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SDGs史 #1 "かけがえのない地球 Only One Earth" 1972年6月

 環境省の白書でもSDGsの説明は、1972年のストックホルム人間環境会議から始まります。そこが起点だったんですね。
 個人的には、ストックホルムは国際学会でノーベル賞晩餐会で有名な「黄金の間」でディナーをした思い出の地です。サステイナブル都市でも有名です。歴史を知ると、なるべくしてなったことが分かります。

 歴史を知る意義は、「SDGs史 #0 方程式と鶴亀算」で記事にしました。

 てなわけで、本題に入ります。

ストックホルムで開催されたわけ 

 以前、少し書きましたが私の元上司は、ストックホルム人間環境会議の日本政府の代表ミッションの一人として参加していました。当時の様子を直に耳にしてきたので、元上司の言葉と解釈、書籍が下地になっています。
 この会議は、環境省の白書の中では、ほんの2,3行で書かれた部分ですが、この時の様子を紐解くと「今」、何が起きているのかを理解する手掛かりとなります。ちょうど50年前ってのもすごいですね。半世紀の物語です。

 ストックホルム人間環境会議は、正式には国際連合人間環境会議です。1972年6月5日~16日までストックホルムで開催されました。一般的には、「環境問題についての世界初の大規模な政府間での会合」と説明されます。

 ですが、元上司いわく、1960年代後半には、声がかかり準備段階に入っていて、「人間環境 (the Human Environment)」ってなんだ?で相当、困ったそうです。環境って今でこそ共通認識ですが、当時は曖昧な言葉だったようです。国内外で喧々諤々と議論するも、各国で言うことはバラバラ。でも、そうやって議論したことがすごく大切だったんですね。

 なお、史実は主に「かけがえのない地球"のために
-国連人間環境会議とストックホルム人間環境宣言(金子 熊夫、1972年)」
に依拠しております。一部、主観も含まれています。

 今、SDGsってなんだ?と議論しているのと同じ様相です。でも、この時は、国のお偉いさんたちと専門家が考えている段階今は、私たち全員が考えている段階。それまでに50年かかっています。

 ただ、一つ共通認識はあったようです。「かけがえのない地球 (Only One Earth)」というキャッチコピーです。今でこそ、センチメンタルな言葉ですが、当時は切実な求心力があったようです。

"これから毎年、平和で喜びに満ちたアースデイだけが、
我々の美しい宇宙船地球号に来るように。"

ウ・タント国連事務総長(1971年演説、役職当時)

"ぼくたちは、かけがえのない地球に「同乗」している、仲間です。"
「ガラスの地球を救え 二十一世紀の君たちへ( 手塚治虫、1996年)」

 一つには、先進国の「公害」が看過できない状況になりました。今の環境問題は、加害側であっても被害が目に見えない難しさがあります。一方、「公害」は目の前で川や海や森や林や農地や風景が破壊され、しかも健康被害で亡くなる人が身近にでてきます。
 その原因は、近くの工場であったり、道路を走る車であったり、農薬であったりと、とにかく視覚的に加害側が特定できるわけです。しかも、それは経済活動にための「必要悪」ともいえます。
 当時の先進国は、工業国でした。経済のためには仕方ない。でも、「さすがに人が住むには環境が悪すぎるし、自然が破壊されるのも辛いので、改善しなければいけない。」
 そんな人として当たり前の感情のジレンマが目に見える形で現れた時期でした。

 それに合わせて警告を鳴らす書籍や活動も活発化していきます。世界的には、1962年のレイチェル・カーソン「沈黙の春」が最も有名です。この本の書評は後で書きます。日本では、石牟礼道子「日本だと苦海浄土 わが水俣病」が1972年に書かれますが、会議の前から各方面で発信されていました。

"春がきたが、沈黙の春だった。いつもだったら、コマドリ、スグロマネシツグミ、ハト、カケス、ミソサザイの鳴き声で春の夜はあける。そのほかいろんな鳥の鳴き声がひびきわたる。だが、いまはもの音一つしない。野原、森、沼地――みな黙りこくっている"
「沈黙の春」より *元タイトルは、"Silent Spring"です。

 それでも「公害」は、住んでいる場所の近くで被害が起きるので、基本的には国内の問題だったんです。もちろん、解決のために協力はしましたが、国際的な課題ではありませんでした。

 しかし、ヨーロッパでは、イギリスや中欧の工場排煙が北欧に流れて産業公害、とくに酸性雨の被害が増えていることが指摘され始めてきました。「公害」が国境を超えた事実が研究発表され始めたんですね。そのため、北欧、とくにスウェーデンにおいて「酸性雨などの国際環境問題こそ国連で扱うべきだ」との主張が世論の中で大きくなり、ストックホルムで人間環境を扱う国際会議を開く機運が高まったわけです。

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「公害」は決して過去のものではなく、今も各国の課題です。
SDGsには、「公害」から得た教訓を多分に盛り込んでいます。

 それでもすぐに各国に受け入れられたわけではないんです。次回は、途上国の主張を取り上げます。徐々に発信しますね。

 お読みくださり、ありがとうございます!!!!

 これまでの文章は、『サステイナビリティ私観』をご覧ください。
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サステイナビリティ私観 (5)

「世界を変えるお金の使い方(Think the Earth Project編)」に基づいて100円単位~数万円単位でできること、50項目を実行し、その報告を記事にします。 「毎日使う100円玉にも世界を変える底力があります(P11)」 応援、ありがとうございます!!!!