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「ベイビー・ブローカー」に託された願い

是枝裕和監督の最新作『ベイビー・ブローカー』を観ました。現代を考える上で必見の作品だと思いました。

物語は韓国が舞台。「赤ちゃんポスト」に若い女性が赤ん坊を預けようとするシーンから始まります。この「赤ちゃんポスト」がある施設で働く若い男性と、クリーニング店を営む年配の男性はタッグを組み、預けられた赤ちゃんを奪って「販売」するブローカー業を行っています。しかし、母親である女性が赤ちゃんを取り戻そうとすることからストーリーは思わぬ方向に進んでいきます。

この映画が優れているのは、赤ちゃんを捨てようとする母親、ブローカー業を行おうとする男たちなど、社会的には「犯罪者」である者を見つめるまなざしの冷静さです。彼らの行為は許されないものであることを押さえつつ、なぜそんなことを行うのか背景を掘り下げ、安易な「自己責任論」を(声高にではなく)批判しているように思えました。

ネタバレし過ぎない程度にエピソードをご紹介すると、母親は「赤ちゃんポスト」まで足を運ぶのですが、実は「ポスト」には入れていないのです。ポストの前の地面に赤ちゃんを置いて立ち去っています。この理由は映画ではついに明かされません。

施設に預けることが関係を断つようで最後まで決断できなかったのか、赤ちゃんが死んでしまってもいいと思うほど正常な判断ができなかったのか、他にもっと絶望的な理由があったのか・・・。この映画は複雑な現実に想像力を持たせてくれるという点で傑出しています。

人生は「白黒」を簡単につけられるものではありませんが、現代はあまりのスピードの速さに複雑な事象があっさりと「消費」されていく。せめて世の中には「割り切れない」ものがあることを頭の片隅に置いて物事を見つめられる人間でありたいものです。

この映画を観て久しぶりに手に取ったのが日野皓正(tp、cornet)さんの「トランス・ブルー」。収録されている「But Beautiful」という曲を思い出したのです。歌詞はJohnny Burkeによるもので、一部を抜粋するとこんな内容です。

Love is funny, or it's sad
Or it's quiet, or it's mad
It's a good thing, or it's bad
But beautiful

Beautiful to take a chance
And if you fall, you fall
And I'm thinking
I wouldn't mind at all


愛は楽しく悲しい
穏やかで狂おしくもある
良いものでもあるし ひどいものでもある
それでも美しい

愛に賭けてみるのは素晴らしいこと
その深みに入り込んだとしても
全く気にすることはないと 私は思う
(拙訳)

歌詞の「Love」を「Life」に置き換えてみると「ベイビー・ブローカー」を観た後の印象に重なります。複雑な人生を簡単に決めつけてはいけない。そして、「賭けるに値する美しいものだよ」と励ます社会であって欲しい。

「トランス・ブルー」は1984年~85年にかけて制作されました。特徴は佐藤允彦さんのアレンジによるストリングスが配されたバラッド・アルバムであることです。「ヒノテル」による歌心あふれるプレイには定評がありますが、コルネットを控えめに包み込むアレンジが加わることでいま聴いても新鮮な味わいがあります。

そして「But Beautiful」にはドラマーのグラディ・テイトによるボーカルが入っています。本業のドラムに勝るとも思えるぐらい魅力的で温かい声が披露され、忘れられないトラックとなっています。

1984年11月と12月に東京、1985年1月にNYで録音。メンバーが豪華ですね。

日野皓正(cornet)  Grady Tate(ds,vo)  Eddie Gomez(b)  Kenny Kirkland(p)
Jim Hall(g)   佐藤允彦(ストリングス・ホーンアレンジ)

①My Funny Valentine
おなじみのスタンダード。ハープに先導されてヒノテルがミュートでヴァース部分を吹き、本編をグラディ・テイトが受け持つ粋なアレンジです。この流れでストリングスは通しで入っているのですが「べったり」ではなく、寄せる波のように的確な部分でスッと入ってくるのが本当に素晴らしい。佐藤允彦さんの全体を見通すセンスの良さに感心するばかりです。そして、グラディ・テイトの太いソウルフルなヴォーカルが抑制的なアレンジの中でホットな部分を担い、このトラックを「血の通った」ものにしています。間奏でヒノテルがソロを取り、次第にテンポを上げて後半のパワフルなヴォーカルにつないでいく展開はアルバムの中で最も劇的なところだと言えるでしょう。

④My One And Only Love
こちらも有名スタンダード。ヒノテルのコルネットをじっくり味わうことができます。まず、弦の調べに乗せてメロディ部分をコルネットでほぼ崩すことなく吹き切ります。スローでかつストレートに演奏して「聴かせる」ことができるーヒノテルの「音に命を吹き込む」集中力がいかに高いかを示しています。ソロはメロディ部と比べて情熱的です。最初はスローに入りますが、すぐに高音をヒットさせて緊張感を高めます。やがて、メロディの断片を織り交ぜつつ、次々に音をプッシュしてくるような熱いソロが展開されます。ストリングスがメロディを提示して入ってきたところで一度トーンダウンし、再び情熱的なソロを取るのですが、ここはフェードアウト。最後はどんな演奏だったんでしょう・・・。

⑥But Beautiful
ジム・ホールのギターのみをバックにグラディ・テイトが歌う導入部が非常に魅力的。ホールの最小限しか弾かないギターが実に深い余韻を与えてくれます。そこにストリングスが入ってテイトの歌声がより広がりを持ち、スケールが大きく感じられます。「But Beautiful・・・・」という歌詞部分はゆったり語りかけてくるようであり、この歌の優しい世界が実によく表現されています。続くヒノテルのソロはパキッとした印象。硬質な響きでハードボイルドに迫ってきます。このソロが終わるところでストリングスとヴォーカルが見事な切り替わりで入ってくるのもいい。ラストでグラディ・テイトとコルネットが重なり、再びギターとヴォーカルが絡み合う展開も聴きものです。本当に素晴らしいアレンジですね。

それにしても是枝監督の作品には常に「願い」が託されているようです。その中の一つに「命を大切にする」ということがあり、衝撃的な『誰も知らない』の頃から(その以前からも?)ずっと変わらないようです。

それだけ普遍的なテーマだと言えますし、一方でそんな基本的なことがなかなか叶わない世の中であることが残念に思えます。私たちはどんな世界を望むのか、エンタテインメントとしても十分楽しめるこの映画を通じて少しだけ思いを馳せるのもいいかもしれません。

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