Beside|Ep.8 迷子が家に帰るには
Beside-あなたと私のためのベットサイドストーリー
来た道を戻ればいいのに、怖くて戻れない。
だからって前にも進めない。
そうやってどこにもいけなくなった迷子は、どうやって家に帰るんだっけ。
chap.1 Saturday, AM9:00
先日、紆余曲折あって正式に参加が決まった公演は、すでに振り写しも完了し、本格的なリハーサル工程に移っていた。あと3週間程度こちらで練習とリハーサルを重ね、いよいよアジアを巡回して公演をこなしていくことになる。ずっと参加してみたかった監督の作品ということもあるし、久しぶりに決まった公演でもある。憧れの監督の作品で、アジアを回って巡業日程をこなしていくという、僕にとっては最高の修行。ダンサーのキャリアとしても申し分の無いステップ。今僕は、少し気持ちが前のめりになっているかもしれない。期待と不安、少しのプレッシャー。それでも嫌いじゃない、この緊張感は。
今日は午前中にリハーサルがあるため、早めに家を出てきた。どんよりと厚い雲に覆われた空に、すこし湿った空気。こんな風に寒い日は体がきちんと動くまでに時間がかかるものだ。ウォーミングアップは、カラダだけじゃなく、ココロも温めておく必要がある。どんなパフォーマンスも心技体がベースだ。どれかが欠けていてもいけない。自分が怪我をしたり、誰かを怪我させてしまうこともある。これはダンサーやアスリートだけの話じゃないのだと、つい最近暮らし始めた部屋で気づいた。僕の部屋の主人はバランスを崩している。温めるだけでは、元に戻せないほどに。僕にできることは、なんだろうか。昨日の様子からして、今日も引き続きどんよりしているのだろう。この空みたいに。今日は午後にバイトはないから、リハが終わったら早く帰って話を聞いてみよう。
雪が降る前に帰れるといいなと、考えていた時だった。行手に、小さなリュックサックがひとつ、座り込んでいた。
ーえ?こんなところにこども
驚いて咄嗟に話しかける。
「こんにちは。こんなところでどうしたの?お家の人は?」
「…」
「はぐれちゃった?」
「…」
初めは小さいと思ったが、こちらを見上げた顔は随分しっかりしていた。小学校高学年くらいだろうか。土曜日の朝からこんなところで、迷子にでもなったのだろうか。怪訝そうな顔で、少し寒そうだ。こういうときは交番にでも行ってお巡りさんに引き継いだ方がいいだろうと考えていた時だった。聞きなれない単語が、小さな声で吐き出される。
「いえで」
「…イエデ?」
「あっ、家出したってこと?」
頷いてる…
「ここで迷子になっちゃったんだね」
すごい頷いてる…
「それはみんなが心配しているだろうね。」
少しの間の後、こくんと頷く。
自分がしていることを客観的に理解できるくらいには、しっかりした子なのだろう。
「実はね、僕も家出してるところなんだ」
「え、おにーさんも?」
「ふふ、同じだね」
家出人がたくさんいる街だと誤解しないと良いけれど。なんとなくシンパシーを感じてしまった僕は、この子をこのまま放っておく事はできなかったが、かといってそろそろリハーサルに向かわねばならない時間になっていた。今日はもうダンスの練習に行かなきゃいけないから、この先の交番まで一緒に行こうと伝えてみる。すると
「いく。練習。一緒に。」
またも思いがけない返答。交番に行きたくない理由でもあるんだろうか。迷ったけれど、時間もないし、静かにしているというから連れていく事にした。午前中のリハーサルが終わったら家まで送っていこう。こんな寒い日にここに放っておくわけにもいかないし。
「僕ジミン。お名前は?」
「サナ!」
chap.2 Saturday, PM4:00
「えっと、こんな山奥なう」
って呟けもしないんだけど。今の時代、圏外とかあるんだ。
勢いで送っていくと言ったものの、僕は今、こんなところに住んでる人いるのってレベルの山奥を歩いていた。リハーサルが終わって、遅めのお昼を食べた後、聞いたことのない駅名を告げられ、1時間ほどで到着した駅を降りてから、さらに1時間は歩いていることになる。家は都内だって言っていたから、さすがにこれは予想外だった。きっと都心にいても寒かっただろう気温は、陽の傾きと共にどんどん下がっている。どうみてもハイキングコースにしては傾斜強めの山道。目的地はまだ見えない。このまま雪が降ったら、もしかしたら遭難するのだろうか。この国の首都で?
「ねえもしかして、僕たち迷子?サナ?道あってる?」
「大丈夫!もう少しだよ!」
不安でいっぱいの僕に、ニコニコとサナは答える。こうなったら進むしかない。いや、ここで置いていかれたら本当に遭難するかもしれない。どうやら僕はとんでもない迷子を保護したらしい。
「そういえばサナはなんで家出したの」
「山奥に住むの嫌だって言って、ママと喧嘩した」
ーいや、ほんとそれな。
まぁでも、都心がいつも充実しているわけじゃないとか、それに、家がないのは今思うと結構辛かったとか、そんなことを話しながら歩く。小学生にはまだ想像がつかない世界だろう。僕もこんなに辛いとは思ってなかったんだ。というよりも、今になってやっと、あの頃は辛かったんだと気づいたんだ。
「じゃぁオッパはなんで家出したの」
「あぁそれは、僕がダンサーになりたいって言ったから、お家の人に反対されて…」
両親は堅実な人たちだ。裕福になりたいというよりも、確実に明日の生活が補償されている未来を心から願っていた。当然、僕の生活もそうであるべきだと考えていたし、まさか息子が、ダンサーなんて明日のわからない仕事に人生をかけるなんて、夢にも思ってなかったんじゃないかな。進路を相談したときは、当然のように反対された。家を出てきてしまったこと、宿なしヒモ状態が続いていたこと、なかなかオーディションに受からなかったこと、全てに罪悪感があった。それでもいつか証明して見せなければ。僕の選んだ人生は間違いじゃないってことを。補償がなくとも、明日は自分の足で作っていけることを。
「家出した後、新しいお家見つかったの?」
「しばらく見つからなかったけど、今は帰りたい部屋があるよ」
「部屋?」
「そう、僕より強くて弱い人が住んでいて、そばにいてあげたいと思う、そんな部屋」
「変なの…」
「ふふ、ほんとだね」
今の僕には嘘のない言葉だった。今日は早く帰らないと。ヌナが待ってる。昨日も色々あったみたいだし、きっと、僕を必要としているはずだ。どうして待ってるってわかるの?と聞かれそうだけど、でも絶対にそうだという気持ちが心の奥に灯っている。この感情はなんという名前なんだろうか。小学生の方が知っているのかもしれないな。
山間の夕暮れは早い。あっという間に空が赤らみ、気温がガクッと下がる。雪が今にも降りそうな静けさ。もうこのまま遭難するんじゃないかと覚悟を決め始めたとき、家が…人の住んでいる家が、本当にあった。
「サナ!」
「…ただいま」
家出娘を送り届けて感謝されるシーンは万国共通だ。お母さんは泣いてるし、お父さんはオロオロしてるし、サナもちょっと恥ずかしそうだ。いつか僕も親になったら、気持ちがわかるのだろうか。いつか僕も実家に帰るべきなのだろうか。その時はこんなふうに、僕も気まづい顔をするんだろう。
「オッパ、うち泊まってく?」
「ジミンさん、本当にありがとうございます。もう日も暮れるので、もしよかったら泊まっていってください。」
「いや、あの、ご厚意は嬉しいんですが、僕今日中に帰らないといけないので、行きますね!」
「じゃぁ、サナまたどこかで会おう!」
「うん…バイバイ」
ジミンが山に向かって駆け出したとき、サナの両親がはっとした表情を浮かべる。
「サナ、どうしてジミンさんは裏山に戻っていったの」
「…オッパともっとお話ししたくて、遠回りして帰ってきたから…」
慌てて呼び止められる。何事かと思ったが、ものすごく遠いと思った家へはものすごく遠回りさせられていたらしい。よかった、帰りは電車に乗れるみたいだ。ロープウェイで下山して、1時間に2本しかない各駅停車に乗って、そして…?果たして今日中に帰れるんだろうか。もう一度確認するが、ここは本当に都内なのだろうか。
chap.3 Saturday, PM10:50
「ただいまー!ジミニは奇跡的に帰還しましたぞー!」
死ぬほど走ったおかげで、県境の山からギリギリで帰ってくることができたのだ。褒めてほしい、遭難から生還した僕を。メロスの如く走った僕を。
「ってあれ?ヌナ?」
「おかえり…」
「どしたの?」
「なんでもないよ」
「…また泣いてた?」
「泣いてない」
「…ほんとは?」
「ん…ちょっとだけ」
どうやら、ここにも迷子が1人、予想通り僕の助けを待っていたようだ。
どうしよう、かわいい。
僕は今、不覚にも感動している。よかった、本当に、帰ってこれて、よかった。
「迷子のアミちゃーん」
「ジミナ、楽しそうだな…。」
予想通りヌナは、昨日のこと引きずっており、誰かに話を聞いてもらう事もできず、情けなくも泣いていたとのことだった。まったくヌナはわかりやすいんだから。
「そのために僕は今日死ぬ気で帰ってきたんですよ?」
「…死ぬ気だなんて大袈裟だな。」
都内で遭難でもしたの、と笑うヌナに、遭難レベルで迷子を救助した話を一通りしながら、一緒に遅い夕飯を準備する。鍋の材料が2人分買い揃えてある。切って、入れて、ただ煮込むだけのその料理が、こんなにも美味しい日を、僕は他に知らなかった。嘘だと思うなら今度連れて行こう。たぬきに化かされていたのでなければあるはずだ。都心から電車で2時間、県境の山間にポツンと一軒家が。
chap.4 0 o'clock
そのたった1秒未満の瞬間に2重の意味。昨日の終わりと、新しい1日の始まり。それは、元々、ただそこに流れていただけだったはずだ。始まりも終わりもない、悠久の移り変わり。太陽や月、星空、そして海。先人は見つけてしまったのだ。それらの中に、規則性を。規則は名前と意味を欲しがる。そうしていつの間にか文明は《《時間》》を手に入れた。それは、ただ流れていたものから、質量を持つものになった。重ねたり、与えられたり、待ち侘びるものにもなった。私にとってそれは今、”失ったもの”だった。
ベランダでジミンと空を見上げる。私のお気に入りのスペースは、いつの間にかルームメイトにも気に入ってもらえたようだ。ブランケットにくるまって、思い思いの飲み物を飲む。鍋で熱った顔に外の空気が気持ちいい。
「雪、降らないかな」
「また空振りかもしれませんね」
「今日帰ってこないと思った」
「寂しかったですか?」
「寂しいと思うんだなって自分で驚いた」
「ふふ。僕だって迷子を拾って、迷子になるとは思いませんでしたよ。」
子供の頃、迷子によくならなかった?いや、私は大人になってもよく迷子になるんだ。実際マップなしでは目的地に到着できない。むしろマップがあってもダメで、進んでいる方向に矢印が出て、曲がり角の度、マップを回転できないといけない。GPS技術は古くからあるものの、地図が回転できるようになったり、向いている方角に青い光が出るようになったのは実は最近のことである。迷子になった時の基本は、来た道を戻れ、さもなくば止まれ。どちらかをいつもしくじるから、普通の街で迷宮に迷い込む。方向音痴のみなさんは共感してくれるが、そうじゃない人には一生わからないだろう。地図を見ながら反対方向に進んでいると気づいた時のあの行き場のない憤りは。
「来た道を戻ればいいのに、怖くて戻れない。だからって前にも進めない。そうやってどこにもいけなくなった迷子は、どうやって助かればいいんだっけ」
難しくて解くのを後回しにした問い。
答えはずっと見つからないまま。
「簡単ですよ」
「え?」
「助けてって叫ぶんです。そしたら僕が助けにきますから。嫌だって言われても、山奥で遭難してても、必ずヌナのところに。」
この子は、こういうことを、なんでもないことのように言うんだ。
私がどれだけ驚いたか、きっと知らないだろう。
「…もうきてくれたね」
「間に合ってよかった。」
灰色がかった黒い空。降りそうで降らない雪。星の見えないベランダ。
今確かに感じるのは、暖かさ。きみの隣はいつだって暖かい。
「ヌナは、迷子になった子供を見て、迷子になったお前が悪いって思いますか」
絶対に思わない。渋谷って街があるのを知ってる?あの狭い谷で何度私が迷子になったか。方向音痴は誰のせいでもないんだ。迷子は誰だってなるんだ。
「ヌナも同じですよ」
「わたし?」
「うまくいかないお前が悪い、とは誰も思ってません。自分以外は。」
優しい眼差に乗せて、真っ直ぐな言葉たちが、静かにノックしている。
「ヌナ?うまくいかない時に自分を全部否定しないであげて。ついでに、あの時の自分も愛してあげてください。そこから今日までの、決して完璧じゃ無かった自分もです。全てが今のヌナに繋がっています。僕を助けてくれた、今目の前のヌナに。今日迷子になって泣いてるかわいいヌナに。」
ジミンがそっと手を伸ばして、目の雫をぬぐった。そうか。それは、失ったものではなくて、繋がっていくものなんだな。他のどこでもなく、今より少し前へと。
「僕が一緒だから怖くないですよ。もう、迷子にはさせませんから。それに、ヌナには一緒に進んでくれるチームがいるんでしょう?」
チーム。そう、私には誰よりも心強いバディと、かわいい後輩たちがいる。たくさんの時間を注ぎ込んできた中で、たくさんの仲間もできた。ジミンのいう通り、今、私は1人じゃない。むしろ、本当の意味で仕事というのは1人でできるものじゃない。
「なんだかきょうは、ジミナの方が年上みたいだな。」
「ふふ、遭難しかけて成長したかも…?」
ジミンが話す言葉、一つ一つが、優しく溶かしていった。底冷えしていた何かを。失ったと思っていた何かを。本当は愛したかった何かを。
「ヌナ…?こっち入る?」
ルームメイトが優しく呼んでいる。私は吸い込まれていく。春の匂いがする、陽だまりの中へ。干したての布団みたいに、暖かくて、安心する、きみの腕の中へ。
「ジミナ…ありがとう」
この止まらない涙は、あの日の私への讃歌
この切ない気持ちは、迷子の自分へのノスタルジー
この暖かい気持ちは、君がくれたギフト
進めそう、少しだけ前に
もう、迷子になるのは、怖くないような気がした
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