正直な感想かな。どうしても政治部では“外様”という感じがあったのは否めません。 まあ、それに経済部長がその時、東京の新聞業界の経済部関係では有名だった歌川令三さん、とくに兜町関係では野村證券の社長、会長をやった田淵節也さんなんかにはすごく食い込んでいました。社内外のウワサではいずれ、社長になるとも言われていました。その後、編集局長にもなり取締役だった時、色々あって当時

            ある新聞記者の歩み 18 誰も首相になると思ってなかった中曽根康弘の実像(下) それでも首相になれた秘密とは?

              ◇遊説先で記者をたたき起こして・・・  選挙になると遊説で各地を回る政治家に同行取材をします。数社いっしょに回ります。中曽根派の代議士のいる選挙区、今日は札幌と旭川、明日は秋田、山形とか・・・。遊説で何を打ち上げるかが、ニュースになるわけです。そうやって同行する中で政治家と仲良くなったりします、地方における自民党の政治地図も分かるわけです。 お陰様で僕も中曾根さんについて日本全国を回りましたね。遊説では、政治家は地方なのでつい気をゆるして演説などで放言などをすること

            ある新聞記者の歩み 17 誰も首相になると思ってなかった中曽根康弘の実像(上) 1面トップの特ダネが政治資金を動かした?!

             ◇中曽根担当になるのを喜べなかった背景にトラウマ  いやあ、実はあまり気乗りがしなかったですね。通産省担当時代の“中曽根通産大臣”へのトラウマがありましたから・・・。  この連載の第一次石油ショックの時にはしゃべっていないんですが(第6回「降ってきた石油危機 しんどいながらも記者として得た幸運」参照)、中曽根さんへの不信感があったんですね。  その内容は20年経って経済部長時代のことですが、当時のことを頼まれて電気新聞に連載した「証言第一次石油危機」の中で「石油危機よ

            ある新聞記者の歩み 16  外交のおもしろさ実感 カップ麺で空腹しのいで原稿打電もよき思い出

            元毎日新聞記者の佐々木さんのオーラルヒストリー第16回です。前回は、大蔵省より実は人気だったという自治省の担当時代について聞きました。今回は政治部生活の終盤、外務省担当になった短い期間の体験談であり、外交のなまなましい現場を見た貴重な証言を話していただきました。秘書官として首相を補佐する官僚の人間性にも強く印象に残ったようです。(聞き手--校條諭・メディア研究者) ◇第2次石油ショックの記憶無しQ.まずは、政治部で自治省担当の頃の続きから伺います。 政治部にいた時期、第2

            ある新聞記者の歩み 15 若くしてひとり地方に降り立ち、もまれて育つキャリア官僚

            元毎日新聞佐々木宏人さんのオーラルヒストリー第15回です。前回は、経済部から政治部に移って、個性が強く魅力あふれる政治家たちと出会った話をお聞きしました。今回は、一転、官僚の世界です。佐々木さんは政治部時代、自治省と外務省を担当されています。経済部時代とは違った目で見た官庁の世界は、それなりに新鮮だったようです。今回は自治省、次回は外務省担当当時のことをお聞きします。 役所の中でもっとも気位の高い役所というと私など財務省(旧大蔵省)を思い浮かべますが、実は内務省の流れを汲む自

            ある新聞記者の歩み 14 激動の日々の記憶に残る政治家群像

            元毎日新聞記者佐々木宏人さんからの聞き書きの14回目です。前回お伝えしたように、佐々木さんが政治部に配属となった年に、勤め先の毎日新聞社が事実上倒産しました。しかし、会社の新旧分離という“離れ業”で、社の事業は継続できたため、佐々木さんは、会社経営の大波をかぶることなく、政治部の現場で新聞記者としての仕事本位の日々を送ることができました。政局によって大きく動きが変わる政治部は経済部とまったく違う文化でしたが、それがたいへんおもしろかったと佐々木さんは言います。(聞き手-校條諭

            ある新聞記者の歩み 13  会社“倒産”!それでも新聞記者で生きる。

            元毎日新聞記者佐々木宏人さんからの聞き書きも13回目となり、前回から政治部の時代に入りました。しかしこの時期、毎日新聞社は、大変な経営危機に見舞われ財界などの支援を受け、倒産を回避する「新旧分離」という荒治療によって危機を乗り越えます。経済部から政治部への転身と同時に会社勤めの“サラリーマン”として、どうやって危機を乗り越えたのでしょうか。政局によって大きく動きが変わる政治部は経済部とまったく違う文化の政治部で活躍する佐々木さんですが、どうそれに対処していったのか。「まあ、そ

            ある新聞記者の歩み 12  政治部に移って、人間くさい政治家とのつきあいを楽しむ日々

            元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、“本拠地”経済部を離れて政治部に移ります。1977(昭和52)年、35歳の頃でした。通産省とか電力会社、総合商社、大手鉄鋼会社などを相手に取材してきた佐々木さんにとって、政治の現場で政治家という人間に当たるのはむしろおもしろいと感じ、自分に合っていたと言います。 昨今、記者と政治家の距離の取り方が問題視されたりしていますが、マスメディア、なかでも新聞の権威が輝いていた時代に、取材の現場はどんなだったのか、それをビビッドに率直に伝える佐々木さんの

            ある新聞記者の歩み 11 テーマはトマトから鉄鋼まで 自由な社風のもとでのびのび取材

            元毎日新聞記者佐々木宏人さんは、入社後約5年間水戸支局に勤め、そのあと28歳で経済部に配属となりました。政治部に移るのが35歳のときですが、その間8ヶ月ほど語学留学で英国に行ったので、経済部生活は実質6年強ということになります。佐々木さんの新聞記者としての骨格がこの6年間でできた印象を持ちます。後年また経済部に戻ってきますが、今回は第1次経済部時代のしめくくりです。(聞き手-校條諭・メディア研究者) 経済部時代(7)◆「冬のトマトは石油のかたまり」Q.ところで、『当世物価百