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父が遺してくれたものは

ホワイトデーに逝った父

父は自分の誕生日や父の日、

バレンタインの催促は煩いのに、

お返しは一切しない人でした。


でも今年のホワイトデーは

一生分の気持ちを贈られたような気がします。


最期まで意識はハッキリしていて、

よもや自分が死ぬとは思わず、


でも個室に移され面会が許され、

好きなものを食べていいと言われて、

少しずつ観念したようでした。


店と母を頼むと言われ、

ありがとうと言われたのは逝く前日でした。


自分で体の機能が回復しない様を

数値で見つめるのは悔しかったと思います。



よくがんばったね。

えらかったね。

充実した人生だったね。



褒められるのが大好きで、

いつも自分が話題の中心にいないと

気が済まなかった父に

そう声をかけてあげたいです。




五人兄弟姉妹の中で一番先に逝ったので

みんなから惜しまれたし、


ラブラブな夫婦なので母が先に逝ったら

寂しがりな父は辛かったと思うので、

本人としたら一番幸せな死に方だろうと思います。



早過ぎるのはイヤだっただろうと思うけど

最期まで意思を持ち、

食べる出すを自力でやり、

立ち歩き呼吸する努力をした父を

素晴らしいと思います。


死について


小学生の頃


意識のなくなることが怖くて、

一生の短さに絶望したりもしました。


今は体は有限の器なのだと感じています。


だから、使用期限があるのは道理なんです。


人によって使い方や特徴が違うので

期限が様々なのも道理。



使い切った後の身体には

お疲れ様としか言いようがないし、

ありがとうと感謝しかないのです。



セレモニーは悲しいよりは責任感


お葬式までは慌ただしく過ぎます。

式は公演に似ています。



普段は踊りが好きで楽しいだけですが、

公演は幕が降りるまでの全責任を

引き受ける覚悟が必要で、

準備と始末が膨大にあります。


お葬式もまさにそうで

悲しんでいる暇など一切ありませんでした。



一年前、初めて父が救急車で運ばれて

いきなり全責任を任された年末年始の

仕事の時。



ぐちゃぐちゃの仕事場を整理しながら

父が明日やろうとしていた仕事をやりながら

右も左も分からず頑張りながら

一人でずっと泣いていました。



あのときが一番泣いて

いずれ来る未来を覚悟しましたから

今はその覚悟した未来が来ただけだったのです。



父が遺してくれたものは


数百本の安いボールペン。


何枚か書いてあとは白紙の

何十冊ものノート。



何にも挟んでいない、

何十冊ものファイル。


大衆的な単行本

今までの帳簿、書類


家、店の経営

金網たち


母 

地域とのつながり

親戚とのつながり



娘への愛

信頼


そんなものを遺してくれました。



意外と悲しんでいられない


偶然にも亡くなる数日前に

代表取締役交代の手続きが

やっと終わったところでした。



父は退職ではなくて、

取締役に降格することを選んでいたので

また変更手続きを開始しないといけません。


代表取締役交代の周知もこれからですが、

亡くなったことも通知にプラスになります。


家の運営も父が担っていたので

全部切替です。



手続きを母から丸投げされ^^;

家のこともやらないとならないんですよね。




さらに更に

年度末で決算期です。


しばらくは感傷的な気分に

なれそうもないですね。



新しい展開


新しい風も吹き始めました。



息子が店を手伝うようになって10日ほどで

今回の事態になったので

丁寧に教えている暇もなく

いきなり留守番任されたり

網張りをさせることになりました。




スパルタ式で

大いに頼れる存在になったのです。


踊りの面も不思議と公演の機会をいただき

これからも踊っていけそうです。


踊るだけでなく、創る話もいただき

新たなステージへ移ったことを感じています。


身体は変化していくでしょう。

責任も仕事も増すでしょう。


身体のメンテナンスをするには

日々のゆとりが必要です。


どうやって生み出すか?


心の持ちよう次第だと感じています。



父は仲間


父が祖父の後を継いだとき

今の私より3歳くらい歳上でした。


ワンマンで頑張ったのは25年くらい。

長いと思います?


子どもの成長で考えたら

あっという間です。



私が父と同じ場へ行くのは

そう遠くない未来だということに気づきました。




あまり悲しんでいない理由に

それもあります。



私と父はそう変わらない時代にいきる

仲間なんです。



遅い早い、長い短いに

大した差はありません。



今の私の理想


五年で息子に経営をバトンタッチ出来たらと

思います。


百年以上続いてきた杉浦金網製作所を

次へ託していきたいですね。



日々のメンテナンスを怠らず

ムリなく緩急のある身体であること

地道に諦めずに続けていくこと。



踊り続けるのは当然ですが、

表現に関する仕事で生活できるように

なること。


母が充実した人生を生き、

実家が文化コミュニティの交流に寄与すること。



共感するアーティストたちとの出会いに

恵まれること。


感情豊かに生き表現すること。



これが現時点の私が目指している

理想郷です。

いつも応援ありがとうございます。サポートしていただいたお礼はアートプロジェクト事業費として創造空間の作成やアーティスト活動、仲間への感謝の気持ちの一部とさせていただきます✨