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ポルトガル語の新正書法について

プロフィール記事でも触れましたが、ブラジルのポルトガル語(伯葡語)とポルトガルを初めとする国々や地域のポルトガル語(欧州葡語)にはなんとしても相容れない側面があります。

そんな中、1990年12月16日、リスボンにおいて「ポルトガル語諸国共同体(Comunidade dos Países de Língua Portuguesa – CPLP)」の構成メンバーであるアンゴラ、ブラジル、カーボベルデ、ギニアビサウ、モザンビーク、ポルトガル、サントメ・プリンシペの各国代表者により「表記法に係る議定書 (Acordo Ortográfico)」が署名されました。

これは、葡語圏諸国の綴りの標準化を目指して上記7か国が協力していくことを約束するもので、互いの違いを認めつつ、歩み寄ろうという試みです。

というのも、かねてより葡語圏諸国はポルトガル語を国連の公用語に昇格させたいと、その旨本部に要請し続けてきたものの、「このような表記も語彙も文法も異なる言語を一つのものとして認めるわけにはいかない」とはね退けられ続けてきた経緯があり、その打開策の一環として新正書法制定を目指そうということになったわけです。

当初はそこからルール作りのための議論を重ね、1994年には改定正書法への全加盟国批准を目指す予定でした。

ところが、当初予定の1994年が過ぎてもポルトガル、ブラジル、カーボベルデの3か国以外の加盟国は批准に至らず、その後、改正議定書の発行が二度行われ、その間にインドネシアからの独立を果たした東ティモールも、新たな加盟国として加わりました。

なにせ8か国のうちブラジルだけが極端に表記も語彙も文法も異なるのに、そのブラジルが人口でも経済でも一番の大国なのですから、一筋縄ではいかないのも無理はありません。

そうこうしているうちインターネットが普及し、人口が多く経済でもトップを走っていたブラジルのサイトがどんどん出来ていきましたが、当初は検索エンジンが今ほど賢くなかったこともあり、旧正書法の欧州葡語で検索してもあまりヒットしない、そもそもヒットしたところで、表記も語彙も文法も異なる伯葡語では読み辛さが甚だしく、結局欧州葡語圏の人たちにとっては十分な恩恵がないという大問題が生じ、新正書法制定はますます急務となっていったのです。

そして2008年になって、ようやく8か国による「すべての加盟国が新正書法の実質的な適用のための方法論を共有するべく協力のメカニズムを確立する」との表明がなされ、それ以降各国がそれぞれ協定の批准に向けた準備を進め、結果アンゴラ以外の各国が順次協定に批准していきました。

一旦批准すると、それぞれの国において執行に向けた準備がなされ、執行後も5年程度の移行期間が設けられ、その移行期間の終了とともに、正式且つ完全に、新聞や学校の教科書を筆頭として一般の書籍や企業のホームページなどに至るまで新正書法が適用されるという手順になっているので、早期に取り掛かったポルトガルとブラジルでは新正書法を採用した辞書や教科書が次々と出版され、それを追う国々や地域でも、新聞社などが率先して新正書法を採用して模範を示したこともあり、今では概ね新正書法が定着したように見える状態と言えます。

ただ、そもそも「互いの違いを認めつつ、歩み寄る」という前提がありますから、発音の違いに準じてアクセントや無声子音の有無の違いなどは残したので、大別すると「欧州葡語版新正書法」と「伯葡語版新正書法」という、二通りの「新正書法」が出来上がり、それが概ね定着したようだというだけのことです。しかも、その他の欧州葡語諸国も、各々の特徴を反映してよいということになっていますので、今後8通りの「ポルトガル語新正書法」が出来上がることが期待される、といった状況です。

「あれっ、統一するんじゃなかったっけ?」って感じですね…。

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とはいえ、移行期間中であるということになっているモザンビークなどでは2020年現在、国内の新聞社すら新正書法を採用していないのが現状です。というのも、元々ポルトガル語に関して無頓着な人が多い上、被援助大国でもあるこの国では、政府や新聞社のHPは社の方針としての欧州葡語の旧正書法と執筆者によって異なる葡語が混在している状態、国際機関の発行するポルトガル語の文書は新正書法に則った伯・欧両葡語のものが混在、援助機関を含むポルトガルの機関の文書は当然新正書法に則った欧州葡語、援助機関を含むブラジルの機関は無論新正書法に則った伯葡語…といった塩梅で、統一性が全くない状態です。

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一方、ポルトガル語への思いが強い人が多く、自国独自のポルトガル語を守り抜きたいとの見解のアンゴラでは、概ね旧正書法に則った欧州葡語が貫き通されてはいるものの、ポルトガルのニュース機関から拝借してきた記事を新聞社が新正書法のまま掲載しているようなことがちらほら見受けられたり国際機関などが異なる正書法の文書を掲載するのを許容したりはしているのですが、アンゴラ国語学会などには「ブラジル一国が独自性を保ったままの新正書法を採用しているのだから、我々も独自のポルトガル語を確立するべき」との意見を主張する人なども少なくないようです。

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いずれにせよ、「統一ポルトガル語」は夢のまた夢のようで、しかも現行の新正書法についても、各国で批判が少なくありません。新正書法に従うと、同音異義語が増えて紛らわしいといった問題があるからです。

そういった問題への対処として、新正書法には当初よりいくつか例外が設けられているのですが、なにせ言語は「生きもの」なので、今後はそのような例外が増えていき、20~30年後にはまた新たな新正書法論争が繰り広げられているのではないかな、というのが私の個人的な見解です。


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