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あさをつなぐひと~⑥


 しかしそんなんめっちゃ勿体ない事やと思いませんか。せっかく綺麗に舗装された道やのに、天の川か、なんちゃら流星群かは知らんけど、星がいーっぱい出てる夜にそれを見に行きもせんと、屋根の中にずーっとおるようなものです。先人からしたら(わてら血ぃまで流してんのに)とずっこけてしまうでしょう。

  例え、一人あたりの選択肢が星の群れと匹敵するほどになったとはいえ、全ての人が一度の人生で、全ての星を巡る“空のお出掛け(デート)”は出来ません。星も気まぐれに雲隠れすることもあるし、多少は星の数も違うでしょう。

  どこへ行けばいいか分からない。

  そもそも何をしたいのかも分からない。


  その気持ちはとてつもなくわかる!!

  あささん、私には大いに分かるのです。

  そんな時。はて、どんな時?

  目がチカチカする時です。


  私は、かつて勤めていた喫茶店で垣間見つづけた『ある光景』をなるべく思い浮かべるようにしています。

  それは、喫茶店でお客さんがケーキセットのケーキをどれにしようかなぁと悩んでいる時の顔です。

  チョコケーキにするのか、苺ショートにするのか、抹茶シフォンにするのか。

  モーニングの時間帯なら、トーストに塗るのはバターか苺ジャムか、もしくはその両方か。バターと砂糖という手もある。

  その瞬間、お客さんというのは老いも若きも男も女も(おとこもおんなも)、国籍までをも飛び越えて、皆がみんな悩むことを楽しむファンタジスタ(多芸多才な人)になります。


  中には、うちの親のように一緒に店に来て、喫茶店ですぐに注文出来ない人に『早く頼めよ』といらいらする人もいます。私もどちらかと言えばいらちなので、そっち寄りです。しかし、これが喫茶店での注文ではなく、もっと大きな何かの選択であるとするなら。『早く頼めよ(早く選べよ)』と外野が圧をかけるのは違うと思うのです。


  ケーキを選ぶように。服屋で服を見るように。本屋で知りたいことの本を選ぶように。


  人には本来、悩むことを楽しむ力があるて思てます。それさえあれば魔法の絨毯がなくても、アラジンがおらんでも、なんとかなるて思てます。

  ここまでの長い文章を読んでくれてる方に、アラジンおらんでもという言い方をして、「独身でも大丈夫」という浅い読み方する人はおらんと思うけど、ここでいう絨毯とアラジンは、閉塞的な窮屈から解放してくれる象徴(シンボル)です。

  悩むことを楽しむ力、それこそが本当の魔法の絨毯であり、※11手を差しのべてくれるアラジンの手でもあるのです。

 つづく

補足情報

※11 手を差しのべてくれるアラジン手:劇中のシーン。絨毯に乗る前に、アラジンはジャスミンに手を差しのべてくれる。


※この感想文は2018年に書いたものです。

それではまたのちほど(* ̄∇ ̄)ノ

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