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表現力って文字通りだったんだな

表現は誰でもしているけれど、本音を伝えられるか否かが表現の巧拙の基準

表現が上手くなりたいと小さな頃から思っていたんです。脚が上がるとかたくさん跳べるとかじゃなく、表現が上手くなりたい。ただ何が表現で、何をもって上手いというかは、イマイチはっきりと分かっていませんでした。

表現そのものは誰でもしてるんです。意図してないことやウソばっかりのことだって表現ですからね。ただ、表現者として使いたいのは自分ならではの意図した表現で、強弱も種類も自在にできたらいうことない訳です。

この歳になってやっとわかってきたのは表現の出力の前にやることがあるということ。自分はどう感じているか、常識や正誤を取っ払ってちゃんと受け入れる。それを感情にしていって全身で表すことを赦す。

この一連の流れがあってはじめて表現力になるんだと気付きました。大人になってから表現力をつけるのが難しい理由は常識や正誤判断に長いこと頼ってきてクセになっているからなんです。習慣を変えるのは生き方を変えていくことになるので、生半可な気持ちでは表現力豊かに舞うのは不可能です。

表す、現すとはよく言ったもので、まさに心の底にあるものを引き摺り出して晒していく覚悟が要ります。うれしい、楽しいだって全身で表す人は日常生活でそうそうみかけないでしょう。ましてや怒りや寂しさ、惨めさを曝け出している人なんて見た記憶はありません。

表現力豊かにってそういうことだったんだなとしみじみ思っています。これを実生活でそのままやることはないけれど、出さないまでも感じることを赦すのは出来るでしょう。

フタをして無かったことにしている人がいかに多いかと思いますが、その方が楽だからです。感情をちゃんと味わって生きるのはなかなか骨が折れることですからね。味わっておいて、表に出さないようにすることは事実上不可能な気もしますから、毒舌キャラに変身するとか…何か変わっていくかもしれません。いや、もう毒舌キャラだし、天然だし、切り込み隊長って言われているので、自分の思っている自分はずいぶんと乖離がありそうです。


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