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美意識の行方、心を添えるということ

4年前に逝去された、
ノートルダム清心学園理事長の
渡辺和子さんが著した
「面倒だから、しよう」(幻冬舎)に
こんな一節があります。

渡辺さんが学期末テストの
監督をしていたときのこと。
90分のテストで60分が経過したら
退席して良い規則になっていて、
一人の4年生が席を立ち上がりました。
この女子学生は何かを思い直して、
また自分の座席に戻ったそうです。

そして座り直すと
やおらティッシュを取り出し、
自分の机の上の、
消しゴムのカスを集めて
ティッシュに収め、
再び立ち上がって目礼をしてから
教室を出ていきました。

渡辺さんはその生徒の名前を
すぐに確認したそうです。
余程嬉しかったのでしょう。

話は変わり、
僕が敬愛する映画俳優、高倉健さんの
いくつものエピソードのなかで、
最も語りぐさになっていること。

健さんは撮影中は
自分の出番がなくても、
撮影所に残り、
他の役者さんたちの撮影を
目立たぬように、
じっと見守っていたそうです。
どんなに疲れていても座らずに。
どんなに厳寒でも火にも当たらずに。

僕は何も礼儀作法の良い例を
ご紹介しているわけではありません。

誰かの背中に、目礼出来る美しさ。

ところで、素人ながら
僕は台所に立つのが好きです。
もっとも、こさえるのはお酒の肴ですが。

隠し包丁、化粧包丁などの心添え。
隠し味、ほのかなかおり着け。
ほんのひと手間、心尽くしの施し。
こうした料理の所作は、
召し上がる人のことを想ってのこと。
そこに料理人の美意識があると思います。

また、文章をしたためることも
料理と共通点が多いと実感しています。

人知れず、心を添える美しさ。

誰かにお読み頂く文章では、
気取った装飾の言葉と、
未経験領域での知ったかぶり、
厚顔無恥はみっともなく、読者に失礼。

身の丈、等身大が一番、
ほんの少しの背伸び程度が良いかと。

僕はnoteでは新参者ですが、
ブログ歴はあれこれ約20年。

仕事含め文筆を長く続けてきた今、
僕の美意識は3つです。なかなか至りませんが。

①月並ですが、要は何を伝えたいか。

どの旨味を伝えたいのか。
様々な味や食材を加えすぎて
メイン素材の特徴を失っていないか。
食べた人の記憶が、
何を食べたか曖昧なものに
なっていないか。

文章なら、
的を絞ったうえで、的を射る努力。
書き過ぎないこと。
思いの過剰な先走り、冗長的は駄目

②その目的は何か。

リクエストは和食なのか中華か、洋食、
その他なのか。誰に食べて頂くのか。

文章なら、
ビジネスなのかプライベートか、
対外的な文章なのか社内周知文か
詫び文かお願い文か、説明文か
ブログ文か、誰かへの手紙なのか。
通り一変の自己流、自分らしさは駄目で、
内容も文調も使い分ける必要がある。

③受け手の立場で考える

食べる人の立場を考え、こさえる。
仕事疲れの人、悩みを抱える人、
元気で颯爽とした人、
お子さんなのか、ご高齢の御仁か
それぞれのコンデションや好みを考える。

盛り付けやお皿のチョイスを
季節や時節柄、料理の色彩で変える。
心尽くしのおもてなし。

文章なら、
読者への最後のほんのひと手間、
確認作業を怠っていないか。

うまく見せようとしてないか、
濁り、アク、ザラつきはないか、
真心の手触りを施したか。
最後の最後まで練り込みコシを作り、
粘って推敲を重ねたか。

自戒を込めて、
「面倒だから、しよう」を再読しました。

受け手の方を慮る、自分なりの美意識
その時点での、自分史上最高の到達点へ。

まだまだ果てしない文章道。
まだまだ修行、否、一生修行。

書くことに喜びがある限り、
そのときめきがある限り、ゆきます。

最後までお読み頂き、ありがとうございます!


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