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アンゴラで一番思い入れのある港町: ナミベ(何気にナミベ関連まとめ記事)

アンゴラ共和国最南端のナミベ州 ↓ については

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%9F%E3%83%99%E5%B7%9E


思い入れが強いこともあり、
これまでも多くの記事を書いてきました。


観光地関連の記事も書いてきましたし、

懐かしのユーリー・ガガーリン空港のことも。↓

更には、
日本にいるのが苦痛でならなかったおじさんも
ナミベの人でしたし、

あだ名が「デスノート」になってしまった
運転手がいたのもナミベでした。

あ、そうそう、

北朝鮮船籍の船の船長が
とんでもないことを言ってきたのも
このナミベの港にいたときでしたし、

飛行機が来なくて首都に戻れないのではないかと
焦る体験を2度もしているのもナミベです。w

🛫🛫🛫


ナミベ州の州都は
私が頻繁に通っていた時代は
州と同名のナミベ市といいましたが
2016年からはモサメデス市になっています。

今までの記事に出てきた各地対比で
モサメデス市はこちらの赤丸地点になります。

モサメデス(Moçâmedes) とは
実はナミベのポルトガル時代の名称なのですが、
ナミベ港からクアンド・クバンゴ州の州都メノンゲを繋ぐ
延長756 km に及ぶ
モサメデス鉄道
(Caminho de Ferro de Moçâmedes

【カーニュ・ドゥ・フェーる・ドゥ・モーメデシ】)
の再開通もあり、

2016年に「ナミベ市」から「モサメデス市」
改名(厳密には「再改名」)されたのです。

そんなナミべ州のモサメデス市には
アンゴラで3番目に大きい港、
その名もナミベ港があります。

ナミベ港、こと
(Porto do Namibe【ルトゥ・ドゥ・ナーブ】)は
モサメデス市のこのような位置にあります。↓

ナミベ港 は
今でこそ
主に日本のODAにより改修され、
立派にその機能を果たしていますが、

                             https://portodonamibe.co.ao/

私が初めて訪れた
戦後まもなくの2005年頃は
施設はボロボロ、
ほとんど機材もなければ、
寄港する船も稀な状態でした。

人材の能力も不十分で、

なにせ30年以上戦争が続いた国ですから、
戦闘に巻き込まれなかった南部にあるとはいえ、
一度は当時敵国であった南アフリカに
機雷を仕掛けられて
岸壁が被害を受けていたりと、

平和な国の活気のある港とは
どのようなものか見たこともない人も多く、

いろいろな意味で一般ロジックが通じないと
感じることも少なくなく、

こんなところに
どんな展望があり得るものかと
考え込んでしまうような、
いわば
「どうしようもない港」…でした…。

とはいえアンゴラ南部は
鉄鉱石と花崗岩が多く採れるため、
ポルトガル時代には鉄鉱石の輸出も
盛んに行われていました。

また、戦時中にも
花崗岩の輸出だけは行われていました。

鉄鉱石ターミナルは
サコマール港というのですが、
これは湾の対岸にあり、↓

当時は見事な廃墟と化していましたが、
今は円借款による
改修プロジェクトが開始されています。

また、花崗岩については
現在コンテナターミナルの運営を任されている
Sogester【ソジェステル】 社が

搬入・梱包作業の動画を
Youtube に上げていますので、
貼り付けますね。↓

🚢🚢🚢


2005年~2006頃のこの町での生活は
それなりに楽しいものでした。

住んでいたのは
ホテル・カンピズモ
(Hotel Campismo
【オル・カンーズム】)
という
コンテナハウスが並んだだけの
質素ながら居心地のいい施設でした。

というのも、
初めに泊まったホテルが
町中で港からも近かったものの
ひどく老朽化が進んでおり、

しかも、人数が多かったこともあるのですが、
一部の人達は部屋に窓がなかったりと

とても長居はできないものだったので、
皆、内心困ったと思っていたところ、

港側が
昼食にいい店として紹介してくれたのが
このホテル・カンピズモだったのです。

当時、それはそれは
料理の上手な女性シェフがおり、
聞いてみると
全員分部屋があり、泊まれるとのこと。

大急ぎで引っ越したのでした。

                               ホテル・カンピズモ

ここでの生活は:

朝食時に昼食のオーダーを入れて
仕事に出掛ける。

※ 着いてからのオーダーだと1時間以上待たされるので。w

お昼に戻ると、
すぐ料理が出てくるので、
食べた後で
一旦部屋に戻ってくつろげる。

仕事に戻る前には夕食のオーダーもしておくと、
頼んだ時間に頼んだものが食べられる。

部屋は
まさしくコンテナを改造したものだけれど、
各部屋にバスルームもあるし
エアコンも完備されているので
意外と快適 ♪

目の前は海で、
食事は食堂コンテナの中でも
海辺のテーブルでもOK。

しかも
恐ろしく安全なところで、
お昼に戻ると
掃除のお姉さん達が
そこら中の部屋のドアを開け放していたりするけれど、
ヘアピン一本すらなくなるようなことはない。

ただ、
これはどこかのコメントで書いたこともあるけれど、
折角各部屋にテレビがあるのに

食堂コンテナで誰かがチャンネルを変えると、
全ての居室のチャンネルも変わってしまう。w

また、
当時は停電が多く、
ホテルなので発電機はあったものの、
それが信じられないような
騒音を出すものだった。ww

といった塩梅...。www

🏖🏖🏖


そんなこんなで
すっかり常連になった私達でしたが、

その後2年程訪れずにいると、
その間に、
車で3時間程かかる町の出身なのに
日曜日しか休みがなかった
料理のおばさんが
とうとう音を上げ辞めてしまい、

その結果、料理の味が落ち、
他にも泊まれるホテルが出来たこともあり、
縁遠くなってしまいました。

😔😔😔


その後更に10年程経った2018年に
この町を訪れた時には

な~んにもない砂漠の入り口に
大層立派な「インフォトゥール(Infotur)」
というホテルが出来ていたので、
そちらに泊まりました。

                          ホテル・インフォトゥールのロビー

ちなみに
「デスノート君」の車を使っていたのはこの頃です。w

ここではここならではの面白い話があるのですが、
それはそれで、そのうち又別の記事でお話ししますね。

😉😉😉


こちら ↓ は現在の港湾事務所ビル1階にある軽食屋さん。

アンゴラにはあまり多くない
イスラム圏の人が経営している
アラブ系の料理が食べられるお店です。

港のお偉いさんとのアポの時間調整の際なども、
ここでコーヒーを飲んだりして過ごしていました。

また、
ここでは港での現場作業の途中(午前10時台)
運転手に皆のオーダーを紙に書いて持たせ、
お昼に同じく運転手に取りに行かせるという形で
現場で食べるお昼を調達したりもしました。

同ビルの3Fか4F辺りから見た景色


こちらは ↓ 同時期に、試しに2泊程した別のホテルですが、
これはこれで快適とは言い難く、
その後とんでもないことが起きて
ニュースにもなっているので、
これまたいずれ記事にするかもしれません。

😊😊😊


とにもかくにも
付き合いの長かったこの町なので、
まだまだ思い出すこともあるかもしれませんが、

今日のところは
(長くもなってしまったこともありますので)
一旦「まとめ + α 」ということで ♪

ちなみに港以外の位置図はこちら。↓

               港/昔の港湾事務所/現在の港湾事務所/ホテル・カンピズモ
                             砂漠のホテルインフォトゥール

最後に
なんとものどかで平和な
モサメデス市の動画をどうぞ ♪♪


近いうちに
このナミベと同じくらい「我が家」になると思っていたのに
そうはならなかった
アンゴラ第2の港がある町、ロビトについても書こうと思います ♪


本日もお読み頂き、誠にありがとうございました!

※ 「年を取ると、いろいろ懐かしいものですね!」、否、
「メガネを直す ネコ」はこたつぶとんさんの作品です。


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