必ずしも「優しい」が優しさではないという話

 True Tenderness


 以前から「優しい」という言葉に違和感を感じるのは、「優(すぐ)れた」や「優(まさ)る」という意味を持った「優」という漢字が充てられていることなんです。

 なんか、”やさしい”という意味と漢字が、チグハグな感じがしませんか?


 もしかすると「優しい」という言葉は、お互いの間で使われるのではなく、別の第三者から見て「優(すぐ)れた」行為をした側を称賛する場合に使われてきた言葉なのかもしれません。


 たとえば教師が生徒の行動を誉めるため

 大人が子どもの行いを誉めるため____


 たしかに、他の人に「優しい」行為をするのは「優(すぐ)れた」ことですよね。

 でも、そこには、行った側への称賛はあっても、行われた側への視点はないのかもしれません____。



 もちろん、「優しい」行為は大切なことだと思いますが

 第三者から、「優しい」というのは ”こうあるべき!” みたいに、固定化された価値観が存在するとすれば、せっかくの「優しい」には誤解が生じてしまうことがあるような気がします。


 相手のことを思ってやったことが、実は、相手にとっては嫌なことだったり、相手を気遣った言葉が、かえって相手を傷付けてしまったり....

 結果として、自分の「優しい」という価値観を、相手に押し付けてしまうことになってしまったり......

 そこに悪意があるわけではないのに、なんか不幸なことに感じます。


 「優しい」は難しいですね。

 必ずしも、自分の「優しい」が、相手にとっては「優しさ」と感じられることばかりではないように、 

 時には、自分の「厳しい」が、相手にとっては「優しさ」と感じられることがあること____

 また、恋の終末においても、相手に優しさを感じさせないことが、もしかしたら「優しい」ことなのかもしれません。


 相手の本当の気持ちを思うこと。

 それが「優しい」の出発点になるんだと思います。


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(追記)

 先日、放送されたドラマ「半沢直樹」の中で「貸すも親切、貸さぬも親切」ってセリフが出てきましたが、今回の記事テーマ「優しい」にも通じる部分があるように思えました。


 大人として、子どもに意識付けをしていくなら___

「相手に優しくしなさい。」.....ではなく

「相手のことを考えて行動しなさい。」とかの方が適当なのかもしれませんね。