ファスト風土化が未だに根付く日本
タイトルにファスト風土化を入れようと思ったのは、日本の町並みが未だにファスト風土化が進んでいることから、残っていることからです。もちろん先進的な街はそれを解決しようと思っているのでしょうが、看板は同じように並びそれもすべてがどこにでもあるチェーン店の看板で(コンビニ含む)しかしそれがないと客すら寄ってこないこの現状の打破は不可能ではないかと思うわけです。ブランディングという言葉もこの看板に関わるファスト風土化との対決になると難しい点ではないかと思うわけです。
そもそもなぜ日本はすべて同じような町並みなのか。それは機能性重視の国であるからと断言しましょう。ヨーロッパの町並みに比べると格段にファッショナブルかどうかで言うと負けます。しかし機能性だと負けません。内需で賄ってきた日本はこの看板の整列により支えられてきたということも出来るでしょう。
店舗の立地や周辺にある競合業者との立地争いは企業の生産性、ひいては日本の内需経済を支える上で重要なことでした。どこに店を建てれば儲かるか、これが店舗立地の重要な点の一つであることは疑いのないことでありますし、店舗の立地は企業の新規出店ないし既存店売上の向上のためには必要不可欠なことでしょう。
しかしそれが結局ファスト風土化してしまった。
だからといって店舗立地や店舗の斬新なデザインを行えるかというとそうではありません。アムステルダムのような美しい町並みに10〜20年でつくりあげようとしても、その町の反対は抑えきれないでしょう。日本では景観条例なども有りますが、それも店の看板の色を変えるなどの全体のまちづくりには関わりきれないところもあります(ランドスケープの重要性を重視したまちづくりをしている町もありますが)。
日本の町並みは古くは鎌倉〜江戸時代の町の形成に遡ります。そのときのまちづくりが全てと言っても過言ではありません。京都で言えば平安時代、平安京が出来たときに四神に都の平安を祈ったことに始まります。その後の日本各地のまちづくりは門前町なり宿場町なりで出来がりました。もうひとつ書いておきたいのは、戦中のひどい空襲で町並みが無くなったがゆえに出来た近代的なまちづくりでしょうか(これは過去の遺産の消失と共に戦火のことを考えると心苦しいことですね)。
それはいいんですが、なぜに日本の町の建築物は慣れてしまうデザインなのかなと思うわけです。訪れるたびに感動する清水寺のような建物よ現われよ!という気がします。今はお寺も機能性と景観を調和したものに生まれ変わろうとしています。最近出た名古屋城のニュースも目新しいところです。しかしどんなに外観が立派でも中に入るとエスカレーターがある。こう書くと考えられるのは、機能性は景観やデザインと戦うのかということです。
答えは否です。先に書いたお寺の景観を損なわないまま機能性を重視した施設を整備できるところから、それは可能です。そしてそれが出来る寺社仏閣とそれを設計し作り上げた日本人は本当にすごい。そのような近代建築に出会いたい。
答えは出しませんが、これの答えに生きている間に出会えれば最高ですが・・・。
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