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夏「ひと」休み〜槍ヶ岳へ⛰️

    勉強、バイト、勉強、の日々が続く、、やがて前期が終わり集中講義が始まった。国リハからも先生が来られた。運動性構音障害の第一人者の白坂康俊先生(現群馬パース大学教授)で、パリ大学卒業という珍しい経歴の持ち主である。その授業は軽快で視覚的、もう、分かりやすいっと言ったらない😀 今も初学者に構音の仕組みを教える時は全くそのまま真似て教えてるほどである。

 さて、集中講義が終わって、夏休みが始まった😊 空はどこまでも高い!中央アルプスも近いじゃないか🎶 という声がどこからか聴こえる。。そこで、バイト先に休みを貰って山登りに出かけた。3年ほど前から始めた登山。穂高岳、剣岳、八ヶ岳、、、など春から秋にかけて登っていたが、もう一度上高地の河童橋から川沿いに歩きたいと思った。そうだ、槍だ!横尾で穂高方面と別れて進む槍ヶ岳⛰️に登ろう、と決めた。当時の趣味だった一眼レフと水彩セットもリュックに押し込んで名古屋を後にした。

 夏真っ盛り☀️、 高気圧に覆われた夏山の中、上高地の河童橋を出て、左に前穂高岳を見ながら明神〜徳沢と川沿いに歩く。足も軽くとても気持ち良い。横尾山荘で一泊。次の朝早くに山小屋を出発し、槍の三角が見え始めた沢で絵筆をとって山峰を描いた。それを暑中見舞いとして、前年に結婚した友人へ送った。彼とは会社の寮で同室だった。結婚式では友人代表としてギターを弾きスピーチもした。優れた技術者で彼が設計したモニターを私が海外へ売った、そういう仲でもあった。その後当時はライバル会社のS社へ転じたが、彼だけでなく、その頃は結構な人材がS社に引き抜かれていた。多くの技術者が月に何百時間も残業し、テレビ研究所は夜遅くまで不夜城の如く煌々と明るかった、、1990年バブル絶頂の頃である。

 彼の訃報が来たのは、その夏から8年後。自死だった。。高知から上京したのは何日後だったろう、奥さんから「ここで首をつってたんです、、」と玄関で教えられた。不条理な気持ちで一杯になった。30代後半から40の頃、私もSTとして8年の病院勤めでとても疲れていた。同じ年に大学時代の友人も自死をした、、バブル崩壊後10年、同世代の多くが人生で心身ともにもっとも辛い時期だったと思う、、その頃、折に触れて詩を書いていたが「karousi」という題でひとつ書いたのを覚えている。

 STになるために心理学や医学を学び、ヤル気に燃えていた夏の一コマも後年の悲しい出来事と記憶の糸が繋がっている、と思うと刹那い気持ちになる。

 さて、久しぶりの「学生の夏休み」は無事に槍の鉾先に立つことができ、沢山の写真を撮って楽しい一夏の休息だった。名古屋に戻って、共に新聞配達をしていたクラスで一番仲の良いNくん(記事#8)とお茶をしながら楽しかった山旅を話した。あまり興味が湧かない話題に付き合ってくれていた彼の表情を思い出す😅 

📘1990年夏休みに読んだ本
「ゲーテ格言集」ゲーテ 新潮文庫
「難聴」岡本 途 真興交易医書出版
「ユングの性格分析」秋山さと子 講談社現代新書
「失われたことば」長谷川恒雄 NHKブックス
「言葉を失うということ」岩田誠 岩波書店
「現代人の心をさぐる」小此木啓吾 朝日文庫
『愛するということ』エーリッヒ・フロム 紀伊國屋書店



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