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11月の再会、ブランクの意味

木曜の夕暮れは、東京から横浜への帰路、電車に乗ったときのこと。
ふと正やん(伊勢正三さん)の歌が聴きたくなったのです。

暫く正やんを聴いてないなぁと、おもむろに鞄からWALKMANを取り出し 何曲か聴き込んでいきました。

♪「歩き始めた子どもの笑い声が響いてる。そんな暮らしの中で。芽ばえ始めた何かを大切にして生きるため、日々の暮しがある」
「2センチ足らずの雪が科学の街、
東京を一日でぬり変える。 
その変わらぬ雪の色に 
人は何を思うのだろう、 
変わりゆくこの日々に」♫         

伊勢正三「そんな暮らしの中で」 

マスク姿で混雑している車両の真ん中で足を踏ん張り、僕はこの歌に酔いしれながら、スマホで正やんの近況を調べてみました。
すると、もうかなり前に新譜が出ていました。

僕はその場で、16年ぶりのオリジナルアルバムである「Re-born」をすかさず迷わず申し込みました。 

電車が蒲田を過ぎ、やがて川崎にさしかかる頃、僕は思い出していました。
 
40年位前の中学生の頃、そして社会人になってからも、正やんの楽曲の数々を夢中で聴いたことを。コンサートにも足を運びました。

アルバムは前作までは全て買い揃え、拙宅のCDラックに今も整然と並んでいます。
だけど、いつの間にか、取り出すのに難儀するほど奥のほうに追いやられている。持ち主に忘れ去られたまま、静かに眠っているのでした。 

正やんの歌を聴かなくなってもう5年以上は経っています。この空白の歳月はなんだろう。 
確かにこの十数年、JAZZ一辺倒。
この地球上で僕以外誰も感じ得ないこのブランク。とくにさしたる影響も及ぼさない些細なこと。

正やんの楽曲は、時代と共にそのイメージが刻大きく変わっています。「22歳の別れ」や「海岸通」「雨の物語」という、今では懐かしい叙情派フォークソングのままではありません。ときに南国風であったり、アメリカのAORの雰囲気も取り入れていたりと、僕はそんなメロディたちも大好きでした。

正やんのファンには、そうした変化を心地よく受け入れられる層とそうでない方々で分かれるのでしょう。それはそれで良い。音楽は自分にとって心地良いものを聴けば良いだけです。 

電車は川崎に到着。
僕は弾かれたように、 
夢中で選曲していていきます。 

電車でWALKMANという、僕だけのコンサートホールで 正やんの名曲たちが奏で綴られてゆきます。

「君と歩いた青春」 
「ByeBye」 
「別れ道」 
「置き手紙」 
「月が射す夜」 
「あの唄ははもう歌わないのですか」 
「あいつ」 
「海風」 
「想い出が尽きない夜」  
「渚ゆく」 
「moonlight」 
「リアス式の恋」 
「カモン・ラブ」 
「NEVER」 
「スモークド硝子越しの景色」 
「ヨーロピアン・ニューヨーク」
「けんかのあと」など…。 

初めて聴いたときのときめき、きらめき。そしてその頃のこと。聴き込むごと、曲ごとに、厚みを帯びてゆく。
僕は何かを取り戻していきました。 

こんなにも新鮮、心に響き渡り染み込む…。全ては歳月のお陰。時間は優しいです。

そして、切なくも優しい「11月・ロマンス」。この珠玉のバラードを聴き終えるころ、
僕はこの空白の意味を実感できたのです。

そして、京浜東北線は横浜駅に到着しました。  

「秋深く郷愁の唄車内にて」弥七

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