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成功や失敗、損得勘定に興味がないと気づいてしまった

誰でも最初から成功している人生

成功したいとなぜみんな切望するのか不思議でならない。みんな成功してるじゃん。生まれたことがすでに成功だよと思ってしまう。そんな記憶にないことを成功だと言われてもうれしくないか。

だとしたら成功したいのではなく、認められたい、褒められたいという承認欲求が主で物事の成功は二の次なのではなんじゃないかな?

なんで失敗を恐れるの?失敗してからが始まりでそれまでは何もわからないのと同じ。失敗でもないし。「今回はうまくいかなかった」だけだよね。

失敗したくないというのは経験したくないと言っているのと同じだよ。なぜそんなに恐れるの?
非難されたくない、バカにされたくない、地位が低くなりたくないという対人関係の方に重きを置いているんじゃないかな。

と、ここまで考えてきたら、私が対人関係にかなり無防備なんだということに気づいた。カッコつけても取り繕っても仕方ないと思っている。いっときは隠しおおせてもいずれボロが出るに決まってるから最初からみっともない姿や正直な自分をさらけ出しておいた方がいい。

もっと重要なのは自分自身に嫌われたくない、見損ないたくない、がある。感情に呑み込まれず遠くから見ている自分がいるし、思い切ってチャレンジして失敗したりするのも実は楽しかったりする。

損得勘定についてはこの社会の常識に合わせようと個人活動の中で努力したが、結局のところ全く合わないので諦めることにした。

正直めんどくさいし上手く事が運んでも哀しくなっていくばかりだった。

幸せの定義は個々で違う

社会人としてきちんと生きよう、踊って生きるにはこうしなければならない、とこの六年学んで実践して気づいたことがある。

私は大儲けしたり有名人になったり、社会のために貢献したり組織化したりすることに何の幸せも感じられなかった。

未来を決めず、目の前のことに誠意を込めて感情豊かに生きることや毎日の美しい出来事や光景に感動することが幸せだ。

思い立って行動して偶然の出会いや発見に感動したり、チャレンジしたりしていきたい。

人の愛しさや哀しさに触れて生き、踊りで表現していきたい。

これらを具体的に日々の暮らしに落とし込むと、周りに比べてかなりのんびりであまり働かない人生になってきた。
何しろ体づくりや感覚を味わうことにかなりの時間がかかる。がむしゃらに鍛える気もないし伸びやかに涼やかに心身を作っている。

人から見た自分と内から見る自分の違い

面白いのは周りから見ると活動的で社交的に見えるらしい。ご活躍ですねと言われる。ご多忙でしょうと言われると不思議な気持ちになる。

今はホンネで話せるし行動できるようになった。だから出会いが全部うれしい。そもそも合わない人は寄ってこないから間違いが起こらない。気持ちよく生きているから明るくなった。これは誰だってそうなると断言できる。

組織にはとことん向いていないのだと思う。いっとき舞台のための組織の中で働くのはかなり有能なんだけど。20年も組織内で貢献してきて何を今さらと言われそうだけど、だからこそ得た結論でもある。

要所要所でプロジェクトに協力することは向いているので今の状況を発展させていこう。

現時点での位置確認

個人事業は基本的にマンツーマンレッスンなのでお互いの都合でその都度スケジュールを調整している。家業の金網屋は基本午前中出勤のパートとして働いているが、納期次第でフレキシブル。無理はしないが協力はする。

毎日どこかの時間で体づくりをし、自然の美しさに感動している。人を愛しく思っている。想いは踊ることに繋げている。

来年の踊る予定は今の時点で7つある。これは幸せだ!
今のところこんな感じ。たぶん今までの人生で一番自分らしく生きている。


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