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母への手紙


文章はネガティブですが、筆者は元気ですので、安心してください。

ママへ

信頼している大学教授が、「話で一番重要なことをはじめの言葉として書きなさい」と教えてくれたのを覚えている。

私は自己満足の、たぶんこれから先何の役にも立たないような論文のはじめの言葉に、当時研究対象であった毛むくじゃらで小さくてすばしっこい、愛らしい生き物の名前を書いた。
何の役にも立たないと言ってしまっては、真摯に指導してくれた教授に失礼である。

手紙とはいえ、そういうことを気にする。
けれど申し訳ないことに、今の私にはしっくりとくる言葉が見つからない。
だらだらと書くことを許してほしい。

私はママのことを信頼している。
家庭内の脅威である父親に対して同じ思いを抱き、ともに戦う同志であったと、ずっと思っていた。
しかし、最近その認識がどうやら違うのではないかと、私は感じている。

覚えている限りでその感覚を初めて感じたのは、浪人している時の例の事件である。
例の事件と言ってもママと父親との間には日々事件が起こっているからどのことかわからないよね。
早朝の犬の散歩と、それから帰ってきたら数学の問題をやる、あの事件のこと。

朝5時頃だったか、夏だった気がする。
仕切りの一切ない我が家で、一階にいる父親に気づかれないように、ママは私の名前を呼びながら体をゆすったね。
一階からは父親の大げさなほどの息遣いが聞こえてくる。
気味が悪くてぶるっと体が震える。
一週間休みをとった父親が、その間の朝、犬の散歩に一緒に行こうと誘っていることを、ママが教えてくれた。
寝起きの私は頭をフル回転させて、目的はそれだけじゃないだろうなと踏みながら、弟を起こさないように静かに身なりを整え、私もそういう提案をしたかったという体で娘を演じた。

大阪の夏と言えど、早朝の少しの間は気持ちの良い空気感であった。
それに助けられて、私はようやっと散歩から帰ってきた。

正直、早く父親から解放されたかった。
けれど、これまでの経験からそうしてはいけないということも分かっていたので、散歩から帰ってきてふうと一息ついてその余韻を分かち合いたいと思っている風にした。
私の予想は当たっていて、父親はどこから持ってきたかわからない有名予備校が出版している数学の問題集を持ってきた。
散歩の後、毎日一ページずつ、父親が時間を測っている前で問題を解くことになった。

楽しいとか、嬉しいとか、自分では思わなかった。
ただ、父の機嫌を損ねないように、これをこなすことでママが少しでも楽になっているかも、と信じてやるしかなかった。

一週間、やり切った。
7日目、解放感で布団に入るなりにんまりとしてしまった。

次の日も、朝起こされるなんて、思ってなかったよ。

(気を良くした?)父親がもう一週間休みをとったらしい。
あの日々が、あと倍、続くのである。

だんだんと、疲れてくる。
私も、そして父も。

問題集はページをめくるたびに端に記された星の数が増えていって、13日目、とうとうペン先が完全に止まってしまった。

一文字も書けなかった。

難しい問題だから、解くのに用意されている時間も長い。
でもどんなに時間があっても、問題が解けることなんて絶対になかった。
何も言わない父親の圧と、疲れ、早くこの場から逃げ出したい気持ちに駆られて、すがる思いで問題集の答えを見た。

それが心の底から気にくわなかったのだろう。
父は烈火のごとく私をしかりつけ、丸つけに使う赤ペンで私のノートに見たことがないほど大きなバツを何ページにも渡って刻んでいった。
これまでの頑張りも、何も、なくなってしまった。

父は謝罪ができない。
その代わりに何かしらの行動を見せる。
正直、顔も見たくない父親がする行動に対して、私は父が満足するように応えなければならない。

二階から降りてきた父親が、桃を剥いて持ってきた。
つやつやと汁の滴る、クリーム色と朝焼けのような赤がマーブル状に彩られたそれはよく熟していて、触れば繊維がほどけてしまいそうだった。
直近2週間の成果をぐちゃぐちゃに踏みつぶされて、心まで涙と鼻水でぬれてしまった私は、できるだけ優しい声で父に先に上がってて、と伝え、こんな時に食べたくなかった完熟の果実を口に放り込んだ。
口の中に残った甘みがその時の自分の気持ちと反しすぎていて、感じたことない喪失感を味わった。

何もなかったかのように、朝ごはんが準備された二階のテーブルに座る。
笑顔を作るのも得意。
弟たちが何かを察して緊張している空間。
はあ、なんでこうなったんだろう。

頼みの綱のママ。
ねえ、ママ。
ねえ。
うぅ。
ママ、ママ。

助けて。

そういう行動をとると父が怒るので、心の中でママを呼んで泣いていた。

でも、

「はい、ろこんちゃんは頑張ったから、ベーコン一枚多くたべや。」

目も合わせずに、フライパンに乗ったベーコンを一枚、決して丁寧とは言えない様子で私の皿に載せた。

なに、それ?

違う違う。
なんで、なんで。
あの人を、注意してよ。
ねえ。
頑張った?頑張ってたよ、あなたのために。必死で。
その一言で片づけられることじゃないよ。

お皿に敷かれたベーコンを食べると、それを肯定しそうな気がした。
違う、違うんだ。
私を、見てよ。
一緒に、戦ってくれるんじゃなかったの?
守ってくれないの?

食べ終わったお皿を洗う。

翌日、14日目にも父と散歩に行った私を、ママは偉いと言った。

いつもなら、父がいないときに話すと私のことを肯定してくれるママ。
この時は、違った。

何度話をしても、私が悪いことになった。

気持ちが伝わらなかった。

辛かった。


この時は、本当に悲しかったし辛かった。
辛くて辛くて、ママと認識が違っているなんて考える余裕もなかった。


大学に入学してから父親が私の家に来た時。
本当に嫌なのに、ママは私に、「でもな、パパ、成長してるねん」と言ったね。

まとまったお金がないから今だけ奨学金を借りてくれないか、後でパパが全部返すから、と言われて奨学金を借りた後、そんな話なくなってたね。
ちょっと待ってよと言う私に対して、大学は自分で行ったって言えばいいってパパ言ってたって、ママは私に言ったね。

就職祝いにくれようとしてたお金の話がなくなったことを相談した私の話、電話越しに全然納得してないの、わかってたよ。

ああそういえば、実家に帰ってお皿洗いしたとき、「ごめん、感謝しようとか、ろこんちゃんに思われへんねん」って、久しぶりに一緒に入ったお風呂で言ってたよね。

挙句の果てには、「でも、円満やったろ???」って。
どこが?

私の話を聞いてくれてたママ。
優しかったママ。
ママと話すの、好きだった。

今だって、話したい事、たくさんある。
仕事、頑張ってるよ。

弟より、簡単に入社した仕事。
土日休み、定時に帰れるから給料も少ないよ。
片道一時間半、横のほとんどは絶壁でガタガタの道走って、自分の背丈位あるササかき分けたりする、簡単な仕事やからね。
ママが言った通りやわ。

でも前のママやったら、こんなこと言わなかったよね。

本当は、色々、話したい。
私のこと、見てほしい。
父親がいけないことをしたら、ちゃんとあかんって言ってほしい。
ろこんちゃんごめんねって言ってほしい。

…この状況が改善するのか、わからないね。

昔、愛着に関する心理学の実験で、誕生早々母親から切り離したサルに別の無機質な母親を与えて、そのサルの行動を見たというものがあったらしい。
無機質な母親には、ばねで子どもを突っぱねたり、針が出て子どもを突き刺したりする残酷な仕組みが施されていたらしい。

その結果はもっと残酷で、
子どもは血まみれになっても母親にくっついてそばにいたがるんやって。


私はきっと、これから先もずっと、ママに期待する。
昔のママみたいに、私のことを想ってくれていたママを。
どうか、ママが死ぬまでに、戻ってきてほしい。
あの頃みたいに、普通に、たわいもない話がしたい。


ごめんね。ママ。
謝ったら、戻ってくるのかな。私、悪い子なのかな。
最近、腫れ物に触るみたいに、私の様子うかがってるよね。
私のこと、嫌いになっちゃった?
私は実験のサルの赤ちゃんのように、おどおどしながら、叶わないかもしれないわずかな希望を抱いているんだ。

ありがとう、ママ。
こんな子どもで、ごめんね。

元気でいてね。





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