杉浦麻友美

人や場と繋がって表現をしています。静岡県浜松市在住。はままつ・つながり・アート代表。(…

杉浦麻友美

人や場と繋がって表現をしています。静岡県浜松市在住。はままつ・つながり・アート代表。(有)杉浦金網製作所経営。

マガジン

  • 思考のメンテナンス

    考えていること。

  • 身体表現について

    踊りについて

  • 表現と感覚について

    表現力とは何か?感情や感覚とのつながりについて考察したことを書いています。

  • 写真で振り返る

    今までの活動の忘備録です。お楽しみください。

  • 舞台をつくる

    公演を作っていく中で経験したこと、感じたこと

最近の記事

ルールを決める、変える

世の中にはルールがある決まりごとが10月からいろいろ変わる。郵便、銀行手数料。変わるというより値上がり。経営している以上、考えざるを得ない。 郵便で関わるのは請求書。メールに添付してみるかなと思うけど、個人で会社やってる人の中にはデジタル弱い人もいる。会社ごとの対応だと事務が煩雑になりそう。とはいえ、やってみるしかなさそうだ。 銀行手数料は避けて通れない。web口座を開くまでの使用はないので今のところは様子見する。 ルールと言えば会社の諸々の手続きや税金はほんとに煩わし

    • 気づけば九月末

      夏が過ぎ秋到来乗り越えられるか不安だった夏が過ぎた。合唱団の振り付け指導とオペラの立ち稽古を上手くこなして行けるか?結果的にどちらも全然大変じゃなかった。勇んで拍子抜けした感じ。 余裕があるわけじゃないけどなんとかなった。合唱団の公演が無事終わり、オペラの踊りに集中。本番まであと10日。 オーケストラでまだ一回しか踊ってないし、舞台稽古はこれから。舞台機構や舞台美術を駆使する中で踊るのでまだまだ未知数。 正直なところワクワクしてる。楽しいし幸せ。ただ踊りには満足していな

      • 経営も舞踊も表現の一つ

        生きることそのものが表現ではあるけれど生きている姿は良きにつけ悪きにつけ、その人を表している。 自身としてはカッコ悪い姿は見せたくないから、都合の悪い表現は意図しないものになりがちでそれはある意味自然でもある。 良く見せたいというのは人にとって自然な感情である故に、その表現は不自然になりがちだ。 身体表現である舞踊も意図的な表現の一種であるけれど、その意に反してなるべく自然な体の表現に任せたいのが理想。自我の意図は外していきたい。 経営は表現する気もないけど、表現して

        • 幸せな時に思うこと

          オペラの立ち稽古の真っ最中ただ今、オペラの立ち稽古の真っ最中。 今まで縁のあった人たち、新たに縁のあった人たちと共に人生の中で築き上げて来た経験を活かし舞台づくりに参加している。なんだか感動してしまう。 舞台づくりの一員として異空間に存在する時間がたまらなく愛しくて、こんな時によく思うのは今が死に時だなということ。今死んだら綺麗な人生だ。 私は小学生の頃から、恵まれた瞬間に出会うといつも今が死に時だな〜と思う変わった子だった。 さらに付け加えると、今が死に時だけど、生き

        ルールを決める、変える

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          31本

        記事

          八月半ばに初チャレンジ

          保守からの脱却?アクシデントに強いと思っているけど、体の内部については意外と保守的だ。食事や環境が変わって体調が変化するとパフォーマンスに響くし、元のペースに戻すのが大変だから、長期休暇とか旅行は大嫌い。食べ物の好き嫌いは無限にある。 いつも通りのペースで体を動かして、食べて寝る。そういう意味でとても頑固だ。大人になってから今までお盆休みに旅行に行くことなんてなかった。去年なんか相続税の書類作成と計算に追われていたし、バカンスとは無縁の人生だと決めていた感がある。 オペラ

          八月半ばに初チャレンジ

          新たな出発

          新しい何かが始まった8月に入って新しい何かが始まった感覚がある。もちろん日々何かしら新しく始まっているのは承知の上で、ワザと認識してみたくなった。 身体表現関係では、合唱団の振り付けが先ずあった。これから団のカラーが変わっていきそうだから、新しい始まりと言えるかもしれない。 オペラの立ち稽古は来週から。これは当たり前に新しい始まり。…だけど、正直なところ舞台の仕事は原点に戻った感がありなつかしい。曲もメロディもあって振り付けするというのはこんなに楽なのか。自由に動けるスペ

          7月も終わってみれば

          夏枯れとはよく言ったもの鉄鋼業は繁期と閑期がハッキリしている。夏は夏枯れと父が教えてくれたけど、7月半ばまでは不安になるほどだった。なんか自分が失礼なことしたっけ?と落ち度を探してしまうくらいだった。 体力作りや読書やプロジェクト作成や書類整理は進むけど、心は晴れない。とりあえず会社運営には経費があるのだ。給与支払いとか仕入れ支払いとかね。今月はムリそうだから来月にしますとか出来ないから気ばかり焦ってしまう。 いや、出来ないとか見栄張らなくていいんじゃない?存続して確実に

          7月も終わってみれば

          ミスの意味を考える

          最近ミスが多いので考えたタイトル通り。それ以上でもそれ以下でもない。表現活動でも経営でもミスが多いので、立ち止まって深呼吸しようと思う。 原因はせっかちなんだけど、なんでせっかちになっているのか。無駄に相手を思いやって善かれと思ったことが裏目に出るパターン。ハヤトチリがお決まり。 ということは、余計な早合点をした挙げ句の行動をやめたらいい。 変えていけることを変えていく具体的に出来ることと抽象的に出来ることを考えてみる。 まずは抽象的な方。ゆったりと人生を見つめる。究

          ミスの意味を考える

          旧盆

          人が生きるってこと浜松中心部は旧盆だ。7月13〜15日になる。お盆なのに平日で盆回りで交通渋滞するし、暑いしが通年なんだけど、今年は土日祝日でしかも涼しくて異例のお盆だった。 迎え火送り火を焚く家もめっきり少なくなり、近所ではウチ以外見当たらなくなりなんか寂しい。けど、このために連休が身動き取れないのもおかしいし、変わっていくのは必然かもしれない。 私にとってご先祖さまと父は分離している。ご先祖さまは氏神の一族に連なるけど、父は未だに生物として地続きだ。思うに2世代くらい

          朝の微睡の中で

          生きていること生きているのはなんて不思議なんだろうと毎日飽きずに思う。すごい奇跡だ。長くもあるし、あっという間でもある。 今生きていて死ぬ時があって、死んでいる方が長い。要するに今がイレギュラーなんだけど、今の自分にはそこしか認識が出来ない。 なんて不思議な場に居合わせているんだろう。 美しいということ 空は青くて綺麗。風が気持ちいい。目に緑が鮮やか。皮膚の温もりは心地よい。鳥の囀りが朝を告げる。 心は形がないのに、あったかくなったり、ギュッと締め付けられたり、塞がっ

          朝の微睡の中で

          常識を疑うこと、異を唱えること

          当たり前を疑い続ける歴史を学ぶ意味って今の当たり前に疑いの目を持つことだと思う。その意味で狭い了見の施政者には歓迎されない学問。 今の時代にそぐわない面が多々あるので親から叱られたり非難されたり、周囲から異端視されることが多かったせいで、当たり前を疑うのは比較的自然にできる。 ところが異端児の自覚があるばかりに異を唱えるのは難しい。大多数はそっちだし、和を乱すのもなんだしと思ってしまう。自分が静かに去っていけばいいだけのことだ。 私の問題はどこにも自分を明らかにしなかっ

          常識を疑うこと、異を唱えること

          表現することの意識

          全てが表現ならなぜ身体表現するのか脳内整理に表現について考えてみる。殊更に表現していると言わなくても全ての事象は表現だし、人は生きている姿そのものが表現だから、わざわざやるのはなぜだろう。 なぜ身体表現するのかと言えばしたいからというのが本音だ。生活動作以外の動きがしたい。不意に手を挙げたり胸を広げたり、背中を丸めたりするのは気持ちいい。体が欲求する。 それだけなら何も人前でやる必要がない。仲間とやる必要もない。どうして人前で表現するのかと言えば交流だからだ。私にとっては

          表現することの意識

          ますます自由になる

          歳の重ね方と恩返し一緒にアートプロジェクトに参加している舞踏家さんが、師匠の公演の舞台監督を務めたと聞いた。 師匠も弟子も現役で、師匠の舞台を指揮する恩返しって最高なんじゃないかな。 師匠はますます自由になっていたという。 良い感想だ。 そう弟子に思わせる師匠は弟子孝行している。 ますます自由になるどうやら自由という言葉には魔力があるらしい。 人はいつだってなんらかの自由を求めている。 空へ。海へ。宇宙へ。 規則から。集団から。社会から。 型があるから型破りがあ

          ますます自由になる

          オペラの音楽稽古

          オペラ公演に向けていよいよオペラ稽古に参加する。今までは小さい規模の公演だったから、ダンサー1人だけとか演出助手や事務方も兼ねるとか1人何役もやったけど、今回は市民オペラとはいえ大所帯で演出も演出助手も事務方も揃って私は逆にラクしてる。 オペラではダンサーの出る場面は少ないから、踊るだけならかなり関わりが減る。ただ振り付けとステージングに関わりそうなので、メンバーや歌の雰囲気を掴むため、音楽稽古に立ち会った。 私は身体表現者なので、どうしてもそちらに思考が引っ張られる。指

          オペラの音楽稽古

          今持っているものを手放せるか?

          手放すと得られるもの、失うもの何もかも手放すという経験はそうそうない。極端を言えば生きていけない。そうではなくて、大切にしているもの、縋っているものは手放してみると、案外平気だったり、むしろ人生が好転したりする。 けれども大切にして縋っているということは、唯一の心の拠り所であり支えなので、よほどのことが無いと思い切れないと思う。毎日平穏無事なら先ずしない選択だ。 今、思い切ろうと考えているのはFacebookとバレエ表現。何て関連性がないのか、と思うかもしれないが、私の中

          今持っているものを手放せるか?

          現時点で得たモノと課題

          製造業について父の後を継ぎ一年三ヶ月。一年の流れがだいぶわかって来た。繁忙期と閑散期がはっきりしてる。月初めに見積もりが来て月末に向かって発注が増えていく。繁忙期は9月、12月、3月。閑散期は6月、8月、2月。閑散期に整理整頓や書類づくり、体力づくり、読書など、どれだけ有意義なものにするかが大切。 小企業だから、全て経験できる。見積もり、受発注、納品、請求、会計、労務、経理、税務、生産管理、設備管理、製造、経営、素晴らしい学びであり財産。 相続手続きを一人でやったのも良い

          現時点で得たモノと課題