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ぜんぶ頑張るのは諦めてみました|光石 有希子

私は今年の4月から札幌市男女共同参画センターで正職員として働いている。35歳にして約10年ぶりの新入職員だ。もうすぐ6歳になる娘がいる。

娘が生まれた時、実家の札幌から離れた静岡県の会社で正社員として働いていた。約1年間の育児休暇を経て、娘の1歳の誕生日に復職した。

もともと家事が得意ではないこともあって、家の中はぐちゃぐちゃだった。家がうまく回っていないことを実感するたび、きちんとできない自分にイライラした。

職場は育児に対して理解があったし、制度も非常に整っていた。ただ、どうしても仕事にやりがいを見出せなくなっていた。残業も出張もできない自分は男性ばかりの職場では異質な存在のように感じられ、孤独だった。同期や後輩にどんどん遅れをとっていることにも虚しさを感じていた。ロールモデルとなるような女性もおらず、会社員としての自分の将来に限界を感じていた。

自由に残業や出張ができる夫にいつも不公平感を抱いていた。二人の子どもなのに、生活が変わったのは私ばっかり。でも、そう思う自分を母親なのに「わがまま」だと、自分が一番自分を責めた。

「転勤になった」という言葉を夫から聞いた時、心の底からほっとした。

退職後は、神奈川県の大学病院で有期雇用の事務員として働くことにした。
新しい職場で正職員としてチャレンジしながら、仕事と家庭を両立する自信は当時の私にはなかった。

大学病院は、人生で初めての女性割合が高い職場だった。子育てをしながら働いている女性も、管理職の女性もいた。多くの女性と働くなかで、自分が持っている悩みや憤りが自分だけのものではないことを知った。「わがまま」だと思っていた悩みは私だけのものではなかった。一人じゃないと思えた。この病院での経験は、今も私にとってかけがえのない宝物だ。

夫の転職に伴い戻ってきた札幌で、初めて専業主婦になった。娘の幼稚園行事で出会ったお母さんたちは、優しく、共感力が高く、企画力や統率力に優れた方がとても多かった。
そんなお母さんたちが口を揃えて「ブランクもあるし、資格があるわけじゃない。今更働くなんて無理。子どももいるし。」と言う。その言葉を聞く度、何に対してかわからないけれど、猛烈に悔しくなった。そんな悔しさの後押しもあり、私は幼稚園の預かり保育を利用しながら、週に3日札幌市男女共同参画センターでパート職員として働き始めた。

男女共同参画センターで私は様々な働き方をしている女性達と出会った。みんなそれぞれ悩みながらもキラキラして見えた。自分自身の生き方を自分で選択してきた結果なのだろうと思った。私は今まで自分の生き方を自分で決めてきただろうか?「母親だから」や「妻だから」というフィルターを除いたときに、自分が本当にしたいことは何だろうか?当時何度も何度も自分に問いかけていた。

自分は組織の一員として働くことに未練がある事にずっと気づかないふりをしていた。正社員と母・妻の両立は並大抵の大変さではないことは、自分が一番知っているからだ。どうしたらうまく仕事と家庭を両立ができるだろうか。これに関しては今現在も試行錯誤している。

今、私は『周りに助けてもらう勇気を持つ』ことと『できない自分を責めない』ことをとても大切にしている。

パート職員から正職員への内部登用試験を受けた時、自分を大きく見せず、ありのままの自分を知ってもらおうと思った。子育てのこと、自分のありたい姿、理想の働き方…。すべてを知ってもらったうえでの採用じゃないと意味がないと思った。子どもを育てながらの仕事は、がむしゃらに残業や休日出勤で乗り切ることはできない。職場に助けてもらわないとならないこともたくさんある。

就職後は、娘の幼稚園の迎えを週に2日ほど父に頼んでいる。私は父に子育てを手伝ってと言うことに大きな躊躇があったのだが、頼んでみたらあっさり引き受けてくれた。私たち姉妹の幼稚園の送迎など一度もしたことがない父だが、問題なくこなしてくれている。

幼稚園に送っていくのはいつも夫だ。夫は「弁当作りだけは無理だ」と常々言っていたが、弁当も作れるようになり、どんどんレベルアップしている。「母親じゃないとできない」と思っていたことは全部私たちの思い込みだった。
家の中は相変わらず散らかっているが、前ほど気にしないようにしている。
ファミリーサポート制度などの支援も積極的に使えるようになった。

「みんなは幼稚園にいつもママが迎えにくるけど、うちはパパやおじいちゃんも来るよね。嫌じゃない?」と娘に聞いたことがある。彼女は「うーん…できれば毎日おじいちゃんがいいんだよね。帰りにお菓子を買ってくれるし。そんなことより、公園に寄って遊んでいこう。晩御飯の支度?パパに電話して作っておいてもらえばいいじゃない。」と答えた。

彼女と一緒にいると、自分がジェンダー的な役割にいかに強くとらわれていたかと気づく。私がどんな生き方を選択したとしても、彼女だけはきっと認めてくれるだろうと思う。自分のやりたいこと、自分の選択にもっと自信をもって進んでいいんだと、私は娘からいつも勇気をもらっている。

光石 有希子 (札幌市男女共同参画センター職員)

札幌出身。研究職、医療事務、専業主婦を経て、2019年8月より、札幌市男女共同参画センターに勤務。一児の母。趣味は旅行と食べ歩き・飲み歩き。美味しいお店や楽しいスポットを教えてもらえたら嬉しいです!


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