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自称新聞マニアの私が思う新聞の現在地。

子供のころから新聞が大好きでした。大学時代は、全国紙(朝日、毎日、読売、日経)を図書館で必ずチェックしていました。

今でも新聞休刊日は、テンションがさがる一日です(^^;)

6日、西日本新聞社が発行する西日本スポーツ(西スポ)が発行休止を発表しました。その件について書いています。

今回は、私の新聞についての考えをまとめてみました。

新聞の存在意義への誤解

新聞の凋落が指摘されて久しいですが、確かに新聞社の問題もありますが、それを購読する人々の問題もあるのかなと思います。新聞を読む意義を理解されていないように思うからです。

家庭教師時代、社会的意義の高い職業に就いておられるお父様が突然、新聞の購読をやめると言い出し、生徒が困ってしまったことがありました。

お父様曰く、「ニュースはネットやテレビで十分だ」ということのようです。いわゆるインテリに属する人がこのようなことを言い出す時代になったのかと驚いたものです。

このお父様の認識こそが、新聞の価値についての最大の誤解だろうと思います。実は、今も昔も新聞に速報性(=1次情報)にそこまでの価値はありません。そもそも、新聞の価値は速報性にはないのです。

新聞の存在価値

では、何に価値があるのかというと、ニュースの分析と検証(=2次情報)です。つまり、ニュースが生じた後、いかに追跡し、真相にたどり着けるかがポイントなのです。

事件や社会問題の背景を追い、真相を究明していく姿勢。これが新聞の実力を示すバロメーターです。

いわゆる検証記事、テーマの良い企画記事のクオリティこそが新聞の生命線なのです。

その点で言えば、今も昔も朝日新聞が頭一つ抜けています。ただ、朝日新聞自体が、真相究明の姿勢が年を追うごとに劣化し、安倍元首相などの権力側からの攻撃に屈したこともあり、存在価値を失っていったとみています。

ここぞとばかりに、他社が朝日を追い越せばよかったのでしょうが、毎日も読売も同じように劣化したことで、新聞がドミノ倒しのように読者から見放された理由であるのかなとみています。

あと、権力の監視機能というのが、日本の新聞では発揮されにくいことも問題を加速させました。権力側が設定した会食に編集委員クラスの幹部が参加し続けたことで、信用を失墜させたことも大きかったなと思います。こんな安易な懐柔策にハマるほど彼らは愚かなのかと見限られても仕方ない愚行でした。

話を戻すと、紙よって得られる一覧性も極めて大きい価値です。1次情報、2次情報、企画記事、生活情報、海外の知的インフルエンサーのインタビューなど、さまざまな組み合わせた記事を一覧することで、総合的かつ多角的に情報に触れることがきます。それが、情報リテラシーを高めることができるのです。それが紙の新聞の価値でもあります。いい意味での情報への偶然の出会いが、人の知力を向上させます。これは、ネットでは代替不可能です。ネットは、見たいものだけを見るメディアですし、AIによってそれが後押しされてもいます。

ある政権与党の権力者は、「新聞を読まない国民は、みなわが党の支持者だ」と語っていますが、それを聞いて、なるほどなと妙に納得したものです。分析された情報に触れないと、人は現状を無批判に受け入れるようになり、肯定へと走る性質があるのでしょう。

日経新聞は一般人には不向き

分析という点では、一番読む価値がない、正確には一般人に読む価値を見出せないのが日経新聞です。きめ細かな企業情報が売りですが、企業情報を網羅するためには、どの企業とも仲良くせざるを得ないので、企業が絡む社会問題などはどうしても追求が及び腰になります。どなたかが、日経新聞は、「日本の社内報」とおっしゃっていましたが、的を射た指摘でもあります。

だからこそいいという面もあり、使いこなすには読み手の力量が求められる新聞でもあります。日経新聞は、市場動向を分析したり、専門性を打ち出したカテゴリー別新聞が価値があると私は理解しています。

日経新聞が「私の履歴書」という企画記事を手放せないのが、日経新聞の宿命であり、存在意義でもあるのだろうと思います。

新聞の凋落と同時並行で起こっていること

そんな新聞の凋落と同時に起こっている出来事があります。それは権力側から本音が漏れ出ています。「国民はどうせ、すぐ忘れる」というものです。

そもそも情報はすぐに劣化します。話題性が弱いと明日には、価値がないとなってしまうのです。人の関心は、それくらい移り気です。

都合の悪い情報は、さっさと忘れてもらいたいというのは、都合の悪いことを報道された側の本音だろうと思います。

今、自民党が手を焼いているのが、いわゆる統一教会(協会)問題です。これは日本テレビを中心とした読売新聞グループが力を入れて追いかけています。問題が長期化している背景には、彼らが執拗に問題を分析し、掘り起こしているからです。これが他社を脅かし、かつ勇気づけてもいます。NHKがようやく重い腰を上げたのもこの読売の頑張りあってのことだと思います。

これがじわじわと自民党を追い詰めています。これがジャーナリズムの本来の役割であり、情報を深く追求していく姿勢こそが価値があるのだと思います。

新聞はもっと自分たちの価値をアピールを

このままでは、新聞の未来は極めて暗いと思います。数年前までは大したことないと高を括っていた上層部も、今はそんな楽観論は吹き飛んでいることでしょう。

若く意欲的な記者は、今も健在だと思います。

新聞の価値を人々が解さなくなっている現実を直視すべきであり、自分たちの価値を高める記事を読者の立場に立って発信することだろうと思います。期待を込めて、このまま土俵を割ることはないと信じています。自分たちの存在意義をかけてクオリティの高い記事を出す力はまだあると私は思っています。

記事のテーマで言えば、この国を数十年に渡って蝕んでいる消費税について、掘り下げる意欲のある新聞が出てきて欲しいところです。

権力によっておこぼれ的に、軽減税率を適用してもらって何も感じないのであれば、滅びても仕方ないのではとも思います。

ようは、社会悪への戦う姿勢のないメディア、権力監視の役割を果たせないメディアは、紙であれネットであれ、存在意義はありません。紙だから価値がないのではなく、中身に価値がないから買わないだけです。

時代の流れだからといって、デジタル移行などと考えているのであれば、デジタルでも生き残れないと思います。





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